「(なんで。どうして。意味がわかんない。…こんなの、)」
ずかずかずかずかずか。
と、擬音が立ちそうなくらいのスピードで、僕は廊下を闊歩していた。
駆け足、という感じではないけどやたらと速足で歩くから、たぶん子どもの全速力よりも早いくらいの速度は出ている。
理由は簡単だ。
――今、きっと、僕はとても情けのない顔をしていて。
注目を浴びたくはないから走ったりはしないけど、早く一人になりたいから早足になっている。
「…ああもうっ、」
バタン!
僕は苛々をぶつけるように教室の扉を開けて、鞄を持つと一目散に学校から逃げだした。
ことの始まりは数時間前。
朝方、いつものように風間と喧嘩したから、あんな奴もう知るかと思って無視をした。
…でもまあ、それでも放課後になると風間はそんな喧嘩など無かったみたいにケロリと追いかけてくるから(もはや日常風景と貸しているやりとりなのだ、僕と風間の鬼ごっこは)、今日の放課後もどうせその流れになるだろうと思っていたのだけれど、この日風間は現れなかった。
あの五月蠅いのがいなくてむしろせいせいしたと、その時の僕はその程度のことしか考えていなかった。ほんとだ。それなのに。
そんな僕の余裕は、放課後、つまらなさそうな顔をしている風間と、その風間に抱きとめられて嬉しそうな顔をしている女子生徒を見た時、ふっとんだ。
たぶん女の子は、風間のことが好きなんだろう。ぽっと赤くなった頬、恥じらうように肘を内側に入れて、細い華奢な腕で風間に触れていた。
風間の方はつまらなさそうな顔ながらも、…バランスを崩した女の子を支える意図で差し出していただろう腕を引っ込めることはなかった。
女の腕には、可愛らしくラッピングされた、何かお菓子の類であろうと思われる箱。それを風間に差し出し、恥じらう表情を見せる女の子を前に、――僕はかっと頭が熱くなるような感覚に襲われた。
咽喉をつきそうになった言葉は「さわらないで」「それは僕のだ」の二つ。
びっくりした。
風間は僕のものじゃないし、触るなと強制する権利だってない。
わかっていた上でそう“叫びたくなった”、自分の心が不可解だった。
そして直に理解した。これは、嫉妬なのだと。
「―――!」
気付いてしまったらもうたまらない。
よりにもよって――
…そう、よりにもよって、だ。
「(…あいつに…この世で一番いけすかないあの男に!)」
はじめてまともに僕を打ち負かした、自信家で、我が強くて、どうあっても僕と相性がいいとは思えないあの王様のようなあいつに。
この沖田総司がいつの間にか恋をしてしまっていたなどと、認めてやるなどと。
この沖田総司ともあろうものが――
「………」
いや、ぶっちゃけた話別にそんな大げさな理由じゃないんだけど。
だって僕もう新撰組の評判とか気にする必要ないわけだし、風間とも敵同士って訳じゃないし(ある意味で心の敵だが)、認めても問題があるわけじゃないんだけど。
それはそれでなんか悔しかった。
理由なんかそれだけで十分だ。
「腹立つ…一週間は口をきかないでいてやろう。うん、決めた」
勝手にそう心のなかで呟いて、僕はずんずんと家へいたる道を歩く。
「………」
そして、やおら足を止めた。
苛々がそのまま足音に出ているみたいで、自分で自分の足音が耳触りで。
そしてそれ以上に耳触りなのは、
いつもよりも大きな足音を立てる僕の、さらにその上にもっと大きな足音をたてて、ずかずかと僕の後ろを追いかけてくる、その足音。
「…何やってんの、君」
思わず声を発してから後悔した。
しまった、一週間は口をきかないでいてやろうと思ったのに。
…まあいいか、こうなったら仕方ない。
少し待てばずかずかと大きな足音は僕のすぐ後ろで止まった。振り返ればやっぱり風間の姿が目に入る。いつもどうしてこう派手なのかと頭を覆いたくなるような白ランだ。ちなみにこの白ラン、僕の中で「一生の間に着たくないランキング」堂々の一位である。
「誰が勝手に帰ることを許可した?貴様は我が生徒会の一員としての自覚が足りんな」
「君の寝言もいい加減聞きあきたよ。僕そんな組織に入った覚えはないし、あんたにそんな偉そうに命令されるいわれもない」
「ふん…猫は生意気なところが愛らしい、と言うが、貴様は引き際をわきまえるべきだな。この俺がこうして貴様を追ってやったのだ、光栄に思え」
「僕なんかより女の子のお尻でも追っかけてなよ婚活鬼」
そのまま僕の足は自宅へ向かう道を選――ぼうとして、止められた。
腕をとられるとか手をとられるとかじゃなく、当たり前みたいにまわされた、腰を這う手によって。
「……ッ!」
悲鳴をあげなかったのは僕の努力のたまものだ。呼吸ごと殺して何とかそれをやりのがした僕は、すぐさま風間の足を踏みしめる。
「男にセクハラとか何考えてんの馬鹿!死ね!」
「抱きしめて欲しそうな顔をしながら何を言う。素直にねだればいいものを」
そんな顔してないし!
