その部屋には、ぐちゅぐちゅ、と――何か水気のあるものをかき回しているような音がやけに響いていた。熱を持った思考の中で、やけに現実感を持ったその音に、ふと冷や水をかけられたような気分になる。

違和感があったけれども、風呂にでも浸かっているかのような暖かさが気持ち良くて、俺は惰性で腰を振った。

「(なんだ、これは。……夢か?)」

あり得ない。
誰かのすすり泣くような声が聞こえて、なんだと思ったら、俺の身体の下で総司が泣いているのだった。
いつも、こいつはどういう風に泣くのだろう――と考えていた相手だったから、俺は少し驚いた。

「(総司が泣くなんて、よほどのことがあったんだろうな)」

ぼんやりとそんなことを考える。俺の知っている沖田総司という男は、弱みを見せることを嫌う。
甘えたで、そのくせ不器用で、気まぐれで――気高い。

普段は余裕を浮かべているその目元が、今はたっぷりの水気におおわれている。
左之さん、と、子供のような拙さで名前を呼ばれた。


その間もずっと、ぐちゅぐちゅという水音は聞こえていた。
ぎゅちゅ、ぐちゅ。
現実味のあるその音だけが明瞭で。
たまにその水音に、総司の高い悲鳴が混じる。
ああ、妙だな、と思う。
何が妙なのか―――

「――ッ」

ぐちゅぐちゅと言う水音が止まない。俺が腰を振るたびに、ちゅく、ぐちゅ、と、激しい動作に伴っただけの派手な音がする。それに加えて、ぱつんと肌がぶつかる音。そして総司のすすり泣くような小さな声と、切なく俺の名前を呼ぶ、音。

何か妙だと思って視線を下げたら、――俺と総司の下腹部が繋がっているのだった。

「さの、さ…ん、さのさん、左之、…ぁ…ッ」

やけに熱い指先が、俺の頬に触れた。総司が俺に触れている。
熱のこもった瞳で俺を見て――何かを言おうと、唇を動かした。

「(聞こえない)」

総司、お前、何が言いたいんだ?

疑問は、声にならなかった。










次に目が冴えた時、俺は布団の上に転がっていた。
妙な夢をみた。いや、見てしまった。
胸が痛い、というか、何というか。

「(罪悪感…と言えばいいのか、これは…)」

同性を――それもあの総司を、夢の中でとはいえ、抱いてしまった。
土方さんあたりに怒られるな、なんて、馬鹿みたいなことを一番に思った。
当の総司本人にではない。
たぶん総司本人は、こんなことを聞いてもどうとも感じないだろう。そういったことには疎い奴だから、聞いても想像すらできないかもしれない。
そのくせ向けられる愛情には鈍感ときた。
だからかもしれない。
あいつは、土方さんにも、近藤さんにも、とても大事にされているから――どちらかというと申し訳ないのは、親代わりの二人の方だ。

総司を“可愛がっている”二人からすれば、可愛い弟分が男色に目覚めるなどと、きっといい気分はしないだろうから。

「(…なんでよりによって総司なんだ)」

確かに思うところは、無くもなかった。
男らしく、と無骨に育てられた割には、総司には妙な色香がある。
女ももちろんだが、男もなぜか妙な気分にさせる。
文句なしに顔がいい総司は、――そういう視線で見られることもあった。

不思議な男なのだ。
総司の色気は、陰間で知られるような、いわゆる女役のそれとは違う。
女々しい訳ではないのだ。かといって雄々しいわけでも、当然、無い。
得体のしれない色気だ。

剣の道だけをひたすらに進む姿勢は、新八にも似ていると思うのだけれど、あいつほど根っこが強い訳ではない。むしろ弱くて、危なっかしい。
――内面をより深く知りたい、そう思っていたことは否めない。
憂う横顔は美しかったし、可愛いと思うことも多くあった。

「(そうか、俺は――そういうことか)」

そんな馬鹿な、という固定観念が、感情に蓋をしていたのだろう。
それに気付いてしまえば簡単なことだ。
実にあっさりと世界が表情を変えた。

「(まあ、そういうことなら仕方がない。夢で見るくらいは許してくれ)」


口で伝えられても、総司も困ってしまうだろう。黙っているか、と心で決めて、再び昼寝と決め込んだ。






† † †






夕方に、巡察帰りの総司とすれ違った。

「…珍しいね、せっかくの非番なのに、ずっと寝ていたんだ?」
「ん?」

声をかけられ、振り向いて、その内容に首を傾ける。総司は巡察に出ていたはずだ。俺が屯所でどうしていたか、なんて、知らないはずなんだが。

「千鶴ちゃんが、今日は原田さんの部屋の掃除ができませんでした、って言ってたから」
「ああ――」

あと健気な少女のことを思い出す。
千鶴はよくできた少女だ。まだ子どもと言っていい年齢だというのに、ものごとの見通しができている。自分をよくわきまえている、と言い換えてもいい。

そうだ――隊士の部屋の掃除も、彼女の日課になっていたはずだ。
今日は一日部屋にいた。だから千鶴は気を遣って、俺の部屋の掃除を明日に伸ばしてくれたのだろう。

「今日は、ちょっとな」
「二日酔い?昨晩はずいぶんとお楽しみだったみたいだからね」
「………」

総司の言ったのは、たぶん「飲んだくれていた」という意味なんだろう。
けれどもあの夢を見てしまった俺には、「お楽しみ」という単語が、なんだかいやらしい意味で聞こえてしまう。
誤魔化す笑いが苦いものをおびたことに、総司は目ざとく気づいた。

