イジメって本当にあるんだなあ。

俺が最初に思ったのは、そんな、馬鹿みたいに単純な感慨だった。

ちなみに現状説明すれば、俺は、まあお約束な感じで…学校の屋上のさらに上、つまり階段が設置されている部分の上にいた。バカとなんとかは高い所が好きだ、とよく言うけど、実際俺は高い場所が好きだった。だから屋上の中でも一段と高くなった場所で昼寝を決め込んでいたのだが、しかしこうもボカスカやられては五月蠅くて眠ってもいられない。

むっくりと上半身を起こす。

こんなぽかぽか陽気で、物騒なことをしているのはどいつだ。やるならどっかよそでやれ。それだけ言おうと思っていた、のだが、……。

 

「…ん?」

 

てっきり一方的なものかと思っていたのだが、意外にもイジメられている男の様子が気丈だった。殴りかかろうとする男どもに、小突かれては距離をとり、たまに反撃し、必死に応戦している。

ぴんとたった背筋はすうと直線を描いていて、いわゆるいじめられっ子にありがちな不健康な印象は無い。

俺は身体を乗り出した、どっかで見たことがあると思ったら、最近転校してきた奴だった。確か名前は…長内、とか言ってた気がする。名前の通りどっか子供みたいな顔をした男だ。「お前らなんなんだよ」を先ほどから連呼していた。「お前らなんなんだよ!」と、叫びながら逃げる。避ける。そしてもう一度、言った。お前らなんなんだよ。

しかし追いかけている奴らの方がよっぽど「お前の方が何なんだよ」と言いたげな顔をしているように思えた。

おそらく俺と同じ印象を抱いているのだろう。

 

…イジメられているのに、元気な奴。

 

ちょこまかと逃げつつ、最終的に端っこに追い詰められた長内はわあわあ喚きながらも、何故か胸を張った。一対多は卑怯だぞ、と言った内容のことも言った。しかしそれは、当然ながら虐める側の男たちに一蹴されて終わる。

苛めっ子集団の中から一人の男が進み出て、長内を蹴り上げた。

 

「お前生意気なんだよ。でしゃばりやがって…いいか、このクラスは俺がしきってんだ!俺が一番偉いんだからな、お前は俺の言うことを黙って聞いてればいいんだよ」

 

見ればうちのクラスでも有名な、いばりんぼのガキ大将。顔を真っ赤にして、一番たくさん長内を小突いていたのがそいつなのだが、そいつがおそらく苛めっ子代表だろう。

クラスの男たちを従えて王さまごっこをするのが好きな、自称「クラスを仕切ってる」、その男の機嫌を長内が損なった。だからこの展開になった、と。そういうことなのだろう。わかりやすいなあ、と、俺は嘆息する。

ようは、転校生たる長内に、早いうちから自分たちで決めつけた順位を押し付けておきたいのだ。自分が常に上位にいたいのである。

 

これは、おそらく普通のイジメとは毛色が違う。長内が、「そうですね僕が生意気でした」と認めれば、明日からこの王さまの子分の扱いを受けることにはなるが平穏無事な学園生活が送れる。それだけの、いっそ儀式に近いやりとり。そう俺は分析した。

が、

 

「一番偉い?何言ってんだ。お前なんか、全然偉くないじゃないか!」

 

「ああ?!」

 

「クラスの覇権握ったくらいで威張ってんじゃねーよ、バーカ」

 

しかし予想に反して何故か長内は虐められている側にしては著しくふさわしくない言葉を吐いて、再度、胸を張った。

 

そして、叫んだ。

 

「いいか、天下の覇権を握った男でもな、部首をなくせばキリンなんだぞ!」

 

……。

 

意味がわからん。

 

思わず目を点にする俺に、もちろん長内は気付かない。

 

 

 

そしてその後、長内は男たちについに羽交い絞めにされ、思う存分ボコられたのだった。

 

 

 

「…なあ。お前、馬鹿だろ?」

 

