少年は言った。
世界一美しいと言われる蝶よりも、泥のようにぬるんだ光を反する蛾の死に際が美しい、と。
ぼくは返した。
世界で最も美しいとされる蝶ですら、光に焦がれて身を焼かすこともあるのだろうかと。
死神は、ただ、笑った。
モルフォ蝶
「どうせならせいぜい精一杯に足掻くのがいい。手に入らないとしても、必死に手を伸ばすその姿はきっと、何よりも無様で美しいだろうから。それこそ炎に焦がれて身を焼く羽虫のように」
「羽虫のように?」
「そう。できるなら僕もそうありたいと思います」
くすり、と笑んで。
月明かりを背に死神は言った。バックに月をかかげた彼はぼんやりと輪郭が蒼く光って浮かび上がって見える。輪郭すらも曖昧で虚弱この上ないこの世界でこの少年の瞳は闇より黒く深く見えた。白い肌も現実感の全てを拒絶して見え、いっそ恐ろしささえ覚えるほど美しい。
だが。
目を見張るほど美しいその少年はしかしその美しさに似合わない醜い蛾の骸を手のひらの上に乗せていた。月の光にそっと押し当てるように蛾の骸を持ち上げる。綺麗な白い手のひらの上、不釣り合いな醜さを発するそれはしかし存在を恥じることなくそこにあった。少なくともぼくにはそう思えた。
少年の視線が醜い蛾の上をなぞってからやがてゆるりとぼくの方に向けられる。
「炎に包まれた羽がきらめくのは、きっとどんな蝶の羽より綺麗だとは思いませんか?」
ぼくはその瞬間目の前のこの少年を酷く恨めしく思った。
引きずり込まれそうで怖いのに、どうしてそんなにもまがまがしく美しいものをぼくに見せるのか。
ああ、ああ、そうだ。ぼくも一緒だ。ぼくもこの死する蛾と一緒なんだ。
炎に焦がれる羽虫の姿を想った。
「世界一とされるほど美しいきらびやかな蝶の羽よりも、醜い蛾の羽が炎に焼かれて赤く染まる、その一瞬が美しい?」
「僕はそう思います」
「だとしたら一番美しいのは、蛾自体ではなくて炎だよ。輝いて見えるのは錯覚。炎の光に目が眩んだだけだろう?」
それなのに、それに包まれて苦しむ姿が優美だと言うこの子は死につかれているとしか思えない。
死神はくすくすと可笑しそうに笑った。
「違いますよ。僕は何よりも死が美しいと思う、それだけの話です」
「そんなものは気狂いの戯言だ。死は美しくなんて無い」
「そうですか?」
「狂っているよ。生きたまま炎に焼かれる蝶を見て、美しい、だなんて」
「狂っていると言うのならば初めから狂っていましたよ…可笑しいなぁ。貴方が一番理解しているはずなのに」
くすくす。笑う。
死神は言の葉を愛おしそうに口にのせた。
「ねえ。終焉こそが永遠なのだとしたら、せめて死は刹那に砕けるべきでしょう?」
「………、」
どれだけ美しい蝶でも、燃やされればただの灰。世界一美しい蝶でも、燃された灰まで美しいわけがない。
灰を前にその美しさを語ることなんて、誰にもできやしない。
語れるとしたら、それはきっと死神だけ。
「だから」
死神は、笑う。
「せめて死よりも安らかに、砕けて散ればいい」
少年はライターで蛾の骸に火をつけた。
火。赤。燃えて。酸素を、食って。細胞を壊す。壊して壊して壊して壊して壊す。炭素の塊になるまで徹底的に壊される。その姿は意図も意味もなく概念すらもないただの物体でだからこそ哀しくて悲しくて愛しい。
可哀想に。
「蛾も、君にだけは殺されたくなかっただろうに」
だってそうでしょう?
「どれだけ精一杯炎に包まれても、この蛾よりもその炎に照らされた死神の方が美しいんだ。いつだって」
生きた灰は風に飛ばされて消えた。
今、ぼくが精一杯足掻いて燃やされて死んでいる。
世界一美しいとされるモルフォ蝶ですら 彼の前では堕ちるしかないただの灰なのだろうか?
ああ駄目だ、やはりぼくにはこの美しさを理解できない。
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