井吹くんは僕のことが好きらしい。
そのことに僕は気づいていた。

「(二週間くらい前からかなあ)」

彼はとても素直だから、目を見れば何を考えているのかすぐにわかるんだ――いや、違うな。今回の場合は少し特殊で、“僕の目が見れない”からこそ、わかりやすかった。
ちょっと目が合うだけで、さっと逸らされるし。すぐに頬が赤くなるし。
あと、アレだ。懇願するみたいに僕に触れるようになった。僕の身体を心配する瞳に、どこか、熱っぽいものが混じるようになった。
僕は、気づいていたんだ。
だからこそ、

「俺、お前のこと好きかもしれない」

放課後、誰もいないとはいえここは廊下のド真ん中。
――そんな場所で、真剣な瞳でそう言われた時は「こいつ馬鹿なんじゃないのか」と素直に思った。

「(男が男に向かって「好き」と言うんだから勇気がいったろうな。それはわかるけど…でもそれ以上に「かもしれない」って何)」

これが告白なのかそうでないのかすら訳がわからなくなって、僕は素直にその感情を吐き出した。

「…そう。だから?」
「え?だ、だからって言われても…だからだな」
「うん。だから?」
「だから!…あー…うう、その」

そして、彼は沈黙した。

「(…馬鹿だな、やっぱり)」

うんうん、と、僕は頷く。そして吐き捨てた。

「このへタレ犬」
「なっ、なんだよ、へタレって!」
「へタレをへタレと言って何か問題があるのかなあ。あのさ、君、僕を馬鹿にしている訳」

睨み付ければ、目があっただけで、井吹くんは鮮やかな狼狽の色を浮かべる。

「君、芹沢さんのこと、“好き”でしょ」
「ええ?!いや、ちが、…俺は芹沢さんのことはそういう目で見たことなんか…!」
「そういう目ってナニ」
「え、や、だから、」

……煮え切らない答えに、僕はますますと、苛々した。
この馬鹿犬は何もわかっていない。

「別に芹沢さんに限った話じゃない。斎藤くんだって平助だって左之さんだって土方さんだって――ああ、それからあの小鈴っていう子についてもそうだ。クラスメイトだってそう。それに限らず、昼寝だとか、アンパンだとか、そういうものだってようは君、“好き”な訳でしょう?」
「は、…え?」
「君の“好き”なんて言葉、たいして意味もないじゃないか。だいたい、かもしれないって何?そんな風に言われたって、“だから何?”だよ」
「え、と――それじゃあ、あ、あい、あいし……言えるかそんな恥ずかしい台詞!」
「馬鹿じゃないの」

呆れて言葉もない、とはこのことだ。井吹くんは赤くなった顔のまま、困ったような怒ったような不思議な表情で言い募る。

「じゃあどう言えばいいんだよ!」
「まずその疑問形を何とかしたら?童貞くん」
「なっ…」

彼の本気は知っている。目を見たら、――僕のこと好きなんだろうなってことくらいわかる。
気に入らないのは、彼のその告白だ。

「(そうだよ…なんで疑問形な訳。情けないったら)」

僕のこと好きなくせに。それはもう、わかりやすいくらい――本人にも伝わってしまうくらい、僕のこと意識しちゃってるくせに。

「…知らないよ、君なんて。ばーか」

ふん、と、僕はそっぽを向いて、井吹くんをおいてスタスタと歩き出す。
彼は追いかけてはこなかった。
たぶん、ぽかんと口を開けて、間抜けな顔で呆けているんだろう。
一歩、二歩、三歩…と進むにつれて、僕は隠しようもない焦燥にかられて、頬に熱が集まるのを感じた。

「(…腹が立つ…!)」

怒り心頭のまま、一度も振り返ることなく、僕はその場を立ち去った。





† † †






どうも今日は朝から総司の様子がおかしい。
いつも飄々としている男が、まるで土方さんのように眉間に皺を寄せている。
目線だけで人を委縮させまわっているあたり――実に子どもだ。

