あどけない寝顔だ、そう思った。
あの時の総司よりも、その寝顔は幾分か子どもじみている。
それもそのはずだ、今の総司はあの時よりも若いのだから――ああそういえば、この人もあの時よりは若いはずだった。しかし土方さんは今も昔も変わらず、ずいぶん大人びて見える。
俺を見ても動揺もせず、総司を抱きながら、土方さんは声をかけた。
「白い方はどうしてる?」
「あれも限界だったようで、今はベッドに」
「…そうか」
総司の手前煙草はすえないが、おそらく口さみしいのだろう。特有のこの人の癖だ、その指はまるで机でも叩くかのような動きをしていた。
まあ、苛々の原因は煙草のせいだけではないのだろうが。
「どうして沖田総司っていうのは今も昔も“自分は大切にされている”ってことがわからねえんだ」
「………。お気持ち、お察しします」
俺が総司に特別な想いを抱いているように、この人も総司を大事に思っている。俺とは違う視点で、この人は沖田をずっと支えてきた。俺はつい最近総司の前に現れただけだが、もう何年もあの兄弟に振り回されてきたのだ――その心労は想像して余りある。
それでもこの人は決して自分の私欲のために動いたりはしないのだろう。そういうところは、今も昔も変わらない。そう考えるとひどく懐かしい気がした。
「弟のほうは大分荒れていましたが、俺にぶつかるだけぶつかって満足したようです。部屋から追い出されました」
「何か変わった様子はなかったか」
「…前までは敵意を感じていたんですが、今日は少し様子が違うように」
恋人うんぬんの話や、口づけをされたことはぼやかしながら、俺は答える。どう違ったのかという追随には、正直に答えた。
「甘えられました」
「甘えた、だあ?あいつが?!」
「…いや、あいつは俺のことなどとうとも思っていないと思うんだが、寂しいからと試し食いをされたような」
「………」
眉間のしわが深くなる。それはそうだろう。俺に総司を追いかけろと命じたのは土方さんなのだから。
「――あいつ、本気で何を考えているんだか」
「単に寂しいからだと思います」
「子どもか」
そこがかわいいと思っているくせに、土方さんは怒った口調で吐き捨てた。そのまま愚痴が始まる前に、先手を取る。
「…そちらにお任せしたほうの“総司”はどうしていましたか」
「弱っているようだったから無理やりベッドに縫い付けた。こいつも無理して弟の所に行くって聞かなかったからな」
なるほど、とても総司らしい。
…弟のほうは、土方さんと兄をくっつけようとしていたらしいが、土方さんはやはり総司を抱かなかったようだ。こういうところも、この人は律儀だと思う。正直な話、もしも俺なら、総司の艶姿を見て我慢できる自信などない。
「(…この人がいる。大丈夫だ。今度こそ総司を、)」
総司を幸せに。
それだけを思って、俺は目を閉じた。
その時だ。
「…んー…ふ、ぁ…ひじかたさ、…?」
もぞもぞと寝返りを打った総司が、目を開けた。どうやら起きてしまったようだ。とろん、ととろけたような瞳で、自分を抱く土方さんを見る。そして俺を見た。
「斎藤く、ん…?え、あ、わっ」
そしてあわてたように自分の身体に布団を巻きつける。まるでやましいことでもあるかのように、頬を俺から逸らした。
「――構わない。黙って寝ていろ」
「…?なんで君がここに?弟は?!」
「あいつなら大丈夫だ。大丈夫と判断したから、そばを離れた」
どうせ総司のことだ、意地でも弟のところへ行くと言いだすに違いない。そう先読みして俺は、先手を打って状況を説明した。発作の様子もなく、体力的にも問題ないこと、俺は追い出されてここにいるということ、何かがあればすぐに危険は察知できるようにナースコールを持たせていること――つまりは心配はいらないだろうということ。
「そ、…そう…えーっと、」
総司は土方さんの腕の中で、もぞもぞと身体を動かした。ずる、と、布団の塊のような風体のまま土方さんの後ろに移動する。
「?」
「―――」
なぜだか総司の顔が赤い。なぜだ、と思う俺の前で、土方さんがやたらと大きなため息をついた。
「斎藤」
「はい、なんでしょう」
「あー、なんだ。…俺も疲れたからしばらく寝る。こいつの世話を見てやってくれ」
「ちょっと、土方さん?!」
そして、悲鳴のような泣き言のような声をあげた総司を無視して、――あっさりと。
それはもうあっさりと、ためらいなどみじんもない動きで、部屋を出て行ってしまった。
「?」
妙な退室の仕方だ。あの人のことだから何か考えがあるのかもしれない、そう思いつつ、肝心なその“意図”が思い浮かばなくて動揺する。
だが、動揺しているのは俺だけではないようだ。
もごもごと何かを口の中で噛み殺したらしい総司は、布団を巻きつけた身体のまま、唇を尖らせた。
それきりなぜかこちらを見ようともしない。
妙な沈黙が、流れた。
「――?」
だんまりなど、らしくもない。総司はなかなか饒舌な男なはずなのだが。
「どうした、体調でも悪いか」
「ん。ん、んーん」
