バカップル万歳
窓から見える景色は、まもなく到来するであろう冬を予告しているようだ。色づいた木々は風に揺られ、秋色の空はどんどん遠くなっていく。
「はぁ…」
金曜日の朝八時。学校の玄関で木ノ下泰智は重いため息を吐いていた。ちなみに本日五度目。
「はぁ…」
これで六度目。
彼のため息の理由はただ一つ。明日からしばらく『彼女』に会えなくなるからだ。
彼女―――三木瑞希とは中学一年の夏頃から付き合い始めて早三カ月。今では全校生徒が認める学校一のバカップルに成長した。授業合間の休み時間、昼休み、放課後、そして休日には、必ず二人はイチャイチャしている。
彼女なしでは生きていけない。泰智は数日前、知人にそんなことを告げていた。その愛する瑞希と、彼女の所用のために明日と明後日は会えないのだ。毎週のように彼女の家に通っていた『彼女依存症』の泰智には二日間という距離はあまりに遠い。
考える度に憂鬱さは増していく。泰智は七度目のため息を吐こうとした。
「泰智君、オハヨ」
ポンと肩を叩かれて振り向くと、そこに彼女がいた。笑顔が眩しい。
「瑞希ちゃんっ!おはようっ」
先程までのため息はどこへやら、一瞬で泰智の表情は明るくなった。明るいというよりも、緩んでいるというべきか。
靴を履き替え、二人並んで教室に向かう。バカップルと言われるに相応しく、しっかりと手をつないでいた。過ごしやすい気候になってしばらく経つが、この辺りはただ暑い。むしろ熱い。
すれ違った少年がさり気なく目を逸らしていた。当たり前のごとく、二人は(少年の存在に)気付かなかった。
「…瑞希ちゃん、明日から会えないんだよね…」
「ごめんね、お父さんに泰智君も一緒にって頼んだんだけど…ごめんね」
会えないと言ってもたかだか二日である。
「お土産ちゃんと買って来るからね。お揃いのキーホルダー」
瑞希は手提げ鞄を胸元で抱きしめた。揺れる三つのキーホルダー。それらとまったく同じものが、泰智の鞄にもぶら下がっている。
「うん。でも…僕は瑞希ちゃんと離れたくないよ」
二人仲良く目に涙を浮かべ、廊下のど真ん中で見つめ合う。そのすぐ近くを一般生徒は呆れ顔で通過する。温度差が激しい。赤道直下と北極もしくは南極と言ったところか。
「瑞希ちゃん…」
「泰智君…」
二人だけの世界にどっぷり浸っている。他人などこの世に存在していないよう。これぞ超バカップル。
五分近く見つめ合い、さすがに満足したのだろう、二人は教室に入った。誰もいない。時計を見ると八時十分。遅刻魔だらけのこの学校では、これが日常である。
「誰もいないね」
泰智は締まりのない顔をしていた。この喜ばしいシチュエーションを用意した神様に感謝の意でも示すべきだろう。ちらりと瑞希を窺うと、こちらもニコニコしている。どうやら同じ考えを抱いたらしい。
「泰智君、来週のデートどこに行きたい?」
唐突といえば唐突に瑞希が口を開いた。この台詞がさらに泰智をとろけさす。真夏の屋外に数時間放置したアイスのようだ。すっかり溶けきっている。
「う〜ん、瑞希ちゃんの行きたい所」
「え〜! そんなの言われても…。あたしは泰智君の行きたい所に行きたいの」
バカップルを通り越して、もはやただの馬鹿である。
「瑞希ちゃん…」
「泰智君…」
どこかでも聞いた台詞のやり取りが始まった…。
余談だが、本鈴が鳴り響くまで誰も教室に入ることはなかった。
そして放課後、お決まりの通学路デートも終了間際。
「泰智君、あたしがいない時に他の子と…あんまり仲良くしないでね」
うつむきつつ瑞希は言った。その仕草に、泰智はノックダウン寸前である。
「心配しないで。僕が好きなのは瑞希ちゃんだけだから」
実に恥ずかしい台詞を、泰智はさらりと言い放った。うるさく鳴いていたどこかの犬が、ぴたりと静かになる。キザな台詞は全生物に有効らしい。
「うんっ。信じてる」
この瞬間永眠しても、泰智は本望だろう。瑞希に見られないようにあさっての方角を向いて鼻をつまんでいた。…鼻血か。
何はともあれ、良い雰囲気のまま瑞希の家に着いた。
「泰智君、バイバイ」
「またね」
瑞希が家に入るのを見届けてから、泰智は自宅へと歩き出した。瑞希のことを考えているらしく、嬉しそうで泣きそうな顔をしている。空を仰いで、道を見つめ。
…………この先何が起こるかは、言わずとも理解できるだろう。
うっとりとした表情で、ただ彼女だけを考える。
「あぁ、み―――」
ごぉんっ!
彼の真正面には頑固を誇る電信柱。
前方不注意の馬鹿には、もれなく激しい花火がついてくる…。