“それ”を見つけた土方さんの行動は、早かった。
叱りつけるでもなく動揺するでもなく、――二人を引き剥がした。
セックスの生々しいアトを残した総司は酷く震えていた。慌てたように身体を隠し、憐れみを覚えるほど小さくなる。
その上にまたがるように顔を寄せていた白が振り向いた。
緋色の瞳が、土方さんを一目見て、緩む。
「(ああ、)」
その一瞬で全てを理解した。
震える兄の肩をそっと撫でてから、彼は――総司は、ふらりと立ちあがった。
「遅かったですね、土方さん。待ちくたびれちゃった」
「総司、…てめえ」
「何度も言わせないで、それは兄さんの名前だから」
荒くなった息を整えられもしないくせに、強がって一人で立ち、土方さんを突き飛ばす。
自分の愛する、兄の方に。
「……っ、何しやがる!」
「丁度良かった、今、一番いいところだったんだ。…ねえ土方さん、兄さんを抱いて?」
「――、は?」
「可哀想でしょ、後ろぐちゃぐちゃにされて。僕はこれ以上してあげるつもりはないから」
お膳立ては十分でしょ、だから抱いてあげてよ。
好き勝手にそう言って、兄を振りむき、にっこりと笑った。
「兄さんあのね、土方さんは兄さんのことが好きなんだよ?」
「――総司!」
「好き過ぎて大事にしすぎて手を出せなかったけど、ずっとずっと兄さんの事抱きたいって思ってたんだ。だからね、いいよ?ほんとは僕だけの兄さんでいてほしかったけど、それはもう、いいんだ。僕はもう、そんな我儘言わない――だから兄さん、土方さんと幸せになって」
たまに僕の相手もしてくれると嬉しいな。
そう言って、総司は綺麗に笑う。泣きそうな顔のくせに、悲しいくせに、ほんとうに優しい顔で。
「兄さんが土方さんと幸せになってくれたら、僕は嬉しいから」
それが精一杯の言葉だったらしい。
土方さんの制止の声を、総司は聞かなかった。まるで猫のようにするりと、足音もなく出ていく。
迷う暇など無かった。
「斎藤、…頼む」
副長の声に後押しされるかのように、俺は総司の後を追って廊下に出た。
総司の白い髪は、オレンジに染まりつつある廊下の中である種幻想的ともいえる異彩を放っていた。
――ふらふらしているくせにいやに素早く進む背中を捕まえたのは、部屋からだいぶ離れた、十字に道の別れた場所だ。
丁度俺の部屋が近いのは好都合だった。軽く抵抗されたが、体調も芳しくないこともあって、薄着の総司を部屋に引っ張りいれる。
椅子はそう居心地がよくないだろうからベッドの上に座らせた。兄と同様その場所が気に入ったらしい総司は、けれどリラックスした空気など欠片も無く、ただ目をぎらぎらとさせていた。
そんな総司の目の前にレモネードをつきつける。
「飲め」
「放っておいて。気分じゃない」
やけにツンケンした態度だ。
「…何を怒っているんだ?」
「怒ってないよ」
「だが、あんたの様子がおかしくなったのは俺があんたに接触してからだ」
「………」
答える気はないのだと示すように、総司はそっぽを向く。白い髪にならって驚くほど白い肌は、透き通っているのに血の気も見えない。
どことなく放っておけない顔だ。
――今にも倒れそうというか、不健康そうというか、…まあ、体調も良くは無いのだろうが。
ともあれ。
どうせこの男相手に腹の探り合いなど無意味だろうとタカをくくって、俺は直接的に質問を浴びせた。
「あんたは、何を考えてあんなことをした?」
「君には関係ないでしょ」
「泣きそうな顔のまま強がるな。そうやって他人を遠ざけるのは、あんたの悪い癖だ」
「……うるさいよ!」
レモネードを、総司は払いのけた。
プラスチックでてきたコップだから、そう大きな音は立たない。ただ、熱いレモネードが地面を汚した。
「君、邪魔なんだよ。わざわざ僕を部屋に招き入れて、慰めようって?思いあがるのもいい加減に、」
「思いあがりだと言うのなら、もっとそれらしい態度をとれ。あんたの態度は構ってほしくて駄々をこねる子どもにしか見えない」