ていうか抱き締めるって普通こう、ぎゅって、腕で肩あたりを引き寄せる行為を言うでしょ?
なんで腰なわけ。
「(…スケベな意図が見え見えなんですけ、どっ…!)」
踏みしめた足に思いっきりぐりぐりと力をいれる。普通の人だったら悲鳴を上げて涙目になっても可笑しくないくらい強く踏みしめているのに、風間の目は余裕のそれで――
ちっ、と、わかりやすいくらいの舌うちをしてやった。
「…ここ道路なんですけど。一般市民の目に触れるんですけど。ご近所の視線が痛々しいんですけど」
「愚民の視線など気にすることもあるまい」
「君の事はどうでもいいけど近藤さんに迷惑かけるわけにはいかないの。こんなとこで腰を引きよせるとか君ってほんッとに馬鹿だよね、救いようがないよ。救う気もないけど。…とにかく」
場所が悪い。
変な噂でも立てられたらことだ、と、思って僕は風間をねめつけた。
「………」
ら。
なんだろう、真正面から風間の顔を見つめたら、先程の光景がフラッシュバックしてなんとも言えない微妙な気持ちになった。
「(しっと…)」
嫉妬。嫉妬なのか、これは。
こんな偉そうな男、どうなったって構いはしないと思っていたのに。
他の女に盗られるかもしれないと思っただけで、こんなにも惜しくなるのか、僕は。
「………」
そう思ったらなんとなく胸が痛いような苦しいような。
非常につまらない展開に、僕はいささか狼狽する。
腰を抱き寄せられたまま、顔を見られたくなくて俯いた。とにかく、今このまま道路のど真ん中を占拠している訳にはいかない。
「ね、ねえ」
「……?どうした?いつもの威勢が無いが」
「場所、変えて。ここだと誰に見られるかわかんなくて嫌だ」
「………」
たっぷり数秒の間を置いてから、風間はくいっと僕の顎をすくいあげた。
しかも色っぽい囁きを耳元で。
「ふん、こんな昼間から随分大胆な誘いを――貴様もようやく素直になったか」
「殺すよ」
誰が外であんたとセックスなんかするものか、これは単に外聞を気にしただけで――ていうかちょっと待ってよ。
貴様“も”って…まさか他にもそういう前歴があるってこと?
