この違和感の正体がなんなのか、僕にはいまいちつかめない。

僕はどうしてこんなにも斎藤一のことが気にかかるのだろう。

この感情はたぶん、恋愛感情ってわけじゃない…と思う。彼は確かに、土方さんに引けを取らないくらい魅力的だけれど――好きになる要素は多分にあるけれども、それでもまだ、違う。

僕にはそもそも“誰かと恋愛をする”気があんまりない。
弟と土方さんのせいにするつもりはないけれど――土方さんを好きになりすぎてしまうのが怖くて(それは弟にとって手酷い裏切りだ)、昔から意識しないように、考えないようにと、心を砕いていた。土方さんを好きになっても、弟を傷つけるだけ。土方さんにとっても迷惑になるから。
恋愛感情なんて、意識しなければ“無かったこと”になるのだから。

だから僕は、土方さんへの淡い恋心を自覚しつつも――意識などしたことがない。それは斎藤くんにだって同じだ。だからこれは、恋愛感情なんかじゃない。
なのにどうして僕は彼のことが気になるのか。
理由なんてわからない、ただ僕は――彼を見ると何故だかものすごく、…甘えたくなってしまうのだ。


「(簡単に言うと、そういうことなんだろうなあ)」

傍にいて欲しい、と思う。僕だけを見ててほしい、って思う。
弟や土方さんにイイ顔しないで、僕だけ見てて――なんて、なんとまあ自分勝手な要望だろう。
弟とキスをしたと聞いたとき、はっきりと“気に入らない”と感じた。
僕だけを見てくれないと嫌だ、そう思ったのだ。
…僕が好きなのは土方さんなのに、その上でこんなことを思う。普通の人だったらきっと怒るだろう。
見返りを与える気もないくせに、自分ばかりが欲しがる。

自覚はしているが、僕は性格が悪い。

…でも、それなのに、何故だろう。それでも彼が、こんな僕のことでも、当然のように甘やかしてくれるだろうことを――無意識に僕は、知っていた気がするのだ。
子が親に対して、無条件に甘えるのと同じなのかもしれない。
…この、奇妙な感覚を、何と呼べばいいのだろう…?


「………」

斎藤くんが僕を好きだと言った。惚れるなら自分にしろと言ってくれた。
そのこと自体は凄く嬉しいし、もちろん悪い気はしないのだけれど――僕は、彼の気持ちに応えるつもりなどさらさらないのだ。

僕の心には土方さんがいて、弟がいて。
君の傍はとても居心地がいいから、甘えたくなっちゃうだけ。
酷いって言われるかもしれないけれど、それは、僕の心から本心だった。

「…総司」
「ん…」

君の手が暖かいのが悪いんだ。

頭を撫でてほしくて、僕は彼の肩にすり寄る。当然みたいに頭を撫でてもらって、気持ち良さにまどろんで。
ああ、まったく、彼はどうしてこんなにやさしいんだろう、僕みたいなのに優しくしないでいいのに、そう思って――


ぼんやりした意識の中で、それでもはっきりと響く、――扉の開く音。
そして覗いた、どこか泣きそうな顔をした、可愛い僕の、

「(…ぁ、)」

寄り添う僕と斎藤くんを見て、…まあ、想像通りの表情だ。

かっと顔を赤くして、ぎゅう、と手を握り締めて。

「何やってんの、離れて!!」

ムキになってそう怒鳴って、僕と斎藤くんの間に割って入る。
斎藤くんを突き飛ばすようにして、きっと睨み付けた。

「んー…おかえり…」

のんきに挨拶をする僕に、弟は、さすがにむっとしたような顔をして――すぐに慌てて、申し訳なさそうな顔になった。これは土方さんとの間で何かがあったな、と、僕は察する。
まあ、そうなるだろうと思って僕は弟を土方さんに差し向けたんだけど、さ。
こんなにまで思い通りになっちゃうところが、また愛おしいんだ。
僕の関わることになれば、極端に猪突猛進な僕の弟。

「(ああもう、こんなことで泣きそうな顔しなくていいのになぁ)」

…かーわいいなぁ。
さっさとくっついちゃえばいいのに、な。

「ただいま…じゃなくって!」
「なあに?」

うとうとしていた僕は、目をこすりこすり、弟を見る。弟が焦ってることも全部わかってるけど、わかってるからこそ、あえて僕は「眠い」振りを続ける。斎藤くんは困った顔だけど、早くもこの展開に慣れてきているのか、おとなしく口をつぐんだ。

