曖昧な関係の幼馴染が、ずぶぬれの格好で俺の家にやってきたのは、夜のことだった。


ドアの外。そう肌寒い気温ではないが、それは「バケツをひっくり返したような」という表現がよく似合うような雨の日で。
湿気た空気はあいつの咽喉に悪くはないだろうけれども、傘をさすのが嫌いな総司が、ずぶぬれで俺を呼んでいるのではないかと想像してしまうともう駄目だった。
もののはずみ、ついうっかり、けれどその根本にあるのはどうしようもなく惚れたこの“弱み”。
いい加減に自覚するが俺もたいがいに馬鹿なようだ。

ともあれ。
もうドアを開けてしまった。時、既に遅し。それだけのことだ。普段ならこんなことはしないけれども(一度引き入れれば、総司は俺の弱みを突いて暴いて、気ままにふるまうに決まっている)、…めったに大声を発することがない総司が、普段とは比べようもなく切羽詰った助けを呼ぶものだから、戸惑いをはさむような隙間がなかったのだ。一言でいえば、“ほだされた”。そういうことだ。

引き入れた総司はびしょびしょにぬれていて。
それでも引き入れられた瞬間には、先ほどの切羽詰った雰囲気はどこへやら、もうへらへらと笑っていた。

「――こんばんは」

そうして上機嫌な声を出す。自分の思惑通りにコトが進んで嬉しいのだろう。そう思うと、腹が立った。

「身体弱いくせに雨に当たりやがって…冷えてるじゃねえか。すぐに湯を沸かすから、リビングで待ってろ」
「それよりも先にタオルくださいよ。このまま上がったら、廊下が水びたしになっちゃうし、」
「濡らしていい。上がってろ」

一刻も早く暖めてやりたいからとがった口調になる。そういうことが見え透いてしまうから、こいつが図に乗るのだ。…わかってはいても止められないのが、俺らしいところなんだが。

「何へらへらしてやがる。さっさと上がれ」
「だって土方さんが心配性だから面白くて。…ふふ」
「てめえのことはいろいろと頼まれてるんだよ!このせいで風邪なんてひかせたら、近藤さんにもミツさんにも顔がたたねえだろうが」
「まあ、そうでしょうね。今日のところは大人しく従ってあげますよ」

もうスニーカーもびちゃびちゃだ。この分だと靴下の中まで濡れそぼっているだろう。総司はその場で靴を脱ぎ、靴下を脱いで、ぺちゃりと落とした。冷たそうなとがったかかとで、フローリングにそっと触れる。

「床、冷たい」
「スリッパ出すから待ってろ」
「んー。あ、でも、濡れちゃうからいいです」
「ならさっさとリビングに行け。あっためてあるから」
「…ん」

割合素直に、総司はリビングに姿を消した。
急いで風呂を沸かし、ある程度浴室が温まったタイミングで総司を風呂に押し込む。びしゃびしゃになってしまった洋服は洗濯機へ放り込んで、はたと気づいた。替えの服が無い。

「…迂闊な…」

俺の服を貸すにしても――サイズが合うか自信がない。合わない俺の服を着たまま外に出るのは、総司は嫌がるだろう。そもそもがこの雨である。自信を持って断言するが、「泊まらせろ」という要求が来るはずだ。全力で断りたいところだが――俺の方も、この雨の中、総司を独りで返すのは気が進まない。
車を出そうか、とも思った。けれども学校が休みの日であるうえにこの時間帯、生徒を家まで送り届けるなど――誰かに見られたら厄介だ。そうでなくても総司は特別な身の上なのだし、神経は過敏にしていてしかるべきである。
となると、…ああ。
もうため息しか出ない。


惚れた人間と一晩を共にする。
普通なら喜ぶべきシチュエーションと言っていいが――恋人でもない、けれど恋心はお互いにきっと抱いてしまっているだろう中途半端な立ち位置の幼馴染に、加えて手を出してはいけない“教師と生徒”という条件が付いているとなれば――

「…、くそっ」

あの野郎は絶対に「一緒に寝よう」などとぬかすだろう。一晩中べだべたと甘えてくるに決まっている。
猫のように気ままにふるまって。俺の惚れた弱みをつついて、暴いて、――口づけを強請って、

