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「いー兄。いー兄」

 

「…なんだい、萌太くん」

 

「僕って動物にたとえると何ですかね?」

 

「カエル。蛇。カマキリ。あとは…そうだなぁ…きゅうりとか」

 

「…共通点はミドリ色だけじゃないですか。というかソレ、動物じゃないでしょう」

 

「じゃあ、人間」

 

「動物で、って言ってるんですけど」

 

「人間だって立派な動物じゃないか」

 

「なるほど」

 

言って、萌太くんはまた目を下ろして手を動かした。

 

「………」

 

「………」

 

「………」

 

「いー兄。いー兄」

 

「…なんだい、萌太くん」

 

「僕の性格って、どうだと思います?」

 

「まあ、最低に最悪な感じかな」

 

「なるほど」

 

「………」

 

「………」

 

「…で、萌太くん」

 

「はい?」

 

「萌太くんは何故ここにいるのかな」

 

そこで。

ようやく、なにやら机に向かって手を動かしていた萌太くんが顔を上げた。

 

「何故、ってどういう意味です?」

 

「どうして鍵をかけたはずのぼくの部屋に萌太くんがいて、しかもまるで自分がこの部屋の主人であるかのように振舞っていているのか。そもそもどうやってこの部屋に入ってきたのか、そこらへんをぼくは聞きたい」

 

ぼくは両手に持ったスーパーの袋をどんと地面に置いて、そう言った。

ドアを開けたら、いきなり萌太くんの姿が目に飛び込んできたのだ。いくらぼくでも少しは驚く。

 

萌太くんが「あー」と意味もなく声を出して、「机がなかったんですよ」と言った。

 

「つくえ?」

 

「ですよ。僕らの部屋には無いもので、借りに来たんです」

 

「じゃあ、どうやってここに入ってきたのさ」

 

「窓から」

 

「…不法侵入じゃないか…」

 

「大丈夫です。証拠はありませんから」

 

萌太くんはにっこり笑った。

何も大丈夫じゃねえじゃねえかよ。

 

「窓の鍵くらい閉めたらどうです、いー兄。いくらオンボロアパートとは言え無用心にすぎますよ」

 

「不法侵入した側から説教されたのは初めてだよ萌太くん。まあ、別にいいけどね。取るもんなんかないし」

 

萌太くんは「いー兄らしいです」と言って、もう一度机の上に視線を落とした。そうして、「チャームポイント」だの「将来の夢」だのぶつぶつ言いながら、難しそうに眉をひそめた。

 

「…で、なにやってんの、萌太くん。まさか勉強とか?」

 

「まあ、宿題みたいなもの…ですかね」

 

「宿題?」

 

「姫姉から」

 

「姫ちゃんから?」

 

それはまた、奇異なことだ。

萌太くんはバイトで忙しいからあまり姫ちゃんとも会ってないのではと思っていたが、予想に反してそれなりにそれなりな関係を築いているらしい。

誰とでも仲良くなる性質の子だとは思っていたが、それにしてもその馴染みっぷりは凄いものがある。

 

「まさか姫ちゃん、年下の萌太くんにまで宿題を手伝わせているのかい?それはいけないな。学生としてのプライドはどうなる」

 

「いえ、そういう宿題ではなくてですね」

 

萌太くんはぺろり、と僕の前に一枚の紙をかざした。

 

「何だいコレ」

 

「サイン帳、とかいう」

 

「サインをするのかい?」

 

「なんだか卒業の記念だとか、学生時代の思い出だとか、そういうのの為に思い出づくりとして書くみたいですよ。学校で流行っているのだとかで、僕にまでまわってきました」

 

「へえ」

 

「で、これを書くにあたって不真面目に書くわけにもいかないので、困っているわけですよ」

 

「萌太くんは妙な所で真面目だね」

 

「まあ、そういうことです。ところでいー兄。僕の趣味って何だと思います?」

 

ぼくに聞くなよ。

 

萌太くんは真面目な顔で、首をかしげた。

 

「意外と見つからないんですよね。将来の夢とか――趣味とか」

 

「適当に書いとけばいいじゃないか」

 

「崩子だったら趣味は虫を殺すこと、って書いて終わりなんでしょうけどね」

 

「それはそれで殺伐としているというか何というか」

 

「趣味か…参考までにいー兄の趣味はなんですか」

 

「ぼく?ぼくは…」

 

…あれ?

