あれはそう、たしか、物心ついてすぐの頃だったろうか。
一度だけ、僕は、兄の首を絞めたことがある。
細くてしなやかで、弱い首だった。実際その時その場にいた僕が、少し力を入れただけでそれはたやすく折れただろう。
僕はその時、無性に兄を憎く思っていた。
綺麗な翡翠の瞳が、楽しげに笑うその色が、羨ましいと――
「(兄さんはこんなに綺麗なのに、僕はこんなにも汚いから)」
僕の瞳の血色の赤や虚飾のような白い髪を、兄は愛してくれた。
だから僕は自分の瞳や髪をそう嫌いだとは思っていない。
けれど自分だけが人間ではないと知らしめるようなその異端は、僕を静かに追い詰めた。
兄とは違い、僕は怪我をしてもすぐに治る。
それだけではない、爪を切れば、斬ったはずの爪がさらさらと砂のようにほどけた。
僕の身体の一部は、僕をはなれると、砂のように消えてしまう。
血液だけは消えなかったけれど、それでも“人間”からは程遠かった。
僕の血を与えられたマウスは、狂いに狂い、檻に激しく身体を打ちつけながら死んでいった。
――この現象に理由をつけられるなら一つだけ。
羅刹だ。
僕は、羅刹なんだ。
血に狂った獣なんだ――
それが苦しくて怖かった。兄さんに知られたくなかった。
誰よりも傍にいた、誰よりも大好きで大嫌いな兄にだけは知られたくなかったのだ。
恥ずかしくて、辛くて、切なくて、惨めでたまらなくて。
だから兄の首を絞めた。みっともなく震える腕で、兄の細い首に僅かに体重をかけた。
世界に対するちょっとした反抗、というのもあったのかもしれない。
「ねえ、兄さん、覚えてる…?」
「ん、ぁ…ぅあ、あ…ッ」
「僕が、兄さんを殺そうとした日の事」
蕩けたようにきゅうきゅうと僕を絞める内側を、ぐるりと折り曲げた指先でつつく。兄はびくびくと震えて、自分の肩先に涙の跡を押しつけた。か細い喘ぎが降りやまない。
僕は、笑った。
あの時の兄さんと同じように。
「兄さんってさ、首を絞めても笑うような子どもだったよね」
兄はあの時も笑っていた。
泣きながら首を絞める僕を見上げて、ほんとうに綺麗に笑って見せた。
“どうせ殺せもしない癖に”と嘲笑うようで、でもどうしようもなく綺麗で美しい笑み。
「(だから、僕はこの兄にかなわない。この細い首をいつだってへし折れるのに、どうしてもそれができないんだ)」
この人の笑った顔が好きだ。死の間際だって笑って見せるようなこの人の儚さが好きだ。
沖田総司のすべてを、この人は受け継いでいる。
“殺してもいいよ”と笑うようなニンゲンなんて、化け物の僕よりもきっと人間らしくなんてない。
兄は誰よりも人間らしくなんてない、それでもただの、“人”だった。
「にいさん、」
兄さん、兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん。
誰よりも綺麗な、僕の。
「兄さん、」
僕はね。
あなたを救って死ねるなら、それは本当に、幸せなことだと思えるんだ。
兄さんは怒るかもしれないけれど、どうせ死ぬなら僕は、あなたに使いつぶされて死にたい。
でもね。
だから。
…斎藤一のような存在が、僕は、怖いよ。
僕が死んで、兄さんが傷ついて。
その傷が、僕にはとても嬉しいのに。
それを癒すのが斎藤一だ。
それは、とても、悲しい。
「(土方さん、)」
ああ、駄目だ、想いがあふれて止まらない。僕は兄さんを抱きながら、泣きたい気持ちを必死に隠していた。
「(どうせ死ぬなら、僕は――)」
それが泣きごとを口にする前でよかった。
何のためらいも無く開け放たれたドアのその奥に、驚いた顔の土方さんを見つけて――僕は、変な話だけれど、気を失いそうなくらいに、安堵していた。