「何やってるの土方さん!」
こんなにわかりやすく怒る総司は、初めて見るかもしれない。
何となく眠れなくて、コーヒーを飲んでいてよかった。
…こいつに寝顔なんて見られようものなら、後々に響きそうだしな。
「何の話だ」
「昨日どうして兄さんを抱かなかったのさ!」
なんとも礼のなっていない対応だ――ノックなどするはずもなく、ずかずかと入り込んできて、しかも五月蠅い。
もともとはいいものをもっているのだから、もう少し可愛い声を出せないのかこの男は。
「………」
とはいえ、なんとなく、話の展開は読めた。
「――だから言ってるだろうが、俺とあいつのことはお前にどうこうしてもらうことじゃねえ」
「だからって、情けないと思わないの?他の男にとられちゃうんだよ」
「…ああ…?」
「斎藤くんだよ!」
どうやら総司も多分に混乱しているらしい。斉藤と兄がどうのこうの、付き合うだのどうだのまくし立てて、もう泣きそうな顔で俺を睨み付けている。
………。
斎藤が、か。
まあ、そうだろうな、と思う。
あいつが総司に手を出したとして、おかしな点などなにもない。あいつは昔から総司に惚れていた。あの時は時代が悪かっただけで――この平和な時代においては、遠慮する必要など何もないのだ。
俺たちはもう新撰組ではないのだから。
好きなら好きと言っていいし、惚れた相手を守るために自分の一生を使うことだって、ためらう必要もない。
「土方さんが何考えてるのか、僕にはぜんっぜんわかんない」
その、はずなんだが。
「………」
この馬鹿の暴走を、どうしたものか。
「兄さんの幸せのためなら何でもするって、土方さん、そういったじゃない…あれは嘘だったわけ?」
「………落ち着け、とりあえず」
「これで落ち着いてなんていられない。どうして土方さんは本気で兄さんを恋人にしようとしないわけ?兄さん鈍いし、ちゃんとしないと気持ちなんて伝わるわけないじゃん。このままじゃ兄さん、あいつにとられちゃうんだよ」
「――とられるってお前、あいつだって子供じゃねえんだ。誰とどういう仲になるか、あいつが決めることだろう」
「土方さんと一緒になる方が幸せに決まってる!」
何を根拠に、と、口をはさめない雰囲気だ。総司は顔を赤くして、怒鳴る。
「斉藤くんなんてあんなの、いきなりぽっと出てきてなれなれしくしてるだけじゃないか!土方さんのほうがよっぽど兄さんのこと理解してるし、大事にしてくれるし、…ぼ、僕だって、そっちの方が安心だし、だから、」
「それを決めるのはあいつだろうが」
「――そんなのやだ!」
「やだってお前、」
「兄さんが他の人にとられるなんて、僕は我慢できないもの。土方さんがいい。土方さんじゃなきゃ、……や、やだ…」
「………」
こっちの気も知らないで、勝手なことばかり言いやがって、――と斬り捨ててしまうのは簡単だ。
だが、まだその時じゃない。
「(餓鬼が…)」
困ったものだ。
大切なもののことになるとすぐに取り乱して、暴走してしまうのは、総司の悪い癖だった。
「(そんな簡単に、お前の思うとおりに運ぶはずがないだろう)」
と、いうか、そもそも恋愛のことでこいつに口出しされるいわれなどないのだ。
言わせてもらう。
こいつは兄のことを鈍い鈍いと連呼するが、ほんとうに鈍いのは自分の方だ。
だいたいにしてわかっていないにもほどがある。
「馬鹿かお前は」
「ッ、な、…何…だって土方さんがあんまりにもへタレだから、僕は応援しようと思って昨日、」
「餓鬼に応援されるほど落ちてねえよ」
「じゃあどうしてそんな落ち着いてるの!焦ってよ!」
「お前が焦りすぎなんだ、少しは落ち着け。お前が斉藤のことが気になるのはよくわかったから」
「だって、…だって…急がないと、僕にはもう、時間がないのに…」
これまた馬鹿なことを言い出す。
思わず、といった感じにこぼれたその本音を、当然のように俺は拾い上げた。
「…時間が、なんだって?」