幸せそうに笑うくせに、いつ触れられるかと、どこか怯えたように身体を硬くしている。
手なんて出せるはずもない。

「…喜べるか!」

惚れた人間と一緒にいることは確かに幸福感をもたらすものではあるけれども!
生殺し状態で一夜を過ごすことを考えたらどう考えても俺の精神にはマイナスだ。

「(頭がいてえ…)」






風呂上りの総司は俺の貸した少し大きなトレーナーを着ただけの姿でぺたぺたリビングまで歩いてきた。
そう。
トレーナーだけかぶって、袖を余らせながら、――そして裾をぎゅうと引き伸ばしたまま――

生足のままで。

「下を着ろ!」
「下着ならはいてますよ」
「ズボンをはけって言ってんだ!」
「だって土方さんのおっきいから、ずり下がって気持ち悪いんですもん」
「それくらい我慢しろ!いいからはいてこい!我儘言うならこの家から出ていけ!」
「………。僕の生足、興奮しない?」

させてどうする。
…させてどうする?!

「…本気で襲うぞ、てめえは」
「それは、いやだけど。ちょっとしたサービスですよ」

ふざけんなむしろそれ罰ゲームじゃねえか。
災難もいいところだ。
はあ、と、ため息をついて、眉間を抑える。――ふりをして、視線を殺す。
総司の、若くてしなやかな、どこか色めかしい素足から、全力で目をそむける。
…子どもだ子どもだと思っていたら、ここのところは妙な色気も付き始めていて、正直目に毒だった。

「土方さんの言うことなんて、素直に僕が聞いてあげると思います?」

にんまりと笑っているだろう総司が、楽しそうにそんな声を出す。そして気配は俺の前に移動する。ぺたり、と、眉間を抑える俺の頬に、湯上りでほかほかと暖かい総司の指が触れた。

「土方さんが寂しい思いしてるんじゃないかなって、急いで来たのに、帰れなんて酷いなあ」
「…はあ?なんで俺が寂しがるんだよ」
「なんでって。土方さん、本気で言ってます?」
「だから何がだよ」

寂しい?お前じゃあるまいし、俺がそんなことを思うはずがないではないか。
総司は、心から楽しそうに笑った。

「へえ?なるほど。寂しい人だなあ土方さん!」

……なぜだか機嫌よく、総司はそのまま俺の額に唇を落とす。

「おい、何しやがる!」
「可愛そうな土方さんに、僕からのプレゼント」
「はあ?」
「――1つだけ、質問するけど。今日は何月何日?」

今日が何日だと?………。確か。
五月の、

……。
………ああ。

「本気で忘れてたんだ?で、思い出させてくれる人もいなかったんだ?」
「…うるせえな。この歳になると誕生日ぐらいではしゃがなくて当然なんだよ」
「恋人がいれば話は別でしょうに。可哀想な人だなあ」
「うるせえっつってんだろ」
「まあ、可哀想なところが可愛いと言えなくもないですけどね」

ソファに座る俺のその膝に乗り上げながら、総司は俺の目を覗き込む。

「あんまり可哀想だから、今日だけあなたのものになってあげてもいいですよ」
「はあ?」
「僕が土方さんの、誕生日プレゼントになってあげるから、恋人ごっこしましょう」
「……そこ、どけ。あまり馬鹿なこと言うな、頭痛がする」
「僕のこと好きなくせに。こうやってくっつくのだって、本当は好きでしょ?嬉しいでしょ?」
「嬉しくねえよ、どけ」
「嘘つき」
「嘘じゃねえよ」
「じゃあ、僕のこと嫌い?」
「好きだからこそ憎らしいんだっつってんだろう。襲うぞてめえ」
「…それは、やだけど。ねえ、もっと僕のこと構って」
「断る。帰れ」
「やだ。ねえ、土方さん。……もっと僕を構って」
「だから、なんでそうなる!」

総司はその翡翠をぐいと俺に近づけて、今度は俺の頬に口づけを落とした。

「(…いや、待て。おかしい、)」

総司は普段、俺にキスをして来ない。仕掛けるのはいつも俺からだ。それはたぶん、過去に一度本気になりかけた時の、恐怖心がそうさせているのだろう。
俺が総司を抱きかけたことが、一度だけ、ある。

