とろとろと、気持ちのいいまどろみの中。ふと風が頬をかすめて、少女は目を覚ました。

ふんわりと、それこそ羽の先がわずかながら触れる程度の感触はけれど意識を少しだけ覚醒させるに十分なもの。まだ半分眠りの状態にいるだろう少女は、瞼の表をわずかにくすぐる光に反応して、少しだけ、瞼を持ち上げた。

 

黒の世界がわずかに光る。いきなり叩き起こされた視神経は過剰とも言える働きを示したらしい、少女はわずかに眩しそうに目を細めてから、んー、とか、うー、とか唸った。寝がえりをうつ。

 

ぼんやりとした視界の中に、美少年が映った。

 

「………」

 

綺麗、という表現がぴたりと当てはまって外れない。いつも笑顔なはずの彼は、今はただ無垢とも言える寝顔をさらしているだけだ。

 

「………、」

 

美少年、大人びているとはいえまだ15歳。安心しきっているのだろうか、わずかに手を丸めて顔の横に持ってきているのが子供みたいだ。

 

なんとなく、無垢な寝顔が可愛く思えて、少女は眠る少年に手を伸ばした。適当に手を伸ばしたのだけれど、触れた場所がたまたま髪の毛だったので、そのまま撫でてみる。黒い髪に指を絡めた。さらりとした髪は今まで触れたどんな髪よりも手触りがいい。動物の毛みたいだ。黒豹とかの毛皮もこんな感じなんじゃないだろうか、あれ凄く触り心地よさそうだしなぁ…などと、なんとはなしに思ったところで、

 

「………」

 

目を開けた。

 

美少年の顔がどアップだった。

 

吐息すらも届きそうなくらい、物凄く距離が近い。

 

「っぎゃー!!」

 

がば。

ずるっ。

ごん。

 

「……っひ、ぐ」

 

…結果として。

距離をとろうとベットの上で思いっきり跳ね起きた少女は、勢いをつけすぎてベットの上から落っこち、無残にも腰を負傷した。

 

「…ったた…」

 

「……ん…、?…あれ…何してるんですか、そんなとこで」

 

さすがに騒ぎに気づいたらしい、眠っていた美少年…石凪萌太は、どうやら先ほどの「がばっ、ずる、ごん」で目覚めたようだ。まだ眠いらしく彼にしては珍しい半眼状態だったが、しかしそんな石凪少年の様子に気づく余裕すらなく、少女は必死のていで何とか腰から手を離すと、ベットの上にひょっこりと顔を出した。こちらは半眼を通りこして目が座っている。

 

「何してるんですか、はこっちのセリフだよ萌太くん!なんで萌太くんが、わ、私と同じベットで寝てるのさ…っ」

 

「え?」

 

「え?じゃないッ」

 

「……ベット…寝る…。……。…あー、眠っちゃってましたか。僕」

 

「…眠っちゃってましたか、ってあのねえ!」

 

どうやら少女の混乱の理由がいまいちよくわからないらしい、少年はわずかに首を傾けた。

が、怒った顔の少女を見、さきほどまで少女が眠っていたらしい場所を見、事情を理解したらしい。

「とりあえず怒っている人間の前では笑っておけ」と遺伝子に組み込まれているんじゃないか、と勘ぐってしまうくらい即座に、計算しつくされた完璧かつ嘘くさい笑みを返した。

 

「どうして、って言われても…貴方がお酒飲んで勝手にぐーすか眠っちゃったから、僕は介抱してベットに運んだだけですよ。その後眠くなって、僕もちょっと眠ってしまったようですが」

 

「なっ、だ、…そうは言っても何でこんな間近で…!」

 

「ちょっと近くで寝てただけでしょう、そんな嫌がらなくてもいいじゃないですか。同じベットで寝てるって言っても、別に布団の中に潜りこんでたわけでもなし。僕はベットに上体だけもたれかかって寝てただけですよ。…何か気にする部分でもあります?」

 

「それは、でも…っ」

 

「でも?」

 

「……くっ」

 

言い返す言葉が無くて少女は沈黙した。

なんだかわからないが物凄く悔しい。が、反論の言葉が浮かばない。

 

確かに、と、少女は思った。萌太くんの言う通り、普通だったら何も問題はない。そう、普通だったら。でも。

この子の場合、自分が美少年だって自覚しててやってるから性質が悪い、と少女は半ば本気で思う。普通の子ならばまだしも、寝起きがしらにいきなり美少年のどアップを見せつけられて無事でいれるわけがないのだ。だいち心臓に悪すぎる。…何か自信なくしてしまうし。

 

「……っ、……っ」

 

「反論できないなら、問題ないってことでいいですよね?」

 

しかしそんな少女の思惑などやっぱり知ったことでもないと言った風で、美少年は綺麗な笑顔で微笑みながらそう言うと、猫のように上品な欠伸をひとつだけこぼした。どうやら眠たいらしい。しかし流石に二度寝などと無茶なことは言わず、少年はちらりと少女を見やった。小さく笑う。

 