やっと尻尾を掴ませた。その感触に思わず低い声を出すと、総司は大きく目を見開いて、戸惑いを表情にのせた。
「…、…それは」
わかってるよ。
お前、自分がいなくなるための準備をしているだろう。
本当は怖くて仕方ないくせに、必死に押し隠して、呑み込んで…ほんとうに、馬鹿な奴だ。
「(何年てめえを見てると思ってるんだ、)」
この俺がお前を一人で逝かせるわけがねえだろうが。なんのために転生までしてやったと思ってるんだ、まったく。
「あ、…、別に」
「別にじゃねえ。こっち見ろ、総司」
「総司じゃない、総司は兄さんだっていつも言ってるでしょ!」
「五月蠅え、いちいちまぜっかえすな!」
「だって土方さんがしつこいから…ッ」
「ああもういい、いいから、だから言え。…時間がないってのは、どういう意味だ?」
「………ぼ、僕のことなんてどうだっていい。今は兄さんの話、」
「どうでもいいわけがねえだろうが。いいから言え」
「………」
「どういう、意味だ」
総司は、まるで怒られでもした子供のようで――その実反抗的な視線を返した。
ややあって。
睨み合っていても仕方がないと思ったのか、総司は諦めたかのようにため息をつくと、弱弱しく俺を見上げる。
「知ってるんだ。――僕の身体は、兄さんとは違う。僕の身体には異常な回復力があって、その特徴は、過去にある“羅刹”のそれとほぼ変わらない。違うのは、血を欲しがらないってことくらいだ」
「……」
「…僕が死んでいない理由はそれでしょ?この回復力で肺の毒を飼いならしてるんだ。でも、…兄さんは違う。普通の人間だから、毒に負けたっておかしくない。というか死んでないとおかしいくらいなんだ」
やはりそこまで知っていたか、と、俺は舌打ちをしたい気分だった。
口の軽い研究者どもが、幼いこいつに何を吹き込んだのかは知らない。けれどたぶん、俺の知らないところで、呪詛のような真実を、えんえん突きつけられ続けてきたのだろう。
総司は、泣きそうな顔で続けた。
「僕の血が兄さんを生かしている。そういうことでしょ?」
「………」
「兄さんだけが特別に飲まされてる薬ってあるよね。あれがそうでしょ?僕から抜き取った血を、兄さんに飲ませてるんだ。僕の血を接種したマウスはどれも狂っちゃったけど、兄さんだけは不思議と僕の血を受け入れられる。人でありながら羅刹の血を受けることで、兄さんは肺の毒を飼い慣らしている。そういうことだよね?」
「………」
「でもこの方法は、兄さんの身体にすごく負荷をかけてしまう。…昔、僕にそのことを教えてくれた医者が言ってた。手術したら、僕は死んじゃうけど、兄はきっと助かる。逆にその手術をしなかったら、僕が生き延びて、兄が死ぬかもしれないんだって――僕らはどちらか一人しか生き延びられないように作られてるんだって」
俺はよほどひどい顔をしていたんだろう。総司は一瞬ためらったが、そのまま低い声で、続けた。
「その時が、いつ来るかわからない。だから」
「だから、“時間がない”のか。お前はその時に自分の命を捨てると、もう決めているんだな」
「…僕は影だから」
「………」
「土方さんだって知ってるでしょ?その覚悟だってできてるんでしょ。兄さんのためならなんだってするって、言ってくれたじゃない」
総司は何かを期待するかのように、俺を見る。
だから早く兄を抱けと、…恋仲になって自分を安心させろと…そういうことなんだろうが。
なんて手前勝手な要求だ。こっちの気も知らないくせに。
無性に苛々しながら、俺はため息をついた。
「ふざけんな。お前、何のために俺がここにいると思ってる?――沖田総司を幸せにするためだぞ」
「だから。だったら兄さんを、」
「お前、あいつが、お前を亡くして、その上でのうのうと、一人で生きていけるなんて本気で思っているのか。――あのブラコンがだぞ。そんなことになったら絶対にお前の存在を引きずるに決まってるじゃねえか」
「……だから…だから、土方さんがいいんじゃないか!」