あれはたしか、総司が初めて俺に口づけた日のことだった。
その時の俺が、本気で抱こうとしていたのか――それすらもよく覚えていない。それは衝動と呼んで差し支えないほどの激しい感情の動きで、俺は総司を押し倒して、その身体をかき抱いていた。
特にこれといって酷いことをした覚えはないのだが、酷く怯えた総司の、その涙の浮かんだ瞳のことだけはよく覚えている。
こいつは性的なものに恐怖を覚えている。震え、怖がって、ぽろぽろ綺麗に泣くのだ。やめてくれと、懇願して――そうなると俺も、当然無理強いはできない。そうでなくても教師と生徒だ。抱くつもりなど、まったくない。
そういう訳で、俺と総司はキス止まりだ。恋人にもならない。お互いに好き同士でありながら中途半端な状態を続けている。それが総司のためだから、そうしているのだ。
…なのにその総司が今、「恋人ごっこ」と称して、俺にくっつき、つたない口づけを繰り返している。

「今日だけ特別です」

総司は俺の指を掴み、その柔らかさを伝えるよう、そっと唇を押し当てた。
普段から俺の理性を試すみたいな行動が目立つ総司だが、自分から俺に触れることは稀だ。
抱きしめろ、キスしろ、と強請るのはいつものことだけれど――今回のこれは、少しおかしい。

「おい、総司」
「なんです?」
「寂しいのはお前の方じゃねえのか」
「……。……。……なんで?」
「夜中に押し掛けてくるのは、まあ、いつものことだが。こんな土砂降りの雨の日に、傘も忘れるくらい急いで俺の部屋来るなんておかしいだろ」
「…おかしくはないでしょ、別に」
「………いや、どう考えてもおかしいだろ。なんかたくらんでるんじゃねえだろうな」
「…………」
「…………」

意味もなく睨み合うこと数秒。押し負けたのは、珍しくも総司の方だった。

「…僕はただ、あなたの誕生日の、…その、邪魔しちゃ駄目かなって、思っただけですよ」
「ああ?どういう意味だ」
「だって土方さんモテるから。だから、昼間に僕が来たら、邪魔になっちゃうじゃないですか」
「あ?」
「…だから、お昼間は我慢してあげてたんですってば!」

がまん。
…我慢?
それは俺が思うに、総司からもっとも縁遠い単語なはずなのだが。

失礼なことを考えていたのがわかったのだろうか。総司は眉根を寄せて、俺を睨み付ける。

「お昼間はみんなに譲ってあげてもいいですけど。夜、誰かと、誕生日を二人で過ごす土方さんを想像したら、すごく嫌な気分になったんですもん。だから急いで来たんです。悪いですか」
「………ああ…?」
「……まあ、杞憂だったみたいですけど。一年の、国語の、女の先生。今日、一緒じゃなかったんですね」

総司は、俺を睨み付けるのをやめて、俺の肩のあたりに額をすり寄せた。猫が甘える動作に、それは酷く似ている。

「(…、ああ、そういえば)」

一年を担当している若い女教師。
どこかに食事でもと誘いを受けたような気がする。仕事がたまっているからと断ったが――
そういえば今日は誕生日だった。
あの女教師は、何かを期待して俺を誘っていたのだろうか。
…で、この馬鹿はそれを知っていて――

「…我慢したのか。お前が?」

たぶん、恋人でもない自分が邪魔をしてはいけないと、変に気を遣ったのだ。
その我慢がきかなくなったから、ずぶぬれになってまで急いでここに来た。
誕生日の夜に、俺が誰かと二人きりでいるのではないかと不安になって――

「もし俺が家にいなかったら、どうするつもりだったんだ」
「誰かとよろしくやってるんだなって、たぶん、泣きながら家に帰ったと思います」
「………」
「土方さんが寂しい人で、よかった。…お誕生日、おめでとうございます」

可愛いことを言いやがって。
我慢できずに思わず抱きしめると、総司はすんと鼻を鳴らして、嬉しそうにすり寄ってくる。

「ああ。ありがとよ」
「…ん…土方さん、キスして」
「駄目だ」
「ええ、なんで?」
「お前、舌入れるつもりだろう。…そんなことしてうっかりその気になったら困るだろうが」
「…むう。わかりました。じゃあ、舌入れないから」
「あのなあ」
「バードキスくらいいいでしょ、誕生日なんですから。ほら」
「………お前何しに来たんだよ」
「誕生日の名目で、土方さんとイチャイチャしようと思って来ましたけど何か?」
「あのなあ!」
「だって。だって寂しいじゃないですか。誕生日なのに我慢したんですもん!もっと僕のこと構って!」
「俺の誕生日なのにどうして俺がお前の言うこと聞いてやらないといけないんだよ!」
「じゃあ土方さんが僕に何かしてほしいこと言ったらいいじゃないですか!」
「なら帰れ」
「それ以外で!」
「…なんなんだよお前は…」