 

「…何だろう」

 

いわれてみると、すぐに思い浮かぶ事はない。本もまあ普通によむけれど、趣味といったものでもないし、他に特筆すべきこともしていない。

まあ、別にぼくが頭を悩ませる必要は無いんだけど。しかしそれでも、いわれてみれば少し引っかかるのも事実だ。

 

「なんだか趣味が無いって言うと、適当に時間をつぶしているみたいな印象をもたれちゃいそうですよね」

 

「それは、どうかな」

 

「僕の場合はバイトで忙しくて、単純に自分の時間が少ないだけなんですけど」

 

そんなことを真面目に言う萌太くんだった。

確かに、そういえば最近アパートですれ違うことすら少なくなってきてるような気がした。

やはりこの年で自立というのは大変なことであるようだ。

 

萌太くんは、また何か唸って漆黒の髪をかきあげた。

 

「趣味かぁ。趣味。んー…僕も今度、崩子と一緒に虫でも殺してみようかな」

 

「それはやめようよ…ていうか怖いよ」

 

「じゃあ、虫を殺すという部分を省いて、妹と戯れることが趣味って言うのは」

 

「それはたぶん、ものすごく誤解されると思う。しかもそれ趣味じゃないし」

 

「んー…バイトは趣味じゃないですよね」

 

「趣味は空想です、とか書いとけばいいんじゃないの?」

 

「それじゃあ修行僧みたいじゃありません?」

 

萌太くん、ほんとうに存外真面目な性質らしい。真剣な顔で、あれこれ考えている。

 

「適当でいいじゃない。もういっそ寝ることが趣味とか」

 

「あ、それいいですね。ナイスですいー兄。採用させて頂きますよ」

 

萌太くんは嬉々として机に向かった。そして「あ」と声を上げる。

 

「どうしたんだい」

 

「………」

 

「萌太くん?」

 

萌太くんはしばらく何かを考えるように沈黙して、それから視線をあげてぼくを見た。

 

「もう一つ、宿題があったの忘れてました」

 

「何?」

 

「いー兄、ぷりくら、って知ってます?」

 

「プリクラ?」

 

思わぬ名詞がでたので面くらってしまう。萌太くんはうなずいた。

 

「ぷりくら、です」

 

「聞いたことはあるけど。写真がシールになるヤツだったよね、確か」

 

「…そうなんですか?」

 

萌太くんは、目を開いて驚いたような表情をした。

どうやら萌太くん、今風の文化には疎いらしかった。

 

しかしそれにしてもプリクラを知らないとは、なかなか化石頭だ。

 

「今時ゲーセンにも行ったことがないって言うのは有り得ないことだそうで、プリクラくらい経験してこいっていうのが姫姉の宿題――もとい、命令なんですよ」

 

「姫ちゃん、何をやってるんだ…」

 

「あまつさえ、撮ったぷりくらをこのサイン帳に証拠として貼れと」

 

「つまり、萌太くんのプリクラというレアなものを手に入れたかったわけか、姫ちゃんは」

 

気持ちはわからないでもない。

ぼくだって哀川さんあたりのプリクラがあったら欲しい。理由は甘酸っぱい感情からくるものなんかじゃ当然なく、なんかレアそうだからだ。

こんなこと言ったら殺されるかもしれないけど。しかしゲーセンにいる哀川さんというのは、意外とイメージがわかない。反対に零崎あたりはものすごく想像しやすいが。

 

萌太くんは、「ですですよ」と姫ちゃんの真似らしき事を言い、そうしてそりゃもう綺麗に微笑んだ。

 

「そういうわけで、ちょっと付き合ってくれますか、いー兄」

 

「ちょっと待って萌太くん。どこらへんが“そういうわけ”なのか僕にはさっぱりわからないんだけど」

 

「一緒に写ってください。一人で行くのは、ちょっと無謀な気がするので」

 

「なんでぼくが」

 

「その方が――姫姉も喜びますし、ね」

 

「は?なんで姫ちゃんが、ぼくが写ることで喜ぶわけ?」

 

萌太くんは嘆息してぼくを横目で見た。なんだか酷くあきれ返ったような視線な気がするのは、気のせいだろうか。

萌太くんは少しだけ肩を落とすと、「とにかくです」と言った。

 

「一回だけでいいですから」

 

「…いや、にしても野郎二人でプリクラってメッチャ痛いんじゃ…」

 

「一回だけでいいですってば。いいでしょう?」

 

「……まあ、別にいいけどね」

 

「いー兄ならそう言うと思ってましたよ」

 

萌太くんはクスクスと笑って、手に持ったペンを机の上に転がした。

そうして珍しく年相応の無邪気な笑いをこぼして、愉快そうに言った。

 

「それを見せたら崩子がどんな顔をするか、今から楽しみです。たまには崩子に自慢できるものが一つくらいあってもいいでしょう」

 

「うん?何の話だい?」

 

「こっちの話ですよ、いー兄」