「な…!」
スリッパが汚れるのも気にせず、俺は総司に近づく。
「言っておくが俺はもとよりあんたに利用されたくてここにいる。何を言っても無駄だ」
「………」
「それで気が済むのなら、罵詈雑言、好きに並びたてればいい。俺は別に構わない。…本心をひた隠しにされるよりよほど気が楽だ」
ちっ、と露骨な舌うちをして、総司は諦めたかのように肩の力を抜いた。
荒れていた目が、呆れたような、疲れたような色に変わる。
「…どうして土方さんは、君みたいなのを呼んだんだろう。君なんていらないのに」
「嫉妬か?」
「うるっさいなあ――そうだよ、悪い?君みたいなのに兄さんは絶対に渡さないから」
子どもめいたことを言って、総司はぽすんと、ベットに寝転がる。
「君なんかに兄さんは渡さない。兄さんは土方さんのなんだから」
「――土方さんの?」
「そうだよ。土方さんは君なんかよりずっと優しいし頼れるし――格好いいんだから」
総司が土方さんを褒めるなど、初めて聞いた。意外だな、と前置きを置く。
「…あんたのことだから、兄は自分のものだと言うのかと思っていた」
「兄さんに本当に必要なのは誰なのかくらい、僕だって知ってるよ」
……この言葉は俺にはほんの少し意外だった。
総司は、自分こそが兄の為に生きているのだと言う強い自負を持っている。それくらいは俺にもわかる。
それなのにこれではまるで、土方さんに兄を“譲らなくてはならない”と思いこんでいるような――
妙な感覚だ。
霞を掴むような、淡い――けれど確かな違和感。
俺の記憶の中の総司は、こんな男だっただろうか。
まるで何かを諦めてしまったかのような。
「(…血を吐きながら、激痛に耐えながら、それでも死より烈しい生にしがみつく。総司はそんな男だった)」
けれどその激情を、目の前のこの男は、別の方向に向けているように思えるのだ。
「…あんたは、それでいいのか」
「何が」
「あんたはその結末で幸せになれるのかと聞いている」
「はあ?」
「総司と土方さんが結ばることが、あんたの言う、“沖田総司”の幸せなのか」
「…幸せだよ。それが一番のハッピーエンドだ」
「それで、その世界では、あんたはどうなっているんだ?」
「………」
総司は、目を伏せなかった。ただその一瞬、すべての感情を消して、俺ではない何かを見据えた――ような気がした。
まっすぐな瞳だ。
「その未来に、僕はいらない」
「………」
「君がそんな顔してどうするのさ」
思わず目をしかめた俺を、総司はやっと、視界に入れた。こんなにしかと瞳を合わせたのは初めてだ。なつかしいあの翡翠ではない、緋色の、――強い意志が透けて見える。
「どういう意味だ」
「そのまんまの意味だけど?――言っとくけど、これ、土方さんにも兄さんにも、告げ口したら殺すよ」
「………」
「君に前世の記憶がどれだけあるか知らないけど。“羅刹”って知ってるでしょ?僕ね、あれみたいなんだ」
「羅刹、」
「そう。だからね、いつかどうせ死んじゃうの。そう遠くないうちに」
肺を犯す病は消えて無くならない。
羅刹の寿命は短い。そのことを総司はとうに受け入れてしまっているらしい。
「兄さんね、すっごく可愛いんだよ。夜だって僕が抱きしめてあげなきゃ眠れないし。変なところですごく頑固だったりするけど、甘えん坊で――気高いんだけど、脆い部分もあって――ほんとうに、綺麗で。大好きだから、ほんとは一人でおいて逝きたくないんだけど、それは仕方ないから。せめて土方さんにアトを任せて、安心して死にたいんだ」
あっさりとそんなことを口にする。ふと唇が緩んだのは、兄のことを考えて自然とそうなったのだろう。己の好きなものに対して総司はどこまでも素直で、純粋だ。やはり変わらないと再確認する。
俺の愛した男と同じだ。
「そういう訳だから、君には兄を諦めてもらいたいんだけど、どう?」
