布団の中から見上げる世界は、いつも平淡で面白くない。木目の天井ばかりだ。いい加減見飽きたと文句を言っても無機物だから仕様がない。同じ平淡な無表情だとしても、どこかの誰かさんに文句をぶつけるのはよっぽど楽しいのに――などと思うと腹立たしかった。
ああ、つまらない。本当に、詰まるところがない。辟易しながら僕は、幾度目かの寝返りを打った。
うすぼんやりと、この場にいない人物のことを考える。
「(…沖田総司、は、斎藤一に恋をしている)」
口の中で噛み殺すように、言葉だけを浮かべてみた。口に出すには重すぎるように思ったからだ。
うん。やっぱり、どうかんがえても異常だ。
今日もその事実を再確認したところで、静かな足音が聞こえた。
「総司」
「………」
寝たふりでもしてやろうかと思ったけれど、その意味の無さに気づいて止めた。代わりに急いで布団の上に起き上がる――まあ、なんだ。寝込んだ姿など、弱い姿を見せたくないという、ささやかで子どものような意地である。「どうぞ」と声をかけると、一くんはさらっと軽い動作でふすまを開けた。
相変わらずきれいな瞳の色だ。一瞬でも目が合うと、思わず反らしてしまう。
「体調はどうだ」
「わざわざ見舞う必要もない程度には良好かな」
嘘ではない。
一くんは何を思ったのか、無表情は全く崩さずにその場に座った。
「どうしたの、何か用なのかな」
「あんたの看病に来た。取り越し苦労だったようだが」
「…ふうん」
たとえそれが土方さんからの頼まれごとだったとしても、嬉しいと思う自分はやはり妙だ。他人事のようにそう思う。
「土方さんの言うことばかり聞いているから、あの人の過保護がうつったんじゃない?」
「あんたは副長に心配をかけすぎだ」
「そうでもないよ。あの人は心配性すぎるんだ」
「………」
一くんは、じっと僕の顔を見る。それから、かすかに首を傾けた。
表情は精悍なそれなのに、その仕草が可愛いから思わず笑ってしまいそうになる。甘味屋の旦那が飼っている犬が、そういえば似たような動作をしていたことを思い出した。それを堪えていると、流石にむっとしたらしい一くんが、「何だ」と言ってくる。
「ううん、別に、なあんにも」
「あんたはわざとらしい嘘をつく」
「んー?」
にやにや笑う。やっぱり何か釈然としない顔だ。
「(ああ、やっぱり、好きだなあ)」
しみじみと思う。好きだ、という気持ちと、こんな些細なことが嬉しいだとか馬鹿なんじゃないかと、思う気持ちと。
一くんの傍はとても居心地がよくて、触れたいとか、触れられたいとか、――気持ちがまっすぐ彼の方に飛んで行ってしまいそうで怖い。歯止めをかける自我は臆病だが、感情の方は実に素直だ。
一くんは釈然としない表情だったが、話を変える合図のような咳払いをして、再び僕に向きなおった。
「あんたは、やはり副長のことを好いているのだな」
「土方さん?」
急に何を言い出すのだろう。
好き――という言葉は少し不釣り合いに思う。嫌い、という訳ではない。ないけれど、たとえば自分の身内に対しては好き嫌いの感情を通り越してそれが当たり前のような感覚があるように、土方さんとの関係もそれに近いものがある。もはや好き嫌いの次元にない、とでもいえばいいだろうか。
ともあれ、いきなりそんなことを尋ねられる意図がわからない。
「急に何を言い出すのさ」
「俺がここに来ると、あんたはいつも副長の話ばかりする」
「それはそっちでしょう。来るたびに土方さんの話ばかりするのは、斎藤くんの方だ」
ややむっとして、そう返す。そうなのだ。斎藤一は、土方歳三を慕っている。もしかしたら自分が斎藤一を慕うのと同じように、彼も土方歳三を慕っているのかもしれないと、邪推してしまうほどに。
「あんたは、副長を特別な意味で好いているのではないのか」
が。
意外にも彼は、淡々と――けれどどうあれ無視できない言葉を、さらっと口にした。
「何その特別な意味って」
「恋仲になりたいと思っているのではないかと問うている」
「はあ?」
ちょっと待て。何の話をしているのだ。
「冗談?」
「なにがだ」
「僕が土方さんを、って。笑えないんだけど」
「冗談ではない。俺は真面目に言っている」
「………」
「…………」
あまりのことに声が出ない。よりにもよって、彼に、土方さんを好きなどと誤解されていたとは――
「違うのか」
一くんは真剣な目でこっちを見ている。
僕は思わず――目を、そらした。