「いい加減目を覚ましてよ兄さん!斎藤一なんて、僕にまで手を出すような、軽薄な奴なんだから!土方さんの方が安全物件だってば!」
「あ、うん、わかったから。興奮しすぎて変な安売り業者みたいになってるから、とりあえず落ち着こう。ね?」

安全物件って――なんか面白い表現になっちゃってるよ。
ほら、斎藤くんが微妙な顔してるから。

「…ね?落ち着こう?」
「…う…ううー」
「どうして僕が斎藤くんと仲良くしてると、極端に焼きもち焼くのかなあ…」

焼きもち焼きたいのはこっちなんだけどなー。
…なーんて、そう思いながらも、こういう風に「兄さん大好き」状態な弟の暴走を見るのは――実はとっても嬉しいことでもあったりして。やっぱりこの子は唯一無二の大切な存在だと意識しながら、僕はその細い体を抱き寄せる。

暖かい。慣れ親しんだ体温だ。ほっと、喉の奥にたまっていた重たい感情が――肩の力と一緒に、抜ける。
ああやっぱりこの子のことが心から愛おしい、それこそ泣けてくるくらいに。
相手がこの子じゃなかったら僕はきっと土方さんを譲ろうなんて思わなかった。

それはとても幸せなこと。心からそう思う。
…だからこそ、背中を押してあげないと。
弟はとってもニブいから、僕が言わないと自分の気持ちにすら気づかない。

「僕の可愛い弟は、どうしてそんなに僕と土方さんをくっつけようとするのかなあ?」
「だ、だって土方さんの方が兄さんにふさわしいから」
「ふさわしいって何が?どういうところが?」
「だって土方さんの方が頼れるし、兄さんのこと大事にしてくれるし、」
「斎藤くんだって頼れるし、僕のこと大事にしてくれるよ?それにすごく優しいしね」
「土方さんの方が優しいよ!斎藤一なんかよりずっとずっと大事にしてくれる!兄さんは鈍いからわかんないんだ、あの人がどんなにやさしい目で兄さんのこと見てるか…ッ」

うん、君こそ見えてないんだと思うよ。あの人がどんなに愛しそうに君を見ているか。
…ため息を押し殺して、僕はにっこりと、笑う。

「斎藤くんだって、そうだよ。僕のことすごく大事にしてくれる。優しくて、頼りになって、格好良くて、けっこう自慢のコイビトになってくれるんじゃないかなあ」
「土方さんの方がかっこいいもん…!優しいし、頼れるし!斎藤くんなんかメじゃないくらい格好いいもの…!」
「ふふ。ずいぶん必死に言うんだ?」
「だ、だって、…兄さんが土方さんの良さがわかんないみたいなこと言うから…!」
「違うよ。僕が土方さんの良さがわかんないんじゃなくて。君が過大評価しすぎなんだって」
「そんなことない!土方さんと一緒だったら兄さんは絶対幸せになれるよ、だから…!」

言いつのる弟の後ろで、斎藤くんが、ため息を噛み殺したような顔をしていた。…うん、まあ、気持ちはわかる。斎藤くんの内心を代弁するなら、「どうしてこんなにベタ惚れなのに無自覚なのか」ってとこ?

でも仕方ないんだ。この子は昔から、自分のことを押し殺すようにして生きてきたから――自分の気持ちなんて後回しにして、僕のことばっかり考えてるような、そんな健気なところがある子だから。
だから僕と一緒で、相手への気持ちを自覚しないよう、意識しないようにと、無意識に抑圧しちゃうんだ。

「あははっ、ほんとに可愛いなあ、僕の弟は」
「な、…何…?」
「君ってさ、土方さんのこと、ものすごーく好きだよね」
「……な…」
「好きだよね?だって僕がちょっと土方さんを貶しただけでこんなに必死になってさ」
「…………」

みるみる赤くなっていく弟が、口をはくはくと動かす。でもそれは、やっぱりというか何というか、言葉にならなかった。

「――僕のことなんてどうでもいいよ、僕は兄さんと土方さんの話を、」
「どうでもいい?僕の弟のことなのに、どうでもいいなんてあるはずがない」
「……」
「可愛い可愛い僕の弟だ。この僕が、君のためなら死んじゃってもいいな、って思えるくらい」
「兄さ――」
「愛してるよ。だから幸せになって貰わないと困る。いつまでも僕の影にいられちゃ、困るんだ」