「顔色は――先ほどよりずいぶんとマシになったようだな。というか、前よりも赤味が増しているような――今度は熱が出ているのではないか?やはり横になったほうがいい」
「い、いい…」
「?どうした?」
様子が妙だ。近づくと、大げさに総司の身体が震えた。
「あの」
「なんだ」
「で、…でてって、もらえるかな」
「?」
怒っている風な声でもないのにそう言われて、俺は首を傾ける。
「何故」
「あの。今僕、…裸、だし…」
「ああ」
何故裸なのか、その経緯をすでに承知している俺は、すぐにうなずいた。
「土方さんが用意してくれた寝巻がある。…ああ、これだな。これを着ればいい」
「そうじゃなくて、あの。君に」
「?」
「着替えるとこ、みられたくないっていうか…」
「−−何故だ?」
「もう、いいからちょっと出てってくれない?」
「…見られるのが嫌だというなら、俺はここで背を向けていよう。それなら構わないだろう?」
「だから。僕はもう一人で寝るから、君は出てってくれていいって言ってるの!」
ふむ。
「そういう訳にはいかない。あんたは独りでは眠れない体質であることは既に承知の上だ。独りでは休息もできないとあれば、俺がいることでのメリットは大きいはず。違うのか?」
「そ、…それは…その…」
「俺のことは気にしないでいい。安眠のためだ。抱いてやるから、ほら」
土方さんと同様に、総司を抱こうと腕を伸ばすと、総司はますます顔を赤くして後辞さった。
「――どうした?」
「い、…いいよ、君には」
「?」
「………なんとなく、そういうこと、しちゃいけない気がするから」
「…?」
…そういうこと…とは、どういうことだろうか。
……。
もしかして俺はこちらの総司にも良く思われていないのだろうか。
なんとなくだが、距離を取られている気がする。
俺はここに来たばかりなのだから、土方さんほど信用されないのは当たり前だが。
しかしそれにしても、やはり少し寂しい。
「………」
「………」
「…………」
「…………」
また、沈黙。
総司はもぞもぞと布団の中で、手をこすり合わせるような動きをした。寒いのかもしれない。だが近寄る訳にもいかないから、少々じれったい。
「…わかった、なら土方さんを呼んでくる。それであの人に抱いてもらえ」
「え。あー、……」
「その間に服を着ろ。ここに置いておくから、」
「え、あ、ちょっと待って。あの。土方さんは土方さんでちょっと、」
「?」
「気まずいんだよね。あんなことあったし」
「あんなこと、とは?」
「だって、…手で…その、じ、…自慰のお手伝いみたいなことを…させてしまったし…」
自慰の手伝い。
………なるほど。それは気まずい。
「――ならどうすればいいんだ」
「弟も寝てるなら起こすの申し訳ないしね」
「やはり俺が」
「……それは、は…恥ずかしい…よ」
「別に恥ずかしがることはないだろう。あんたがそういう体質なのはすでにわかっているのだから」
「いや、でもだからってくっついて寝るのは」
もごもごと、口の中で何かを転がすかのようだ。幕末のころの総司はこんな振る舞いはしなかったのだが(あれは思うがままに口にすることが多かったように思う)、やはり育った環境により幾分性格にも変化があるのだろうか。…俺とて前と全く同じというわけではないわけだし、致し方ないのかもしれないが。
とにかく。
「わかった」
「え?」
俺は、総司の手を取る。
「なら、膝を貸してやる。これでいいだろう?」
「……、…え、ええと…」
「昼間、あんたは俺の膝で寝ていただろう。あの時と同じ状況にすれば」
「え、あ、いや、いいよ、そんなことしたら、君が眠れないじゃない」
「俺は座っていても眠れる」
「見かけによらず結構タフだね君、……じゃなくて、いやいや、それはさすがに…」
「それとも他に方法が?」
「………」
こいつは一刻も早く休息を取るべきなのだ。土方さんも言っていた。体力のない今、こいつが発作を起こす確率は極めて高い、と。
睡眠は大切だ。
俺は総司よりもずっと頑丈なのだから、このくらいはどうということもない。
「――…」
総司は数秒迷ったいたようだが、ややあって、喉の奥からほっと小さな息をつくと、うなずいた。
「わかりました。そういうことなら、悪いけどお世話になろうかな」
「ああ。構わない」
「あ、でも、膝枕は足が痺れちゃうだろうから、いいよ。――手を握っててもらえるかな」
「?」
総司は手を差し出す。そっと迷うように、俺のそれに触れた。
「…総司?」
「これだけで大丈夫。眠れそうだから」
「…そうなのか?」
たしか抱きしめなければ眠れないという話だったはずだが。
いぶかしげな俺を、総司は薄く笑った。
「細かいことは気にしない。――さすがに君だけ座らせて僕だけ横になるわけにいかないし。狭いかもしれないけど、ベットに寝よう?その間、手、握っててくれたら、たぶん僕は大丈夫だから」
「…それで本当に大丈夫なのか?」
「うん」
俺はよほど疑うような視線をしていたのだろう。こらえきれない、といった感じに、総司が笑った。
「大丈夫。あ、でも、僕の寝顔は見ないでね。さすがにちょっと、恥ずかしいから」