「死を知らぬお前がわれわれと同じであるはずがないんだよ」
と、男は言った。暗く底の見えない闇の中で囁くその声が、自分には呪いの言葉に聞こえた。
唇を噛み締める。
お前もか、と思った。
嘲笑うかのごとく、男はさらに笑う。
「そうさ。俺たちは死を知っているし識っている。終わりを意識しながらそれでも生きている。それはみな共通の観念だ。生きている、故に死ぬ。なぁ、それくらいお前にもわかるよなぁ?」
笑う声。
責め立てる。
「当然だろう?生きている、死ぬ。表裏一体の、当然すぎる概念だ。法律だ。自然界の、この世の中の誰も抜け出せない法則だ。なのにお前はどうだ?すでに一線を超えているじゃないか。なぁ?どうなんだ永遠っていうものの気持ちは。幸せか、嬉しいか、お前はどう思っているんだ。永遠を願っているのか?だとしたらお前ほど愚かな者はいないよ。俺にはわかるね。わかるわかるわかるともさ。もちろん永遠の生なんて馬鹿馬鹿しいにもほどがあるもの、俺は持っちゃいない。だがあえて言わせてもらおうか、言う必要もない他愛のないことだが。ああ、そうさ俺はただの人間でしかない。そうさ。それが真実だ。
だがそれが、人間の域から出ていないという事が、どれほど幸せなことかお前はわかるか?」
応えられない。答えられない。ただ、口をつぐんで激しく男をにらみつけることぐらいしか、自分にはできなかった。男は笑う。口元だけで。
「わからないというならお前は本当に悲しい生き物だな。異端であることを不幸に思わない。異端であることを認識できない。なぁ、お前まさか自分を人間だなんて思ってないだろうな。それは大いに間違いだ。断言しよう。お前はすでに終わっている。終わったまま続いているに過ぎない。それでしかない。お前は通り越してしまったんだよ、お前の存在自体がすでに不運の塊だ。最大の不幸だ。お前は認識していないのかもしれないが、俺の目から見たお前は否応なく不幸だよ。不運だ。悲劇の塊だ。悲運の権化だ。悲しい存在でしかないね。大いに同情をそそる」
「私は、…」
やっとの事で口を開いてみるも、続きが思い浮かばなかった。
この男に対し、何を言えるだろう。何を反論するべきことがあるだろう。
あるはずがない。
男が言う事は全て嘘偽りなく微塵も疑惑の余地を挟まないほどに、真実だ。
男は、ああ、と気がついたように言った。
「そうか、違うな。これは失礼。お前はそんなこととうの昔に納得しているんだな。お前の不幸は別にある」
息をのむ。胸の奥が疼いた。駄目だ。それ以上いうな。それ以上言ったら、
「お前の不運は、お前が俺たちと同じになりたいと願っていることなんだな。そうか。お前は俺達みたいに、人間になりたいんだな。線の内側に戻ってきたいわけだ。確かにお前は一応つくりは俺たちとまったく同じであるようだし、そう願うのは当然とも言えるかな。だがそれゆえに哀れだ。実に哀れだ。お前よりも悲しい生き物を俺は見た事がない。異端、それも異端の中の異端。世界を探ってもお前みたいなヤツはいないだろうよ。普通を望む異端。実に滑稽だ。滑稽すぎてお笑いだ。なかなか気の利いた洒落を言うじゃないか。なあ、神様?」
「……っ、」
「俺達はお前を理解しない」
きっぱりと男は言った。
「理解しない。認めない。いつだって俺達はお前の存在そのものを否定し続ける。お前は自分が異端であると思い知って生きていく。死ねない体を持って生まれたその時からお前はそういう運命だったんだよ。
責められる。心臓がばくばく五月蝿い。黙れ。五月蝿いんだよ。
何を動揺している?何を思っている?何を悲しんでいる?何を。何を。何を。
「お前は生きていない」
男は歌うように言う。死のように、すとんと、その言葉のひとつひとつが胸に落ちた。
「お前は生きていない。死なないのだから、それは生きているとは言えない。死んでいるんだ。お前は常に死につづけている。終わりなく終わっている。常に、終わったまま、惰性で続いているのさ。だからお前はおれたちの対極だ。どうしようもなく対極なんだ。全く違う。俺達とは違う。生き続けている俺達とは」
「黙れ!」
気がついたら叫んでいた。沸き立つような心の奥底が、歪みそうに苦しい。
悲しい?
