心配で心配で僕はずっと自室をウロウロと彷徨っていたのだけれど、思ったよりも早く兄さんは帰ってきてくれた。
夕刻になる、少し前。
普段だったら斎藤一の部屋から戻るのは、もう少し後の時間になることが多いのだけれど…
兄さんは、僕が「どうしたの」と聞くより前に僕に抱きついて、うるうるした瞳でキスをしてくれた。
「……え、兄さん、どうしたの?仲直りできなかったの…?」
「ううん、できた。できたよ。…斎藤くんはやっぱり、すごく優しい人みたい」
「ああ、そう…ふーん。へえ」
なんだ、なんだか動揺しているから、ついつい仲直り失敗したのかと期待したのに…ちっ。
………。
ん、でも、変だな。
ならどうして兄さんはこんな風に、不安そうにしているんだろう…?
とりあえず抱きしめて口づけを返すまではいつものことなんだけれど。甘えるみたいに身体を寄せる兄は、そっと、小さく舌を差し出した。舌を絡めるような深いキスをお望みのようだ。
「ふふ、どうしたの?そんなに発情しちゃって…可愛いけどさ」
「ん、…んん…ッ」
「――でも、斎藤一のところから帰ってきてそうなっちゃうのは、気に入らないな」
まさかと思って腰を引き寄せ、するりと背中を撫でて、震える兄の首元に鼻をよせる。すん、と匂いを嗅いでも、斎藤一の匂いはしなかった。
「(あいつに抱かれた訳じゃない、と。…とりあえずは一安心だけど…)」
それでも何なんだろう、この嫌な予感は。
「兄さん?抱いてほしいの?」
「ん…っ」
こくん、と頷いて、僕にすり寄る兄さんは死ぬほど可愛い。可愛いけれど。
…しかし、やはり何かが気にかかった。
「ベット、いく?」
「………」
「どうしたの、今日はやっぱり様子が変だね。斎藤一に何か言われた?もし苛められたんなら僕、やりかえしてくるけど」
兄さんは僕に抱きつくように腕を回している。
これでは表情が見えない…けれども、その声が震えているから、やっぱりただ事じゃないってことは察することができてしまった。
「違うよ、斎藤くんはすごく優しくしてくれた。…ただ、」
「ただ?」
「ううん、優しくされすぎたのかもしれない。だから逆に不安になっちゃったんだ。…ますますあの人に嫌われるのが怖くなっちゃった」
「何それ、兄さんあいつに心許しすぎじゃない?あんなやついなくったって、僕と土方さんがいるからいいじゃない。ずっとそばにいてあげるよ」
「……、……、……ううん。いいんだ、違う。そうじゃなくて」
「?」
「そうじゃ、ないけど。ごめん、言葉にできないや。急に寂しくなったから、慰めてほしいだけ」
嘘だ。
兄さんは、いつも――いつもそうだ。
斎藤一の所に行ったときはいつだって、僕が嫉妬しちゃうくらい嬉しそうな顔をして帰ってきてたじゃない?
悔しいけれど、斎藤一は本当に兄さんを大事にしてくれていた。
優しく触れて、傍にいると安心できるって、兄さんはあいつになついていたはずだ。
なのにどうして今日は、斎藤一の所へ行って、余計に寂しくなって帰ってきたの。
それじゃあ、まるで。
まるで――
僕らですら揺さぶれない兄さんの心を、あいつだけが揺さぶれるみたいじゃないか。
それこそ、まるで。
まるで、恋を。
「……ッ!」
そんなこと、認めるのが嫌で、僕は兄さんをベッドに突き飛ばす。
さすがに少し驚いたみたいで、兄さんは目を丸くして、肘を立てて上体を起こした。
その唇を、上から塞ぐ。
「ん、ッぅ…う、…んん」
「駄目だよ、兄さん。あんな奴に心を許さないで」
「っふぁ、――?」
「ねえ。僕より斎藤一の方が好きになっちゃうの…?そんなの許さないから。そんなことになったら、僕は兄さんが死ぬまで抱き続けるかもしれないよ」
「ぁっ、…ん、ふふ、何、可愛いこと言ってるの…」
兄さんは僕の頬を撫でてくれる。細くて、長くて、綺麗な指だ。
「僕は嬉しいけど。そんなことしたら、土方さんに怒られちゃうよ」
「う。…それは、まあ、…そうだけど…」
あの人だって兄さんが好きなんだ。もしも僕が兄を抱き殺したら、…あの人はこの世界で永遠に兄を失う。兄のためにあれだけ心を砕いている土方さんのことだ。きっと僕を許さないだろう。
まあそれ以前の問題として、僕が兄を手にかけるなんて、万に一つもありはしないんだ。