「…なんでそんな風に思ったのかな。というか、一くんは、僕に男色の気があるとでも思ってるの?もし誤解だったら、僕に斬られても文句言えないよ、それ」
「そうか?…悪意も他意も無いつもりなんだが」
彼は再び首を傾けた。可愛らしい仕草には、やはりそぐわない精悍な顔で。
「あんたに、誰か想う奴がいるのは事実だろう?」
僕は何も言わず、無言で彼を睨んだ。一くんは平然とそれを受ける。
――やはり、先に視線をそらしたのは、僕だった。
この人が何を考えているのか、自分にはさっぱりわからない。
そんなこと、言えるわけがないではないか。
混乱は布団の中に押し隠して、冷静になろうと、無理矢理笑みを浮かべた。
「いろいろと突っ込みたいところはあるけど。そもそもなんで僕に想い人がいるって確信できたの?」
「俺は色恋には疎い人間だが、最近、俺にも想い人ができた。それでそうと気づいただけだ」
さらりと、彼はそう言う。
「………」
「……なんだ、総司」
「いや。君にもそういう人がいるって、意外だと思っただけだよ」
僕は――にっこりと、笑う。
本当は倒れそうに心臓が鳴っていた。覚悟はしているつもりだったしそうだろうとも思っていたけれど、実際に聞かされると思ったよりも衝撃が強い。心臓に直に触れられたみたいだ。嫌悪感は彼に向かわず、すべて自分の心臓を突き刺している。
「(一くんの周りに、女の人の影なんてない。となると――やっぱり、土方さんか)」
そう考えるとすべてにつじつまが合ってしまう。
――僕が土方さんを好いているのだと誤解して、だからこそ、放っておけなくなったのだろう。
彼にとって自分は恋敵なのだ。
そうでなければ、彼が自分にこんな話題を振る理由が思い当たらない。他人の恋路になど好んで首を突っ込むタイプでもないだろうに、わざわざ僕にこんな話題を振ってきたのは、きっとそういうことなのだ。
彼に敵意を向けられているのかと、想像するだけでも気が滅入った。少し落ち込んで、それからだんだん、腹が立ってくる。
よくもまあ堂々と正面からそんなことを聞けたものだ。
イライラする。
この恋情に、早くけじめをつけろと言われているみたいで、それが寂しい。
「僕には、斎藤くんにそんなことを教えてあげる義理なんかないよ」
「それはそうだが、最近のあんたは見ていられないからな」
「どういう意味かなあ。僕はそんなに女々しく思い悩んでいるように見える?」
「そうではない。…あまり困らせるな、俺は言葉がうまい方ではない」
困らせるなと言いながらも、一くんは落ち着いている。内心ぐちゃぐちゃの僕は表面を取り繕うのに必死なのに、この差は何なのだ。やはり腹立たしい。
無自覚だろうが、早々に諦めろと言われている気になって、「もうとっくに諦めてるよ」と言い返してやれないその悔しさに――泣きたいような気分にすらなっている自分に、怒りがこみ上げてくる。
いっそ僕が好きなのは君だよと伝えて、狼狽する姿を笑ってやろうかとすら思った。
「(…まあ、本当に行動には移せないけどね)」
その場では笑えても、後々みじめになることが目に見えている。
「なら、ちょっとした遊びをしよう」
わずかな逡巡の後に、僕はやっとのことで、それだけ言った。
せめてもの矜持にいつもの悪戯っぽい笑みを顔に張り付けながら。
「遊び?」
「そう。僕の想い人を君に当ててもらうっていう、簡単な遊びだよ」
「それは土方さんではないかと先刻尋ねただろう」
「直ぐに答えを言っちゃつまらないじゃない」
「………」
「一週間、僕のこと見ててよ。それで僕の想い人が誰かを、斎藤くんが当てるんだ。一発勝負、外れたら僕の勝ちね。絶対に嘘はつかないって約束する」
「それで、答えが外れていた場合はどうなる」
「その時は、そうだなあ」
泣きそうになりながらも、僕はうっすら笑って告げた。
「…その時は、君の想い人とやらを教えてよ」
そして、僕の想いを殺してよ。
どうせ死ぬなら、――僕は、いとしい君の手で殺してほしい。
「わかった」
斎藤一は、彼らしい温度のない声で、直ぐにそう決断を下した。
「だが、ひとつだけ条件がある」
「何?」
「勝った方に、負けた方に一つだけ言うことをきかせる権利が欲しい」
「へえ?君が言うのは意外だけれど。まあ、それくらいした方が面白いかな――いいよ、そうしよう」
一くんが何を考えてそんな条件を出したのか、そんなことは考える余裕すらなく、
ほとんど上の空で、僕はそう返事をした。
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