僕はそっと、弟の手を握る。
優しさを伝えるためじゃない。
逃がすつもりがないことを、伝えるためだ。

この子がどんなに怯えようと。怖がろうと、――苦しかろうと、それでも僕は許さない。
逃がしてなんてやるものか。

僕に“愛される”ということが、どういうことか、たっぷりと思い出させてあげようじゃないか。



「……ねえ。“ラセツ”って何?」
「!」

びくり、と、触れた指先ですら大きく震えた。
僕はにっこりと笑って、弟の顔を覗き込む。

「ふふ、僕がどういう人間か、知っての上にしてはずいぶんと油断していたみたいだね。君は僕に内緒で情報を集めてるつもりだったんだろうけど、僕が気づかないとでも思ってたの?…君が、この病院の中の色んなことに手を出していることは土方さんに聞いてたけど――セキュリティが甘いのは、あっち側だけじゃない。これまで僕らの身体から摂取したサンプルと、その結果、全部パソコンに入ってるよね?」
「…な、」
「すごくすごく面白い世迷いごとが書いてある研究を見つけたんだけど。あれは何の冗談なのかなあ」

どこのだれが書いた論文なのか知らないが、要するに簡単にまとめるとこうだ。
羅刹の寿命の短さを克服し、人の身体に、その異常な回復能力だけを植え付ける研究。双子であるという特性を生かして、僕の――人間の身体に、弟の、羅刹の力を植え付ける。

「僕の可愛い弟の身体を裂く、あらゆる方法が述べられた馬鹿な研究だったよ」
「……読んだの?」
「うん、まあね。酷い研究だった。君の身体には麻酔も効かず、メスを入れてもすぐに再生されてしまう。それをわかっててあんな大手術――死を想定した、というよりは、死を前提に据えてのものだったね」
「―――」
「羅刹の回復力でも間に合わないくらいの、ギリギリまで身体を切り刻んで。死ぬ数分の時間で、生きた、必要な器官だけを取り出して僕に移植する。なあんて、ね?まさかとは思うけど、ねえ、――こんなの本気にしている訳、ないよね?」
「う、」

そう、この顔だ。
こんな言葉や、事実だけで、こんなにも素直に傷ついたような――その動揺も、焦りも、ぜんぶぜんぶ、食べてしまいたいと思わせるような、可愛い表情。
ほんとうに可愛い、僕の弟だ。僕の可愛い弟。
…そう、僕の。
もう一人の、沖田総司。


「死なせてあげないよ。僕は優しくなんてない」



瞳が揺れて、――喉が震えた。でも、と、言い訳のような接続詞。


「僕が死なないと兄さんは、…」
「ああ。肺の毒に負けて、長くは生きられないんだっけ?知らないよ、そんなこと。どうだっていいし」
「ど、どうだっていい訳がない!兄さんは、…沖田総司は、前世でできなかったことをやって、し、幸せになるために生まれて…僕は、沖田総司の哀しい運命を肩代わりするためだけに生まれたのに」
「うん。まあ、そういうこと考えてるんだろうなーって思ってた。だからね、一つ、言っといてあげる」

僕は、猫でも可愛がるように、弟の咽喉を撫でた。

「君が死んだら、僕も死ぬから」
「――は、」

呼吸が止まる。
絶望に濡れた目で、僕を見上げるその顔は――とてもとても、とってもかわいくて。
たまらなくなって、僕はにこにこと笑った。

「死ぬから」
「な、兄さん、何言って、」
「だってね、ずるいじゃない?僕、置いてけぼりが一番嫌い。なのにそんな僕を置いて行くなんて、怒ってやらないと気が済まないじゃないか。だからすぐに追いかけるよ」
「そんな、そんなの…!」
「土方さんに頼ろうと思っても無駄だってことは、お利口な君ならわかるでしょう。ずっと、小さいときから君は死ぬつもりで生きてきた。でもそんなものは僕だって同じだ。僕は大事なものを決して手放さない。一度決めたら絶対に」

死ぬまで大切にする?ぬるいね。僕は死んでも追いかけるよ。
そう口にすれば、弟は、ついに耐えきれなくなったようで、泣きぬれた声で「いやだ」とだけ言った。
まだ泣いてない。けれどそれは、瞳から涙がこぼれていないというだけで――本当に悲しそうな顔だ。