わからない。なのにこうもわかってしまう。わからないほうが楽なのにわかってしまう。
こんなにも人に近いのに、こんなにも遠い位置にしか、自分はいれない。
異端。
わかって、いるんだ。
「黙れ、わかってる、そんなことはお前に言われるまでもなくわかっている!理解もできないくせに喚くな鳴くな叫ぶな黙れ、俺が俺でしかないことなど、初めからわかっている!」
沸き立つ。どろりと、何かがあふれてからだから出て行きそうだった。
「わかっている?わかっていて望むのか?それこそ哀れ、哀れ哀れ哀れ、だ。道化だ。狂信だ妄言だ。
男はなお笑う。
「望む資格など、お前にあるとでも思っているのか?」
男が言った。笑ったままで。五月蝿い。声が五月蝿い。不快だ。いらない。いらないんだ何もかも。
知っている、そんなこと。苦しむために生まれてきたような自分に、救いの神すらもいないだなんて。
そんなこと、は。
「お前は醜いよ」
男が吐き捨てるかのように、言った。嫌悪を顔に出して。
「醜い。哀れにもがいて、なにもならないとわかっていてなおもがき続ける。哀れをさそいたいのか?同情して欲しいのか?幸せを得たいのか?」
「……、」
軽蔑したような目。
嫌悪。憎悪。異端を見る目。
「終わっているお前を本当にわかってくれるような存在がいる事を願うのか?」
「……っ、」
「汚い、醜い、それこそ本当に狂言だ。そんなやつはいない、みんなみんなみんな、この世にいるものはみんな等しく、」
男が笑う。嘲るような、薄ら寒い憎悪の篭もった笑みでもって、自分を責める。
「お前のことなんて嫌いだよ」
…その台詞が耳に入ったとたんに、自分の中の何かがうごめいた。
どくん、と体が波打って。
憎い、と、思った。目の前のこの男を。自分を否定する、この男を。
馬鹿馬鹿しい、くだらない。こんなことは、ただのウサ晴らしにもならない。わかっている。わかって、…いるのに。憎悪を表面に出すことを、止められない。
「それじゃあお前にはわかるのか、人間」
だから静かにそう言った。男が浮かべるような笑みを浮かべて。
「お前には言えるのか。死ぬべき存在であってよかったと。人は死ぬからこそ美しいのだと。本当に言えるのか?無様な死にざまを見て醜いと思ったことはないか。ああはなりたくないと、思ったことがないか。永遠に生きたいと、そう思った事は?」
男が眉をしかめる。俺は嘲笑った。
「そうさ、私は異端。私こそがバケモノだ。私のようなものになれば誰だって普通を羨む。望む。けれど私も元は人間だった。だからお前ら人間が私を嫌う理由はわかってるさ…妬ましいんだろう?」
羨ましい。永遠に幸せでありたいと、願うその気持ちが俺を嫌う。妬ましい、と。人がどんな目で自分を見ているのか知っている。この男が不死者を呪うのは、偶然それを手に入れた俺を殺したいと願うほど羨むからだ。そして俺が男を憎むのは、俺が異端であるから。
お互いがお互いを羨んで、止まらない。
「お前に問おう。死にたくないと願ったことが、一度もないと、お前に言えるか?」
男の笑みが酷く歪んだ。ぐにゃり、と、中心から、軌跡を描くように。醜く口の端が上ずって。けれど同時に、痛みをこらえるように噛みしめられた。
「お前は自分が幸せだと言った。いずれ死を知ることのできる自分は幸せだと。けれどその幸せは、死によっていつか奪われる。そして幸せだからこそ、お前は、永遠を羨む。永遠を妬む。私が憎いのは…そのせいだろう?」
いつまでこんなことを続けるつもりなのだろう。
死ねないことを憎む化け物と。死ぬことを嫌う人間と。
いがみあって、傷つけあって、最後には何も残らないのに。
憐れな神と人間はその一瞬確かに、憎しみを持って相対した。
「呪われろ、化け物」
「そう。そしてお前は呪われていないから死ぬんだよ、人間」
汝の隣人を愛せだなんて、どの口が言うんだ、神様?
死ねない男といずれ死ぬ男の話