「総司。何に苛々しているのか知らんが、あまり周囲を威嚇するな。女子が怯えている」
「別に、どうでもいいでしょ。はじめ君には関係のないことだよ」
「………」

ふむ。
総司が俺に苛々の原因を話さない、というのは――いつものことだが。
俺のことも拒絶するかのようなこの言い回しだけは、少し珍しい。

「…そうか」
「そうだよ」

怒ったように昼飯のパンを一口二口食べ、いちごミルクで流し込んでいる。
俺もその隣で、食べ終わった弁当を片づけていた。
片づけながら、何気なく続けた。

「で、井吹がどうしたんだ?」
「………ッ、げほっ、げほ…!」

そうしたら、総司は思いっきりむせた。

「何だ。どうせ井吹がまた何かあんたの気に入らないことをしたんだろうと思ったんだが――違うのか?」
「な、…ッ、べ、別に、だから、はじめ君には関係ないことで…!」
「まあ関係ないと言えばないが。あんたの機嫌が悪いと迷惑をこうむるのはこちらだからな」

この男は、どうせこの苛々を次には土方さんにぶつけにいくに決まっているのだ。
そうなると、またぞろ校内で土方さんと総司の壮大な鬼ごっこが始まる運びになりかねない――言うまでもなく、そんな事態は避けるべきものだ。こいつ一人のせいでどこまで風紀が乱れるか、わかったものではない。

それにまあ、これでも一応は親友だ。ただ単純に苛々しているだけならば放っておくが、今回はそういう訳ではなく、なにか原因があるらしい。
総司はものすごく不器用だ。
どうせ井吹ともすれ違っているのだろう。

「(この男が“恋愛”するなどと、思ってもいなかったしな――ただでさえ誤解されやすい性格だ)」

少しはフォローしてやらねばという気持ちにもなる。
………。
まあ、俺も恋愛に関してはまるで助言できる土台がないのだが。

「何があった?」
「何って……」

総司は気をとりなおすように間を置いてから、…俺に言うべきかを悩んで、じきに覚悟を決めたらしい。低く、言った。

「…昨日、井吹くんに告白された」
「そうか。よかったな」
「よくない。ぜんっぜんよくない。あいつなんて言ったと思う?」
「何と言ったんだ?」
「“俺、お前のこと、好きかもしれない”――だってさ。何それ、ってなるでしょ。“かもしれない”、って何?いくら彼がへタレだって言っても、“好きかも”なんて中途半端な告白じゃこっちだって反応しづらいってば。ムードもへったくれもないし、だいたいかもしれないって何なのさ、僕はどう答えればいい訳」
「………」

率直に言えば、“かもしれない”がつこうがつくまいが、俺には至極どうでもいい。
井吹が総司に惚れぬいていることは傍目にもはっきりわかるほどだ。告白の内容がどうだろうと別段何も問題にならないと思うのだが…。

「ようはただの告白だろう。普通に受けてやればいいじゃないか」
「よくない、絶対嫌だ。だいたい井吹くんは馬鹿だよ、僕のこと好きで好きで仕方ないくせに。だったら素直にそう懇願したらいいじゃない?そんな生半可な告白で僕を口説き落とそうなんて生意気」
「落とそうも何も、」

もう落ちてるじゃないか、あんたは。
そう言いたいけれど、あえて口をつぐむ。
――総司には逆効果だからだ。こいつは、井吹のことに関しては何故だか非常に強がりで、何とか上位に立とうとする節がある。