「(…前はこんなこと全然全くこれっぽっちも気にならなかったのに。こんな我儘な男に本気で惚れる人なんてまずいないだろう、いたら笑ってやろうってくらいに思ってたのに)」
自分がそうなってしまうだなんて――笑うどころじゃない、なんという体たらくだ。
「(悔しい)」
なんかこうなると風間の前の恋人の話とかちょっと気になってしまうじゃないか。
どんな女を抱いて来たのかとか初恋は誰だとかその人とはどういうことをしていたのかとか、その他諸々。
聞いたってどうにもなる訳じゃないってわかってるのに、何となく。
この男に、僕以外で触れた人間がいることが何よりも。
「…僕は、あんたの所有物になるなんてまっぴらごめんだ」
むしろ君が僕のものになればいいんだ。そうしたらずっとずっと、憎まれ口を叩きながら傍に置いてやらなくもないのに。
ああ、でも、
この男は僕のものになんて絶対ならないだろうな。
僕がこの男のモノになることを望んではいるけれど、逆はきっと、望んでない。
だって風間はとっても我儘な男だから――
そしてそれは、僕もだから。
「何を言うかと思えば。貴様は既に俺のモノだ、拒否権など無い」
「僕は君の手下でもなければ恋人でもない、よって君の言うことに従う義理なんてこれっぽっちもない。だから離して」
「…離したら離したで寂しそうな顔をするくせに、よく回る口だ」
「そんな顔してません。目が腐ってるんじゃないの?僕が潰してあげようか、その両目」
「できもしない大口を叩くな。…何をそんなに拗ねている?」
「拗ねてないし」
「いいや拗ねている」
「拗ねてないし」
「………」
「…君のことなんて、どうだっていいし。僕のことなんて放っておいて、他の女とイチャイチャしてれば?」
ふ、と気付けば、そんな台詞が口をついて出た。
しっと。
…嫉妬か。嫉妬かもしれない。
悔しいけど、もうどうでもいい、というやけくそな気持ちが沸々と僕の心を燃え上がらせる。
ところが風間は、何が嬉しいのか唇の端を持ち上げた。
「その顔は悪くないな」
そして風間は、腰を抱く腕を解いて、僕の腕を掴んだ。
「なに」
「周囲の目が気になるのだろう。場所を変えるぞ」
「それはいいけど――どこ行く気?」
「路地裏でかまわんだろう。たまには刺激的でいい」
「……。路地裏と刺激的という単語を結び付けているあたりに本気で危機感を覚えるよ僕は。万年発情鬼、まさかとは思うけど、路地裏で僕に何する気?」
「ついてくればわかる」
「………」
もう嫌な予感しかしない。
僕は風間の顔を見、そのいやらしい光を放つ瞳を見、軽く絶望を覚えながら、厭味ったらしくにっこり笑った。
「まさかのまさかのまさかだけど、路地裏で僕のこと強姦する気だったりして?」
「残念だが」
風間も応えるように笑う。
癪だけど綺麗な、見惚れるほどの美貌のままで、
「合意ならば強姦ではない」
…僕は反対方向に力を入れた。
当然抵抗するためだ。
「…ッ全力で!お断りします!」
「貴様の意見など聞いていない」
ものすごい力で腕を引っ張られるけど、僕は必死に近くの電柱にしがみついて抵抗する。
このまま連れていかれたら、最終的にものすごいことになってそうだ。
風間は変態だから、他の人間に行為を見せて悦ぶようなところがある。
ド変態め、と悪態をつく僕は必死だった。貞操観念なんてそう強い方じゃないけど、いくらの僕でも、男に抱かれて悦ぶ声を他の男に聞かれたくなどないし、そんな噂が広まるのは嫌なのだ。
「諦めて俺に食われるがいい」
「――!」
冗談じゃない。マジで死ねばいいこの男。
――なんで僕こんな奴の事が好きなの?ていうかどこが良いわけ?ぜんっぜん良いところなんてないし、腹立つだけだし、顔は確かに綺麗かもしれないしセックスだって上手だけどそれだけじゃないか!
「(……で、でも)」
一度でいい。僕のご機嫌取りに必死になるこの男の姿が見てみたい。
それだけで僕は――たぶんとっても嬉しくて。
だから僕は、こいつの前だと毎回こうして拗ねて見せているのかもしれなくて。
こうやって拗ねて見せた時に、こうして構ってくれるのは、…ほんのちょっと嬉しかったりして。
「どうした?顔が赤いぞ?」
「なんでもないよ!死ね!」
ああもう認めたくなんて絶対にないんだけれど、これはもう認めざるを得ない時点まできてしまっているのでは。でもそんなこと絶対に認めたくはない。
悔しいから素直になんてなってやらない。
僕はぐっと下唇を噛みしめて、風間の手から逃れようともがいた。
「