一世一代の恋をした。馬鹿みたいに実直な恋だった。
実に単純に、素直に、僕は彼を好いていた。

「(好き…、)」

心の中で呟くだけで、その感情は恐怖をまといながら大きくなる。
それこそまるで落とし穴だと、そんな比喩が当てはまるくらいの当然さで僕はその恋心に落ちた


けれど、哀しいかな僕の大好きなその人は、レンアイなんて甘ったるいものは嫌いらしい。

「(…否、否、そうじゃないな。
彼はきっと、自分の人生を、無味無臭のものに留めておきたいんだ)」

僕も、彼も、普通の幸せなど“求める”という思考回路がそもそも存在しない。

どうせ悲恋に終わるのならば恋愛などするべきではない。彼の気持ちはとてもよくわかった。
けれど抱いてしまったものはどうしようもないじゃないか、というのが、僕の言い分。
この恋は、成就してはならないのだ。




だとしたら、この気持ちを、どのように扱うべきだろうか?

「(殺す)」

これは一番簡単なように見えて難しい。“存在する”ものをなかったようにふるまうのは簡単だけれど、存在すること自体はどうあったって消せないのだ。存在を消すことはとても難しい――だって僕の心音を栄養にして、この感情は生きている。殺すなら、僕の心臓も死なないといけない。

「(隠す)」

これは、たぶん、一番に簡単。
だけれどずっと隠し続けて、彼にこの気持ちが全く伝わらなかったらどうなるだろう?
答えは簡単だ。

「(忘れられる)」

…それは、嫌だ。だからこれも却下。
ならばどうする?

「(…伝える…)」

君のことが好き。そう伝えたら、きっと僕は今よりももっと辛く、苦しくなってしまうだろう。成就されたとてどうせ悲恋に終わるのだ。僕の死病は、いずれ僕のこの心臓ごとこの恋を殺す。

「(君とレンアイをしてはならない、)」

だから「好き」を伝える訳にはいかない。
この言葉からはレンアイの甘ったるい匂いがするから。


「(…そうだ、違う言葉を探すべきだ)」

甘ったるいものを彼が嫌うのだとしたら…せめて僕にとって君が特別なのだということだけでも伝えたい。

「(好き、とか、愛してる、の代わりになる言葉)」

たった一人の僕の特別。
どういえば伝わるだろう。
……どういえば喜んでもらえるだろう、彼が悲しまないだろう、どうすれば、…どうやれば。

「(彼が僕のことを嫌いにならないように。そして僕のことを忘れないように、かつ、その心に甘いものを遺さないで――それでいて決して同情をひかず、君の記憶にだけ、とどまれるような…)」

僕が死んだ後に、彼が僕のことを想いだしてくれるような、…僕にとって彼が特別だったのだと思い知らしめるような。

そんな魔法のような言葉があるだろうか。

僕はずっと、そんなことを、考えていたのだ――








結果として、僕はめいっぱい、彼に怒られる羽目になった。

僕は一生懸命考えたんだ。考えて、考えて、考え抜いて――ようやくこれと思える言葉を思いついて、彼の袖を握る勇気を経て、伝えた。


「僕を殺すのなら、君がいいな」


そうしたら斎藤くんは物凄く怒って、仕置きとして力強く僕の頬を引っ張った。
物凄く痛かった。
ちょっぴりだけど、涙だって出た。

痛みに頬をおさえる僕を、斎藤くんは慰めもしないで言う。

「俺の惚れた男はそんな弱音を吐く人間ではなかったはずだが」
「弱音じゃないってば。僕はそういうつもりで言ってない」
「あんたの言うことはいつも意味がわからない」
「………」

これでも、愛の告白のつもりなんだよ?
なーんて、ね。
こんなこと、彼に言う訳にはいかない…

「…さてね。どういうつもりだと思う?」

僕は別に“死にたい”などと弱音を吐いたつもりではないのだけれど――どうやら彼には伝わらなかったらしい。
残念だ。
僕は素直に落ち込んだ。

「僕は新撰組の一番組組長だ。誰にも殺されたりなんかしないよ。殺されないけど、もしも誰かに殺されるなら、君がいいなって意味で言ったんだ」
「同じことだろう」
「全然違うじゃないか」

殺されたい、って意味じゃない。
死ぬ間際に君の姿が見えるなら、それは幸せなことだな、って思えるくらい、君が好きって言いたいんだよ。
どうしてわかってくれないんだろう…。

「伝わらないなら、いいんだ」
「何だそれは」
「いい。君に僕の気持ちはわからない」
「―――」

…僕なりの“愛している”を、彼が受け取ってくれなかったことは、正直とても残念だ。けれどモノは考えよう、僕のこの不可解な台詞を彼がずっと覚えていてくれたなら、それだけでいいのかもしれない。

ちょっとした諦めの心を噛み殺して彼を見た。
斎藤くんの目が据わっている。
低い声。頬にあてられた細い指。触れられた僕の細胞の一つ一つが、ざわざわとなって、…少し苦しい。
斎藤くんは傷ついた顔などしていなかった。
けれど声だけ、ほんの少し、震えていた。

「ならば、あんたには俺の気持ちがわかるのか」
「………」

僕は少し思考する。そして首を横に振る。

「自分は理解しようともしないくせに、自分のことは理解してくれとせがむ。あんたは我儘だ」
「おや、今更だな。僕の性格を君はよく知っているはずだけれど」
「知っている?長く傍にいるというだけだ。あんたは俺に何も許さない」

そんなつもりはない僕は、ほんの少し目を伏せた。


不思議だ。君はそんなことを想っていたのか。

僕は彼にいろいろなものを許しているのだけれど。

たとえば僕は、僕の心をかき乱す権利を、君に許してる。
僕の心を浮つかせることだってそうだ。
そんな心の変化を、僕は君の存在がゆえに許した。

「(ぜんぶ、ぜんぶ、君だけだ)」

何も許していないなんて、そんなことある訳がないのに。
…そんな悲しいことを言われると、僕まで哀しくなってしまう。

「斎藤くん、」

否定も肯定もできない僕は、言葉を放棄して名前を呼ぶ。
きっと君は、僕にとっての君がどれほど大きいものなのかを、知らない。
しばらく前から君の名前は、世界で一番僕の心を刺激する音になった。
そんな単純なことなのに、君はそのことを知ることはない。

僕は一生、この恋を口にしないだろう。
そのことが最近はほんの少しばかり苦しい。
滑稽なことだ。
馬鹿げた、話だ。

僕は君と、はじまってはいけないはずの恋をしている。

「(こうしていられるのは、ほんの少しだけだ。僕が君の傍にいられなくなる未来は、もう――)」

…ほんの少し。もう少し。そうやって見て見ぬふりをしている終わりの時間。

「あんたは俺の片腕だ。簡単に死なせてもらえると思うな」




――低く冷たく響いたその声が、僕にとっての“生”そのものであることを、彼が知ることはない。

それだけが、ほんの少し、後ろめたく思った。