「はあ?」
「………」
総司は、ふと、呼吸を止めた。泣きたそうな顔のまま、「僕だって、」といったきり、まるで言葉を忘れてしまったみたいに、はくはくと口を動かす。けれどそれはどうやら、総司の中で言葉にならなかったらしい。
ややあって総司は、癇癪でも起こしたみたいに床を蹴ると、「もういい!」と叫んだ。
「…土方さんの、ヘタレ!」
「なんだお前、喧嘩売ってるのか」
「へたれだからへたれって言ってるんですよ。いつまでも子供扱いして、僕らはもう子供じゃない!」
「餓鬼だろうが」
「子どもじゃない、兄さんだってもう大人なんだから、…もしも斎藤くんに恋しちゃったら」
ああやばい、そろそろ本気で泣きそうだ。どうして動いてくれないのと訴えかけるかのようなその表情は、必死さだけを如実に伝えてくる。
「…その時はそれでいいだろう。それが総司の幸せなら」
「よくない、そんなの…ッ、兄さんは、土方さんと一緒になった方が絶対幸せだも…っ」
「だからなんでそう言い切れるんだよ」
「だ、だって」
「?なんだよ」
「ひ、土方さんは兄さんのことよく理解してるし、すごく優しいし、病気の知識だって豊富だし、煙草吸うのはちょっといやだけど、でも細かいところで気配りしてくれるし、…さ、斎藤くんだって見てくれはまあまあだけど、でも土方さんのほうが綺麗な顔してるし、いざって時に頼れるし、粘着質だから浮気の心配もないし、まあ性格にはちょっと難ありだけど、慣れれば可愛いところだってあるし、…それに、土方さんは兄さんのこと、本当に大事にしてくれてるの知ってるもの」
「………」
「どうして動かないの。土方さんが本気になったら、兄さんだって絶対、落ちてくれるのに」
「………」
苛々は最高潮に達した。
人の気も知らないでこいつは。
「…さっきから黙って聞いてりゃ手前、言いたい放題言いやがって。そんなくだらん思い込みのために、お前はあいつを発作の危機にさらしたんだぞ。わかってるのか」
「………!だ。だって」
「だってじゃねえよ。医者として言う、お前の行動は褒められたものでは決してない。斎藤の存在がお前にとって脅威なのはよくわかったが、それは“沖田総司”の幸せのために必要なものじゃない。思い上がるな」
「、だ、…だって…」
「それと、毎回毎回俺の恋愛事情にまで口出ししてくるな。迷惑なんだよ」
「………!」
言い過ぎた、とは思っても、撤回するつもりはない。今回キツく伝えたが、このこと自体は大分前からずっと、伝え続けてきたことだ。またあんな暴走されたらたまったものではない。
「…だって、だって僕は、…」
総司はもう、ほとんど泣いているに等しい表情で、賢明に言葉を探した。
むずがる子どもが言い訳をするように、たどたどしく、「だって」の単語を繰り返す。
――それでも、総司がどれだけ必死になろうと、きっと何も言えないだろうと予想はついていた。
「(結局のところ、こいつが俺に言える言葉なんてないんだ)」
いつまでたっても“兄”を矢面に立たせて、自分の願望なんて口に出したことがない。
こいつはそういう男だ。
心を覆う殻を叩き壊して引きずり出すのにも、骨が折れる――ややこしいというか、面倒くさい奴だ。
それでも今、一生懸命に俺の前で、こいつは必死に“自分の”言葉を探そうとしている。
不器用なりに必死に俺を見つめて、それから総司はその赤い瞳を伏せた。
何かをあきらめるかのように、うなだれる。
怒られるとわかっていながら、おずおずと親に首を差し出す子供のような、それは頼りない仕草だった。
「……土方さんも兄さんも、僕も、…これが一番幸せになれるって、思ったから…だから」
「俺の幸せも俺が決める。お前に決めてもらうようなことじゃない」
「だって。だって、兄さんと斎藤くんがくっついて、土方さん、幸せになれるわけ?!兄さんのこと好きなくせに、だってあの二人がくっついたら土方さん、一人になっちゃうじゃない!」