だって僕はこの人のために生きているのだから。
僕の私情を兄より優先することなど、現象としてあり得ない。
「とにかくヤキモチで、酷いことしちゃうかもって言ってるの」
「…いいよ、酷くしても」
兄さんは僕の首を引き寄せて、小さく囁いた。
「ね、総司って呼んで」
「――兄さん」
「兄さんじゃない。こういう時くらいは、名前で呼んで」
「………」
強請る兄さんはすごくすごく可愛い。でも、僕はまだ流されたくなくて、無理矢理に話を引き戻す。
「ねえ兄さん、土方さんと斎藤一だったらどっちが格好いいと思う?」
「んー…もー、なに、急に。雰囲気ぶち壊しじゃない」
「いいから答えて。どっちだと思う」
「………。さ…」
「さ?!」
「…じかたさんかな」
「さじかたさんって誰」
兄はちょっぴりむっとしたようで、唇を引き結んで僕を睨む。
兄に睨まれると僕も怯むけれども――ここは我慢だ。
「どっちも同じくらいだよ。どうしてそんなこと聞くの?」
「兄さんが斎藤一のところから帰ってきて、様子が妙だからだよ。僕に抱かれたがってるのだって、まるで」
「まるで?」
「………」
言っていいのか、悪いのか。
少し迷いながら僕は、小さく続けた。
「斎藤一に抱かれたくて、でもどうしてもできなかったから、…代わりに僕の所に来たみたい…」
「……」
ぱちぱち、と瞬きの音すら聞こえてきそうだ。
兄は――びっくりするくらい赤くなって、大きな声で否定した。
「そ、そんなことないよ」
「そんなことないの?本当?」
「―――あ、あんな清純そうな顔した人にそんなこと…申し訳ないでしょ」
「清純ぅ?駄目だよ兄さん、あいつはそんなに清廉潔白じゃないって!ああいうのはむっつりスケベって相場は決まってるんだから。きっと裏では妄想の中で兄さんにエッチなことしてるに決まってるよ」
「さ、斎藤くんはそんな人じゃないってば。憶測でそういうことを言うのは良くないよ?」
「なんで兄さんあいつのことかばうのさ!」
「いや、君だって土方さんのことそう言われたら、なんかちょっと、一応かばってあげなきゃな的な気持ちになるでしょ?」
「………」
そうかな。
いや、僕は別に思わないけど…土方さんがエロ本手にしてたって動揺しないし。
それに何より、僕には「そんじょそこらの女のヒトより兄さんの方が色っぽい」と言う絶対の自信があるんだ。
「わかった、じゃあ僕今度あいつの部屋に行ったときエロ本探すから。長期入院だしあいつだって性欲処理くらいするだろうし、どんな本持ってるか探して、兄さんのとこに持ってってきてあげる。このことに関しては自信あるもん。あいつ絶対むっつりだって」
「う。…それはちょっと、まあ、気になるけど…斎藤くん持ってないんじゃないかな、そういうの」
「とにかく!兄さんがあいつのこと好きになるのだけは僕は阻止したいんだ。兄さんには土方さんがいるでしょ。だからあんな奴に心ひかれちゃ駄目なんだよ」
「…土方さんは僕を選ばないよ」
「?そんなことある訳がないじゃないか。前にも言ったよね、土方さんは、兄さんのことが――むぐ」
言葉の途中で、兄さんは口づけをすることで僕の言葉を遮った。真っ赤な舌を差し出して、口の中でくるくると回す。僕の唾液をかき回すようにくちゅくちゅといやらしい音をたてて、兄さんはそのまま、ぷはっと顔を離した。
「ん…そういう話はもういいから。ね、しよ?僕のこと気持ち良くできるのは、君なんだから」
「――まだ話は終わってないんだけど」
「もー、それ以上言ったら、僕の方が君のこと押し倒しちゃうよ!」
雰囲気のないことばかり言う僕に、兄はついにご立腹らしい。怒って、僕を押し倒そうとしたのか、肩をぐいぐいと押した。僕は羅刹なだけあって兄よりも力があるので、その程度じゃびくともしないけれど。
「え。兄さんが僕を?抱けるの?」
「抱けるよ、僕だって…んっ」
「そう?…こんなに可愛いんだから、抱く側より抱かれる側の方が、兄さんにはお似合いだと思うけどなあ」
「んっ、ぁッ、…んんーっ」
きゅっと乳首を掴むだけで、兄さんは腰をよじる。こんなに感じやすい身体をしてるくせに、攻め手がやりたいなんて――
「(そんなことを主張するの、そういえば初めてだなあ。…僕が受け手なんてしたって、気持ち悪いだけだと思うんだけど)」