「困ったなあ。この程度でそんな大げさなリアクション取らないで下さいよ。怯えなくてもいいでしょう、取って食べやしないんですから」

 

「お、怯えてるわけじゃないよ!でも萌太くんの顔って綺麗すぎるから、なんかこう、…斥力を感じてしまうというか」

 

「…斥力…」

 

それはまた微妙な、と、顔で語っているような表情で少年は肩をすくめた。

 

「貴方が僕の顔に近づき難さを感じてるのはなんとなくわかってましたけど、困りましたねえ。そんな風に距離とられたら、僕が気軽に甘えられないじゃないですか」

 

「はい?…甘え…何?」

 

「ちょっと近寄っただけで逃げられちゃうのは、こっちとしてはつまらないんですよ。こう見えて僕、構ってほしがりなんで」

 

「…はあ…」

 

「そういうわけで、できれば早く慣れて下さいね。僕の顔に」

 

にこっと可愛く微笑んだ萌太少年の笑顔が黒い。

 

その笑顔に、とても嫌な考えが頭に浮かんだ。

 

まさか。

…まさかとは思うけど。

 

「…萌太くん」

 

「はい?」

 

「もしかして。さっきまで間近で寝てたの、わざとだったりしないだろうね」

 

「…あれ。どうしてそう思うんですか?」

 

「いや、私が早く萌太くんの顔に慣れるように、リハビリのつもりで、とか…ありえそうだし」

 

「違いますよ。そんな理由でこんなことしません」

 

「………そう?」

 

「単に、こんな風にしてたら物凄く驚いてくれるかなぁと思ってわざと間近で寝てみただけです」

 

「………」

 

めちゃくちゃ故意の上でのことらしかった。

思わず怒りでぷるぷるする少女に、少年は軽く首をかしげながら言う。

 

「可愛い悪戯じゃないですか」

 

「可愛くないッ、全然可愛くないよ!少なくとも私の心臓にとっては可愛いどころじゃない深刻なダメージをあたえたよ?!」

 

「いいえ?可愛い悪戯ですよ。僕がする悪戯にしては」

 

「……ぐっ、」

 

そうかもしんない。

というかこの程度のことでこれ以上派手なリアクション起こしたら、萌太くんのこと、余計に興に乗ってもっともの凄い悪戯されそうな気がする…っ。

 

などと本気で考えている少女に、萌太少年はにっこりと、やたら大人びた微笑みを浮かべた。

 

「大丈夫ですよ。僕は貴方の事が大好きですから。だから、心配せずとも嫌われるようなことはしません。安心して下さい」

 

…かと思えば、そんな告白じみた台詞を真顔でさらりと言ってみせる。

少女はがくりと肩を落とした。

 

「…ああもう、萌太くんはすぐそういう告白じみたこと言う…やめてよ、それも心臓に悪いんだから。だいたい萌太くん、いっつも簡単に愛してるだの好きだの言うけど、そう言う言葉ってとっても大事なんだから、そうみだりにつかっちゃ駄目だよ。誤解されちゃうよ」

 

「まさか。こんなこと、誤解されても構わないかな、って思う人と、この人は絶対誤解しないだろうな、っていう人にしか言いませんよ。それと一応、言っておきますけれど…」

 

くすり、と微笑む萌太くんの顔が気がつけば目の前にあった。深い瞳の奥が、見える、と、感じた瞬間に唇に指先の感触。萌太くんの綺麗な指が、私の唇に触れている。

驚くほど冷たいその感覚に思わずたじろいで、びくっと身体をそらしてしまった。

普通だったら思わず伸びてきた彼の指先を見ようと視線をそらしただろう。けれど私はそうしなかった。

…厳密には、そうしたくても、彼の瞳から目が離せなかった。

 

「…僕に愛されるのはそう難しいことではないですけど、僕に好かれることは、すっごく難しいことなんですよ?」

 

子供の顔で、大人びた台詞。綺麗な笑顔には何ら変わったところはないのに、…何故か。その目に見られていると思うと酷く、心臓が高鳴った。

 

「も、萌太くんは子供のくせにやたら大人びた言動と行動をとるね」

 

緊張のあまり裏返った声で少女は言う。ああ、駄目だ。どきどきする。心臓がうるさい。

 

「そうですか?やだな、僕はまだまだ子供を楽しみたいんですけど。…それに、貴方の前では子供でいたほうが得そうだ」

 

少年は微笑みながら、少女の唇に押し当てた指をついと離した。思わず見惚れてしまうような優美な仕草ではあったけれど、それが終わればもう、普段の萌太くんだった。

さっきまでの話など忘れたとでも言いたげに、声音もころりと変えて、問うてくる。

 

「それはそうと、そろそろおなか減りませんか?ごはんにしましょう」

 

「………。はいはい、わかりましたよー…」

 

…さっきまでの会話は、これで終わりだ。きっとすぐに、彼の中から消えて、ついにはころりと忘れてしまうだろう。

 

いつまでも萌太くんの台詞を忘れられなくて、後で何度も繰り返して思い出す自分とは違って。

 






…なんだかすごく不公平だ、と思いつつ、少女は痛む腰をおさえて立ちあがった。