昼休みが終わって。

屋上には、長内が仰向けにねっ転がっていた。「あー」とか「うー」とか言っている。地面に顔をすりつけて切ったのだろう、頬にちょっと血がにじんでいた。

眩しそうに目を開けて、顎をあげる。俺の姿を視界に入れて、それから、「うわっ」と言った。

 

「青野。見てたのか?」

 

「うん。…なんだ、お前、俺の名前知ってたんだ?」

 

いちおう、これがファーストコンタクトだったはずだ。

しかしまるで昔から友人だったみたいに、軽やかに長内は話した。

 

「そりゃ有名だしね。てか、」

 

ぎ、と、思いっきり睨まれた。

 

「助けろよ!見てたんなら!」

 

「どうして俺が見ず知らずの人間助けなきゃならないんだよ」

 

言いながら、ぼろぼろの風体の長内を見下ろす。

 

ちなみに、とっくの昔に苛めっ子たちの姿は消えていた。授業が始まったからである。

…意外に真面目な苛めっ子達に、思わず失笑してしまいそうだった。

最近のいじめっ子たちは、出席点を気にするらしい。

 

「よ、っと」

 

長内は腹筋を使って一気に身体を起こそうとしたようだが、先ほど腹を思いっきり殴られていたことを失念していたようで、思いもよらぬ痛みにうわあと叫んでころりと転がった。

 

「ぐ…負けない。俺は強い子!」

 

やっぱり馬鹿だ。

さっさと本題に入ろう、と、俺は、一歩長内に近づく。

 

「なあ長内」

 

「なんだ、青野。見てないで助けろよ」

 

「俺の質問に答えれば手くらい貸してやるよ。なあ、お前、なんか最後に言ってなかった?」

 

「へ?」

 

きょとん、と俺を見上げる長内の顔は、ほんとうに子供みたいだ。目が大きいのが原因だろうな、と、ぼんやり俺は思う。

 

「その答えが聞きたくて、わざわざあいつらいなくなるまで待ってたんだよ、俺。天下の覇権をとった男でも、部首をとればキリン、って。あれ、何」

 

「あ、あー、うん」

 

長内は痛みにうめきつつ、今度はゆっくりと、身体を起こした。

 

「あれさ、古文の時間にさ。ちょっと習ったんだよ。道長さん」

 

「ミチナガさん?」

 

「そ。ほら、この世をば、わが世とぞ思ふ、望月の、欠けたることもなしと思へばー、って詠んだ人」

 

長内は本当におもふ”“おもへばと、そのまま発音し、けらけらと笑った。

そこで、ああ、そう言えば習ったな、と、思いだす。小学校でも習った。藤原道長。

 

「でもさあ、道長、の、みち、って、部首をはぶくとさ、首、になるじゃん。首長だよ、クビナガ」

 

「……それでキリンなのか?」

 

「そーそー」

 

なんだそれは。

しばらくその意味を咀嚼するかのように転がしてから、俺は首を傾けた。

感想は一言で十分だった。

 

「意味わかんねえ」

 

長内は、また、けらけらと笑う。

 

「偉い人でもさ、部首が無ければ情けなく変わるってことだよ。クビナガだぜ首長」

 

「まず、その部首をはぶくって行為の意味がわからない」

 

「意味なんていらねんだよ。なんか面白いじゃん。摂政になった凄い偉いおっさんでもさ、時間がたてばこんな若造にクビナガ、なんて言われて笑われてんだよ。中学校のクラスの覇権握って喜んでるような奴なんかさー、全然威張れないって。偉くもないし。そう思わね?」

 

確かにあのいじめっ子達を「偉い」とはどうも思えないことは事実だ。俺は頷いて、

 

「とりあえず、お前、苛められっ子にしては格好良かったぜ」

 

それだけ言った。

きょとんと眼を丸くした長内は、どことなく猫を思い出させる笑顔を浮かべ、「当たり前だろ。俺は、今まで生きてきた中で、格好悪かったことなんて一度もないんだ」と、笑った。

 

となりのクラスのクビナガさん。