「それも、お前が心配するようなことじゃない」
「…そんなの、だって。だって、…僕…、……」
「そもそもが間違ってるんだよ、てめえは」
言いたいことが巧く言葉になってくれないもどかしさに、心から悔しそうな顔を披露した総司が、きゅっと唇を噛むのが見えた。
「(そろそろ潮時かもしれねえな)」
ああ、くそ、こんな時に煙草がない。
口寂しいと自覚した瞬間、目の前の総司が、どうにも美味い餌に見えて仕方なくなる。
「――人の気も知らないでごちゃごちゃと。思い込みもいい加減にしろ」
「………」
「自分のことを影だなんだと言うわりには、しっかり自己主張してんじゃねえか。ようは自分のためだろう?兄を幸せにだとか俺を幸せにだとか云々並びたてようと、ようはお前が、そうなってほしいってただそれだけだろう」
「そんなことないよ、だって兄さんは土方さんと一緒にいる方が絶対幸せで、」
「それが思い込みだっていうんだ」
「…違う」
「違わない。いい加減に認めろよ、総司。お前だって人間なんだ」
「違う!僕は沖田総司じゃない。人間なんかじゃない!総司は兄さんだけで、僕は影でいいんだから!」
「馬鹿言ってんじゃねえよ。お前は沖田総司の影なんかじゃないし、今はもう、新撰組の剣でもない。血の通わねえ鬼になる必要もない、ただの人間だ。人間だから、どうしたって自分の幸せを考えるし、それは間違ったことじゃない」
「―――」
「お前が兄に命を譲って、ここからいなくなって。俺と総司がくっついて、お前がいなくなった傷口を埋めあって、だからなんだよ?それがハッピーエンドだなんてぬかすのは勝手だが、俺は死んでも御免だな」
逃がすつもりはないと示すように、総司の腕をつかんだ。いやに細くて色が白い。緋色の瞳が物言いたげにうごめいて、瞬きすら忘れたかのような顔で、俺に見入っている。
「でも僕と兄さんは、どっちかが譲らないと、いずれ二人とも死んじゃうって…」
「それでも“両方生き延びさせろ”って無茶言うのがお前だろう。あの時も今もずっと、お前の無茶な我儘を聞くのは俺の役目だっただろうが。どうして“死にたくない”って肝心な我儘言ってこないんだ、お前は」
「………」
「…近藤さんの前だと一生懸命我慢していたようだが、お前、本質的には甘えたで我儘なんだよ。無理に隠そうとするから苦しくなる。少しは俺に頼っていい」
「………」
…しかし、本当にこいつ鈍いな。
今更になって、だんだんと頬に赤味がさしてきている。自分の身に何が起こっているのか、ようやく少しずつ理解できてきているのだろう。
驚いたような慌てたようなむず痒いような、信じられないモノを見たかのような表情で、赤い顔のまま少し身じろぐ。俺の手から逃れようと腕を振るうから、俺は余計に腕を押さえつけた。
「生きてもらうぞ、総司。あの時、お前のために生きてやれなかった俺を、お前はまだ責めきれていないだろ」
近藤さんのいない世界でも、お前は生きるんだ。
そのために俺はここにいるのに、まったく馬鹿なことばかり言う。
混乱する総司の頭に手を置いて、乱暴に撫でた。されるがままの総司は、意味がわからないなりに必死に俺を見つめて―――その顔つきのあまりの純粋さに、こっちがひるんでしまった。
「(…可愛い顔しやがって、くそ)」
うっかり過ちでも犯してしまいそうな顔である。
…だいたいにしてこいつ、鈍いにも程があるのだ。馬鹿じゃねえのかとすら思う。
この俺が兄の方を喰う訳がないじゃないか。
何年前からお前のこと見てると思ってたんだ。
「(狙われてるのが自分ってことに、どうして気づかないんだか)」
こんなに近い距離で見つめあっても、兄しか見えてないこいつには、俺の気持ちは届かない。
まだ伝えるつもりもないから、それは好都合なのだが――しかしなんとなく腹立たしいのも事実だ。
そう思った俺は、もう泣きそうな顔をしている総司の額に一発だけデコピンを喰らわせると、さっさと帰れと言いつけて部屋から追い出したのだった。