ごめんね、と、うわべだけの謝罪を口にした。
ぎゅうと抱き締めれば、細い弟の身体は、びくりと震える。

大丈夫、大丈夫だよ、と、優しく言い聞かせる。
弟の心を、僕の思う方向に誘導するために。

「大丈夫だよ。僕らには土方さんがいるじゃない」
「…ひ、…じかたさ、…」
「そうだよ。あの人が有能なのは、僕らが誰よりよく知っている。君らしくもないじゃないか。どこの馬の骨とも知らない奴が作り上げた研究なんかを、鵜のみにする必要がどこにある?彼らは彼らの目的のためにしか研究していない。あのデータは、僕らの寿命を延ばす研究の延長じゃないんだ。土方さんならもっとまともな論文を書いたんじゃないかな」
「……そ、れは、」
「でしょう。だからね、早まっちゃだめだよ」
「………」

ぼんやりと、弟が瞬きをする。…ほら、だんだん、こっちに意識が向いてきた。最初に絶望させて、次に美味しい希望をちらつかせて。
卑怯な手段かもしれない。

このまま何の手も打たずにいれば、まず間違いなく、僕は弟よりも先に肺の毒に負けて死ぬだろう。その未来は変わらない。
きっと弟はその未来を見たくなくて、こんな風に、自分を犠牲にしようとしているのだ。
そんなことはわかっている。

「(でもそれは、僕だって同じだ)」

僕だって、僕なりに必死だ。
この子に置いて行かれたくない。

「――僕の身体に、羅刹としての力を植え付けるなんて、本当にできるかどうかもわからないんだ。わからないものに命を賭けたところで、もしも失敗したら、どうせ僕も肺の毒に負けて死ぬんだよ。だったら土方さんの言う通りにした方がいいと思わない?」
「ひ、土方さん…の…?」
「そう。土方さんなら信用できる。あの人なら、僕ら二人を同時に行かしながら、寿命の面だって改善してくれるかもしれない」
「兄さんは…そう思う?土方さんなら、僕ら二人共を、生かしてくれるのかな」
「もちろん。あの人が僕らの期待を裏切ったこと、ないじゃないか」
「……兄さんは……」

抱きしめられながら、弟は僕にすり寄った。寂しがる猫のような、迷子が親を探し求めるような、それは切実な仕草だ。

「兄さんは、いなくなったりしない…?」
「――うん、約束する。大丈夫だよ。土方さんは僕をすごく大事にしてくれる。君より先に死ぬなんてこと、絶対にない」

嘘だ。根拠も確証もない。明日に死んでもおかしくない程、自分の身体が脆くできていることを、僕は知っている。

「もう少しだけ、…僕はここにいても、いいのかな」
「もちろん。いてくれなきゃ困るよ。君のその力で、僕は肺の毒にかろうじて打ち勝っているんだから」
「……そうなのかな…」

ぼんやりと、うわごとのような言葉だ。わずかに身じろぐ弟の身体は震えていた。きっと今まで外を薄着のままでうろうろしていたんだろう。
斎藤くんが無言で僕にシーツを渡した。僕はそれを受け取って、自分の身体ごと、弟の身体に巻き付ける。

「まだ動揺しているようだな…少し眠るといい。そうすればまた落ち着くだろう」
「…うん、ありがとう、斎藤くん」

こういう時に気遣いができる彼の存在はとても貴重だ。

「(…弟と土方さんがくっついても、斎藤くんがいれば、僕はまだ寂しくないかもしれないな)」

そんな打算的なことを考えてしまう僕は、きっと斎藤くんにふさわしくはないのだろうけれど。


動揺を隠せない弟の頬が青白いのが気になって、僕は「眠ろう」と提案する。きっと昨晩も、まともに眠っていないのだろう弟は、無言で僕にしがみついた。

「…大丈夫だよ、大丈夫。僕はいなくなったりしないから。安心して、眠ってもいいんだよ」



――僕ら双子が一人で眠れない理由は、もしかしたら、置いてけぼりにされて、生き残るのが怖いからなのかもしれない。生きた体温がそばにないと、安心できないのだ。

「…大丈夫だよ…」


だからせめてと、自分にも言い聞かせるように、囁きながら僕はベッドに沈んだ。弟を抱き寄せて、ぎゅうとしがみついて。
ああ、やっぱりこの子の体温が愛おしいなあと、思う。




斎藤くんが、優しく僕の髪に触れた。褒められたみたいで、僕はそれを、嬉しいと思う。
目を閉じると、優しい闇が広がっていた。

パチン。音がしたのは、斎藤くんが電気を消してくれたのだろう。彼の気遣いに感謝して、僕たちはそのまま、眠りに落ちたのだった。





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