あれはぼくがこの死神に出会って、少しした頃の話だったと思う。

 

「いい家族になれそうで、安心しました」

 

たしか場所はアパートの裏、少し歩いたところにある日陰の駐車場だ。

少年はもうその頃には煙草に手を出していて、長い足を塀にもたれかけさせ、フェンスに座っていた。

当時ほとんど初対面のぼくらが、どうしてその場所、その時間に会話を交わしていたのかはついぞ思い出せない――たぶん萌太くんがぼくに気づき、純粋に、呼び止めたのだろう。

とにかく、理由は定かではないけれど。

ぼくと彼は、そうやって会話を交わしていた。

死神は上機嫌だった。

やっと息を吸う場所を見つけられたとでも言う風に、にこにこしながらとりとめもない話を続けていた。

 

それは、夢のような甘ったるいおとぎ話だった。

ただ、問題なのは、その“夢のような”話の主な登場人物がぼくらを含めた骨董アパートの住民たちだったことだろう。

 

「君は、初対面なのに、どうしてそんなにぼくらに執着してるんだい?ええと――」

「石凪萌太ですよ」

「そう、萌太…くん。君、ついこの間出会ったばっかりのぼくみたいな男を、よくもまあそんな風に持ち上げられるものだね」

「持ちあげてなんていませんよ。見たままを語っているだけです。いい家族になれそうですね、って――それだけを」

「それが持ち上げてるって言うんだよ」

 

ぼくは、家族なんて大事にするような人間ではない。

残念ながら、この少年の夢を維持させることはできそうにないな、と思っていた。

みいこさんは好きだけれど。

それでも家族だとは――思えなかった。家族が何かもわからないこんな男に、そんな幸せ、掴む権利などあるはずがないじゃないか。そういう気持ちで、肩をすくめる。

 

「残念だけど、ぼくは結構、酷い男だぜ?」

「あはは」

 

笑われてしまった。

 

「信じてないね。本当だよ?ぼくはひどい男だ。その点にかけてはちょっと自信がある」

「……変な自信ですねえ」

「まあね。とにかく――ぼくみたいな人間を、信じない方がいい。ぼくは“戯言遣い”らしいから」

「戯言遣い?」

「ま、詐欺師に近いかな」

「詐欺師――ですか」

 

なるほど、と、少年はまだにこにこしている。

ぼくはやや興を欠いて、この綺麗な顔をした隣人は、実は馬鹿なんじゃなかろうかと思った。

 

「よくこんな話を聞きながらニコニコできるね。ぼくは君の夢を拒否しているのに」

「いえ。僕の場合は、これが素なんですよ」

「……ぼくには近づかない方がいいって言ってるんだよ。それも伝わってないのかな?」

「いいえ」

 

伝わっていますよ。と、あっさりと少年は言った。

 

「ただ、それでもなお、ぼくはその詐欺師さんを信じようと思っているだけです」

 

だから、ね、と。

その時初めて死神の片鱗を見せて、少年は微笑んだ。

 

「信じていますから裏切ってくださいよ。僕がびっくりするくらい、とびっきり上手に」

「………」

 

ぼくはたぶん、酷く珍妙な顔で黙り込んでいたのだと思う。少年はくすくす笑った。

 

「僕はよほどの裏切りでないと、そうそう簡単に満足なんかしてあげませんから」

 

それは。

ぼくに無償の信頼を寄せるあの蒼とはまたまったく別の、それでいて酷く近しい、ある種の達観した意見だった。

死神らしく、同時に人間らしいとも言えるそれ。

不思議に思い、ぼくはまじまじと彼を見つめた。

 

おそらく正解は無い。

言うじゃないか――と、思った。

 

信頼に寄りかかるようにして夢を見るほど、子供でも無垢でもないらしい。

なるほどこの少年はぼくを信じているわけではないのだな、と理解した。彼は自分の夢を信じているだけだ。夢を語っているようで、その実まったくもって夢のない話をしている。

子供らしくない子供だ。

そう思い、ぼくは少しだけ興に乗って、答えた。

 

「まあ、ぼくとしても、できれば君の期待を裏切りたくはないけれどね」

「それは嬉しいです」

 

にこっと、彼は笑んだ。

かすかに残っていた火をかき消し、やれやれと、肩をすくめるようなジェスチャーをする。

 

「やれやれ、ほんとう、矮小な存在は困りますね。…立ち回りばかりが巧くなる」

「気持ちはわかるよ。ぼくもそうだ」

「いー兄は矮小な存在じゃないでしょう」

「似たようなものだよ。ぼくは、最弱――らしいから」

「最弱ですか。それはいいですね」

 

ぼくもそうなりたかったですよ、と、小さく。

そう言ってから、少年は手を振った。

 

「それでは、また」

「ああ――うん」

 

“それでは、また”

 

彼がそう言ったのを、ぼくは小さな違和感を持って聞いた。死の匂いがするあの少年はどうしてああもあっさりと“次”を籠めて言葉を発するのだろうと、無意識に思っていた。

 

今から思えばあの時のぼくもまた子供だったということなのだろう。

夢は必ず醒めるのだと考えていた。無意識の信仰がどれほど性質の悪いものか、知らないわけでは、なかったけれど。

あの死神は確かに夢を見ていた。

ぼくは――彼の信頼を上手に裏切れたのだろうか。

 

 

彼が話した夢のような話は、ぼくの隣でまだ寝音をたて、

彼がいない世界で、ゆっくりと眠るすべを得たけれど。

今にして思うのだ。





 

君は本当にそんなにまで悲しい夢を見ていたか?

 

 



 

 

 

 

 

 

 

 夢、まどろむ君へ。

 

メーデー、今日も世界は平和です。