「(総司の性格が歪んでいることは、もう言うまでもないことだが)」

それにしても、井吹も面倒な奴に惚れたものだ。少しばかり心配になってしまう。



…井吹が総司に対してありありと恋心を露出させるようになったころ。
そのことに気付いて、おおいに動揺した男がいる。
当の総司本人だ。

井吹が見せる何気ない動作だとか言葉に過剰に反応して、…なんとかそれを意識しまいと頑張っても、結局のところ総司は総司で、自覚させられてしまっているのである。

井吹が沖田を意識したから、沖田も意識せざるを得なかったのか――いや、もしかしたら、総司の方が惚れたのは早かったのかもしれない。鶏が先か卵が先か、それはわからない。
ようは総司の方も、井吹が気になって仕方がない状態だったのだ。
それでも、やたらとプライドの高い総司のこと。何故だか特に井吹には、弱みを見せたくないらしい。
絶対に自分からは告白しないと決めてかかって、好きなくせにツンケンした態度をついぞ崩さなかった。
そうして、いつ告白が来るかと待ち構えていた矢先の、ようやっと発された告白らしい井吹の台詞――

「拍子抜けとかいうレベルじゃないよ。まったくあの馬鹿犬!」
「仕方が無かろう。井吹はああいう男だ」
「そうかもしれないけど、好きかもしれない、だけ言ってその後の言葉は続かないしさ」

そもそもきちんと告白して、お願いだから付き合ってくれって懇願してくれたら、僕だって頷いてあげられたかもしれないのに――等と我儘極まりないことをぶつぶつ言う。

「僕が、だから君どうしたいの、って言っても、付き合ってくれとか、そういう言葉もないしさ。好きって伝えるだけだよ。何がしたいのあいつ」
「あんたと付き合いたいんだろう」
「だったら、付き合って下さい、くらいのことは言わない?」
「総司。男同士でそれを言うのは少しばかり垣根が大きい。それくらいわかるだろう」
「………」

ああ。

「(…これはわかってない顔だ…)」

井吹に同情しつつ、俺はため息を噛み殺して続けた。

「それくらいでそう怒るな。そもそもあんたが勝手に期待していたのだろう、井吹からの告白を待っていた癖に」
「……。別に告白の台詞が期待外れだから怒ってるんじゃないよ」
「?」
「…追いかけてきてくれなかった」
「………。はあ?」
「だから。僕のこと、追いかけて来てくれなかったんだよ」

総司は弱い口調でそういう。言いきってから、膝を抱き寄せて、そこに額を寄せた。

「あの告白の時、僕がこんなにわかりやすく怒ってるのに、引き留めてくれなかった。井吹くんはいつもそうだ。きっと僕のこと、そんなに好きって訳じゃないんだよ」
「………」

何故そういう話運びになるのか、いまいち理解できない。こめかみをおさえて聞き返した。

「何故そう思う?」
「井吹くんは単純なからかい言葉ならピーピー五月蠅く反応してくれるけど、…それ以外は僕が何言っても本気で怒らないし、悲しまないし、喜ばない。僕はこんなにあいつのせいで怒ったり悲しんだり喜んだりしてるって言うのに」
「ああ。そうかもしれないな」

井吹は総司に対して、どこか遠慮がちというか…本心を押し隠してしまうようなところがある。と、いうよりも、

「(たぶん、総司を掴みかねているのだろうな…)」

それはそうだろう、沖田総司という男は、理解しにくい性質をしている。
無理もないことだ。

「まあ、あんたと井吹は出会って間もない。距離を掴みかねているだけだろう」
「そんなことないよ。井吹くんに意気地がないのは確かだけど、それ以上に、」
「それ以上に?」
「………、なんでもない。とにかく僕は不満なんだ。井吹くんは、僕を追いかけて来てくれたことないんだから」

ぶすくれて総司は膝に顔をうずめる。

「…あの小鈴ちゃんって子だったら、すぐに追いかけて振り向かせて、フォローの言葉なりなんなりかけるくせに。僕だけ追いかけて来てくれないんだ。…僕が可愛くないこと言うからだろうけど、わかってるけどさ。なんか、むかつくじゃないか」

だからずっと無視してやるんだ。
妙に子供っぽいことを言い、総司は決意の瞳を伏せる。

……。
どうも、単に怒っているだけではないようだ。
総司も色々と、自分の感情と向き合うことが必要ということなのだろう。

これ以上は何を言っても無駄だと察し、俺は口をつぐんだ。






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