こういうのは、可愛い兄さんが受け手だからこそイイんじゃないか。
こんなに感じきって可愛い声あげて――それにこんな表情、僕には絶対にできないと思う。というか、そんな自分を想像すると気持ちが悪い。
「うん。やっぱり僕はこの立ち位置がいいと思うよ」
「ぁっ、やだ…ぐりぐりしないで…っ」
「嘘つき。胸いじられるの大好きなくせに」
「…あぅっ…、ぁ、ッは…や、ぁ」
もう腰までくねらせて、兄さんは助けを求めるように、僕に身体をすり寄せてきた。それに気を良くしてちょっと強めに胸を揉んでやると、強い快楽にびっくりしたらしい兄さんが、いやいやと首を振る。
「ぁ、…やだ、や…ッ」
「あれえ?気持ちいいくせに、何でイヤイヤするみたいに首振ってるの?…ああそっか、やめないで、もっとして、って意味かな」
「や、違ッ…ぁ、」
「違わないよね?だってほら、もう勃ってる。兄さん、やらしくて可愛い」
「…ッ、……ッ、は…ひゃッ、」
「もう泣いてるの?…そんなに気持ちい?胸だけで?」
「…っん、んんーっ…ぁ、ぁ」
「可愛いね」
僕は兄の胸を愛撫しながら、何気なく続けた。
「兄さんがこんなに淫乱だって知ったら、斎藤一はどう思うかな?」
「………!」
途端。
兄さんが、大げさに身体を震わせた。
かぁああっと真っ赤になって、目を大きく見開いて、僕からばっと後辞さるみたいにして、――涙の浮かんだ瞳のまま、
しまった、という顔をした。
「………」
「………」
「………」
「………」
「……あ、ええと、」
「………うん。なに、今の反応」
「…べ、別に、その…」
「斎藤一に淫乱って思われるのがそんなに怖いの?!」
「ちが、そういう…あの、」
オロオロと、らしくもない動揺をして、兄は俯いてしまった。
ぽそぽそと小さく涙のしずくをこぼしながら、自分でも驚いたように頬に手をやっている。
「あの、喧嘩したばっかりだから!だから斎藤くんに嫌われるようなことが怖いっていうか、その」
「はあ?嫌われることって、いまの可愛い兄さんの反応が?」
「だ、だって斎藤くん、潔癖そうっていうか、…だから…」
「だからなに?どうしてあんな反応するの?意識してないとあんなふうになったりしないよね?」
「…そ、そんなことないよ、僕は斎藤くんのことなんて、」
「意識してない?」
「…、…し、してない」
「抱かれたいなんて、思わない?」
「お、思わ…、……」
何その可愛い顔。
…あいつのためにそんな表情、いつの間にするようになったの?
「兄さん、あいつのこと好きなの?」
「違う、僕は誰のことも好きにならないから。だから斎藤くんのことだって、別に。別にそういう、」
「………何必死に否定してるの。ほんとうに好きじゃないなら、必死になる理由なんてないでしょ?」
「ちが…」
「違うの?」
「ち、違う、違うよ。僕は誰にも恋なんかしないんだ」
「誰にも?」
「………」
きゅ、と、唇を引き結んだ兄さんは――凄く切なそうな表情で、頷いた。
「…斎藤くんも、僕のことはそういう風に望んでないんだ」
「――兄さん?」
「だから、君が心配するようなことは起こらないよ。大丈夫、僕にとって斎藤くんは初めての友達だから、今はちょっと、…緊張しちゃってるだけ…」
その顔を見て、僕は舌打ちをしたくなる。
…こんなにも綺麗で、可愛い泣き顔は初めてだ。
あいつが兄さんにこんな顔をさせているんだ。
双子だからこそ、僕は気づいた。
…兄は、あいつに恋をしているんだ。
認めまいと頑張っているけれど…もう、落ちてしまっているのだと。
「(たとえ殺されたって泣かない兄さんが、あいつには涙を許すんだ)」
ああ、恐れていた事態が起こってしまったのだと、どこか現実感のないぼんやりした気持ちで、考える。
兄はあいつに恋をしている。
あいつと兄が結ばれれば――兄は僕を忘れるだろう。
僕がいなくなった世界で、斎藤一と一緒に幸せになってくれるだろう。
「(…兄さんが幸せになってくれるのは、僕は嬉しい。でも、でも、僕のことは…そして土方さんは、)」
もう一人の、僕の大切なあの人は、いったいどうなるの?
大好きな兄を抱きしめながら、僕はずっとそんなことを、ぐるぐると考え続けていた。