抱き合いながらのこの会話である。誕生日を祝おうとしてくれるのは嬉しいが、…好きな相手とこうして体温を分け合って、俺が何も感じないとでも思っているのだろうか。
無自覚というわけではなく、意識的に煽ってくるのが厄介な所だ。

「(抱かれるのが怖いなら、煽ってくるなよ…!)」

物凄く疲れる誕生日になりそうだ。

「総司、頼むからそんな無体を言うな」
「…今日の僕は、土方さんのものになってあげるって言ったでしょ。なのに食べないんですか?」
「あのなあ…抱こうとしたら怖がるくせに、なんで自分から煽ってくるんだお前は」
「抱かれるのは怖いけど、土方さんとイチャイチャしたいしキスだってしたいんですってば」
「ふざけんな!べたべたしてキスしてその上で手を出さずに耐えろって、お前男にとってそれがどれだけ辛いことか考えろよ!」
「僕は辛くないですもん」
「あのなあ…!」

本気で襲ってやろうかこの野郎。
泣きわめくのを無理やり押さえつけて、身体中撫でまわして、口づけて――
…でも駄目だ、そんなことをしたら、こいつの心を壊してしまう。
総司は俺を信頼してくれているのだから。

「ああああああ、わかったわかった、わかったよ。ったく、そこまで言うなら」
「何?僕に何してほしいんですか?」
「肩でも揉んでもらうか」
「……おっさんくさい」
「うるせえよ!」

できるだけ色っぽい雰囲気に持っていかずに総司にできる命令なんてこれくらいしかねえんだっつの。
仕事手伝わせるわけにもいかねえし。

とにかく、この体制で長い間いるわけにはいかない。俺は総司の身体を引きはがし、ソファの隣に置いた。総司は割合素直にそれに従ったが、その表情はものすごく、不満げだ。

「…土方さん、僕、土方さんとイチャイチャしにここ来たんですけど…」
「却下だ」
「夜は?夜は一緒に寝ていいですよね」
「却下だ。俺はソファで寝る」
「…………」
「頬をふくらますな。可愛くねえぞそんな顔しても」
「別に土方さんに可愛いなんて思ってほしくないからいいです。ふん」

言うなり、俺の背後に回った総司が八つ当たり気味に俺の肩に全体重を乗せて指を埋め込んでくる。物凄く痛い。

「おい。おい総司。それは肩もみじゃねえ、肩の骨狙って全体重かけるな痛い!」
「すいませんね、不器用なもので!」
「……」
「…土方さんの、ばーか。もう誕生日なんて祝ってあげないですからね」
「別にかまわねえよ。誕生日なんかではしゃぐような歳でもねえしな」
「……いじわる…ッ」
「ああ、わかった、わかったから泣きそうな声出すな。くそ、」

……。
物凄く迷ったけれども、総司の機嫌を良くしておかないと、この先どんな暴走をされたかわかったものではない。



「…キスなら、明日、帰り際にしてやる。それでいいだろ」
「!」

ぱ、と、一瞬でわかりやすく明るい顔をした総司が、身体を乗り出した。

「…舌いれるやつ?」
「ああ」
「ほんとに?…してくれるの?」
「帰り際、一回だけだぞ」
「うん!それでいいよ」

一気に機嫌をなおした総司が、俺の肩を丁寧にもみほぐす。わかりやすい。
今口づけてしまえばその後の時間が苦しいが、帰り際ならまあ、なんとか。
そんな打算を打ちつつも、楽しそうにしている総司を見ると、…まあ、なんというか、悪い気はしない。

「(こういう時は可愛いんだがなあ。…夜は、辛いが…)」

何はともあれ一晩を共に過ごすという事実には変わらない。気を引き締めつつ、総司が甘えたがるのを、俺は適当にいなし続けるのだった。






Happy birthday , darling !  












お題:『今日だけあなたのものになってあげてもいいですよ』








土方さんが大好きです。やっぱり土方さんがいてこその薄桜鬼!(`・ω・´)
お誕生日おめでとうございますv