「どう、も何も――俺はもとよりにあんたから総司を奪うつもりなどないが」
「君の言うことなんて信用しない」
「………」
「…悔しいけど、前世の沖田総司にとって、斎藤一は特別だったよ。とてもね。兄さんも、あんたのこと少しだけど意識してる。だから僕はあんたを警戒するんだ。兄さんに近づけたくない」
「………」
そんなことを言われても。
困惑が顔に出ていたのだろう。総司は、軽く笑った。
「…まあ、でも、君も少しは利用価値があるかもね。そうだな、担保をとっておこうかな」
「何だ?」
「こういうこと」
総司は腕を伸ばした。熱い指が頬に当たったかと思ったら、そのまま首元を伝ったそれに胸倉を引き寄せられ、唇をふさがれる。
そのつめたい、けれど柔らかい感触に、カッと首筋が熱くなった。久しぶりの感覚に思わず大げさに身体をのけぞらせてしまう。
「……!」
「…ん…ふふ、間抜け面」
「あんた、急に何を…ッ」
「だってねえ、ほら。兄さんと土方さんがくっつくなら、君の相手は消去法的に僕じゃない?君が僕と恋仲になっちゃえば、兄さんも君を諦めてくれるかもしれないし」
「な、」
「うん、そうしよう。君は今日から僕の恋人ね」
「あんたは、…ッ」
何を言えばいいのかわからない。自分を大切にしろ、と言えばいいのか――いや、そういう問題でもないのか。
巧い言葉が浮かばず、結局当たり障りのない単語を投げる羽目になる。
「好きでもない男にこういうことをするな、自分をもっと大切にしろ!」
「……君、土方さんと似たようなこと言うから面白いね」
ぺろり、と、奪った唇の味を大した感慨も無く味わいながら、総司は俺を見た。
「僕がお相手じゃ不服?」
「不服だとかそれ以前の問題だ」
「頭の堅いことで」
「惚れてもいないくせに、恋人などとうそぶくのは止めろ。俺にとってはあんたも“沖田総司”だ。恋人だの何だのというお題目は必要ない。俺はあんたのためにここにいるのだから名目などなくとも好きに甘えればいい」
「………」
ふん、と、総司は頬をそらす。
「君もしつこいな。それは兄さんの名前だから」
「いいや、あんたも、だ。それに総司、あんたは勘違いしている」
「?なにがさ」
「そう簡単に死なせてもらえると思うな」
「はあ?」
「あんたは覚えていないかもしれないが、俺も、あの方も、相当に諦めが悪い」
「…………」
――なんの話だ、と言いかけた唇から、言葉は発されなかった。
なんとなく空気に呑まれているのか、何か思う所があるのかはわからないが、やけに神妙に俺を見る。
「…いつかの未来に自分が必要ないなどと、ニ度と口にできなくさせてやる。あの方もきっとそう言うはずだ。総司、あんたは、もっと幸せに貪欲になっていい」
「………」
む、と、眉にまるで土方さんのような皺を刻みながら、総司は瞳を揺らめかせた。
「――僕はもう十分に貪欲だよ」
「いいや、まだまだ、だ」
なんなのさそれ、と、とがった声で反論しようとする総司を適当になだめながら、俺はその隣に腰かけた。
なんだかんだいって、寂しいのだ。この男は。
強がりだけれど寂しがりな、総司の性根は知っている。
「(…荒れている、のは、)」
俺の存在が自分の立ち位置を揺るがすから、という理由を振りかざしているが、それだけではない。兄の――総司と土方さんの関係が、気になって仕方がないのだ。
この総司は兄と土方さんをくっつけようと頑張っているようだが、――やはりその事実は、総司の中に大きな寂しさを残している。あの二人がくっついて、この総司が平静でいられる訳がない。
忘れないでと、すがるような――必死さの浮かんだ瞳を、兄と土方さんに向けているくせに、強がるから。
せめて俺だけは傍にいてやらなくてはと、思う。
「(土方さんは、心配ないだろうが…)」
果たしてこの総司の思惑通りにコトが進むか。
…進む訳がないな、と、俺は尊敬する元上司の顔を思い浮かべて、溜息をついた。