「…ちがうの?」
「いや、二日酔いって訳じゃねえんだ。少し考え事でな」
「かんがえごと…」

気になる間を置いてから、にんまりと、笑う。

「ふうん、左之さんって直感型っていうか、身体が先に動く人だと思ってたけど、そうやって物思いにふけることもあるんだ?意外だなあ。ふふ」
「………」
「?…なに、その微妙な顔」
「いや、なんでも、ねえよ。なあ総司」
「なあに、左之さん」
「昨晩のことなんだが――俺、お前に何か、したか?」

総司はぱちぱちと瞬きをした。
意外そうな顔で、顔を傾ける。

「…左之さん、まさか、覚えてないの?」
「そう飲んだ記憶もねえんだが、なんだか曖昧でな」

妙な夢を見た、のは、確かだ。たが疑問なのは、“あれがはたして夢であったか否か”。
あれが現実であったなら、さすがに総司ももう少し態度に現れるだろうから――まあ十中八九ただの夢なんだろうと思うのだが――本当にすべてが全て夢であるかどうかは、気になるところだった。

無論夢の内容を総司に話すわけにはいかない。だからそれを差し引いたところまで、探りを入れることにしたのだ。

――昨晩は、確か。
新八や平助と飲んでいた。
途中から斎藤が参加して、その次に、総司が参加して。
それなりな大所帯になってきたからと――いっそどこぞの店に移動するかという話になって、それで――

それで、どうしたのかまでは、覚えていない。
外出した覚えはないのだが、その場にとどまったという覚えもない。

「左之さんにしては迂闊だね。珍しいな」
「お前も飲んでたよな。俺は一緒だったのか?」
「確かに、途中までは一緒に飲んでたよ。飲んでたけど…」

いっそ「きょとん」とした顔の総司が、にんまりと、実に楽しそうな笑顔だ。

「――やめた」
「ん?」
「教えてあげない」
「何だよ、どうしてだ?」
「いつも僕ばかり意地悪されているから。意趣返しだよ」

面白いことを言う。
いつ、俺が、総司に“意地悪”をしたというのだろう。

「俺にはお前を苛めた覚えはないんだが」
「苛められては無いけど。でも左之さんって、たまにすごく意地悪ですから」
「そうか?お前のことは、可愛がっているつもりなんだけどな」
「その、“可愛がっている”という表現自体が意地悪なんですよ」
「――どういう意味だよ」
「どういう意味でしょう?」

たまには困ってしまえばいいのだ。そう言いたげな顔だ。
俺を困らせようとしているようだが、総司の方こそ困ったような笑い顔だった。

「思い出せないような記憶なら、きっとそれは、左之さんにとって大した記憶じゃないんですよ。だから、思い出せなくったっていいんです」
「俺は思い出したいけどな」
「別にいいんですよ。僕が覚えておいてあげますから」
「何だ。お前だけ、っていうのは、ずるいじゃねえか」
「ふふ。それでも内緒です」

総司はくすくすと笑い、何も答えずに、その場を離れようとした。

背の高い男だ。俺の方が高いけれど。
平助や斎藤と比べるからかもしれない。目線が近い。
まじまじと見つめられるのが少し息苦しかったのだろうか、総司は少し、目を伏せていた。

「総司」

隣をすり抜けようとしたところで、腕をとらえた。
すぐに手を離す。
総司は少し驚いたようで、すぐに振り向く。いつもよりも目の輪郭が丸かった。

「…え、なに?まだ何か話でもあるの」
「言い忘れてた。最後にお前が驚くことを言ってもいいか」
「あはは、何?その前置き。僕別に驚かないと思うけど」
「お前が好きだ」
「―――」
「気分悪く思ったなら謝る。だが、言わないのも卑怯だろ?念のため、な」

驚かない、と言っていた総司が、馬鹿になったのではないかと心配になるくらいに驚いている。
ほんとうに驚くと、人は口を開いてしまうらしい。

「――さの、さ、」

軽く肩を押してやる。
総司の肩が、ほんとうに小さく震えたような気がした。



「…待って!」


さっさと背を向けて廊下を歩く俺を、引きとどめる声はすぐにかかった。

「どうした?」

振り返ったら、総司は――ああ、珍しい、赤い顔をしている。
ぎゅうと噛み締めた唇が、うまそうに熟れていた。

「…、ねえ左之さん。ほんとうに昨日のこと、覚えてないんだよね?」
「ああ、そうだな」
「それ、もちろん本当だよね」
「――なんだ?俺は自慢じゃねえが嘘が下手だぜ」
「知ってる。知ってるけど。もしもそれが嘘だったら、…ほんとに酷い人だから」

――どういう意味だろう。
総司の言う意味がわからずに首を傾ける俺に、必死さだけが伝わるような、硬い声がかぶさった。

「言われっぱなしは腹立たしいから言っておきますけど、それ、僕もです」
「………」

だからどうって話ではないですけど、と、総司にしては硬い声のまま、付け足した。
ふいとそっぽを向き、言い逃げて離れて行こうとする。

硬い声。硬い動作。なんだか笑ってしまうくらい、それはわかりやすい挙動だ。

「総司」

名前を呼べば、すぐにぴたりと止まった。
ゆっくりと、総司が振り向く。
――ほんの少しだけ、期待しているみたいな顔で。



「(そういうこと、なんだろうな)」



誰に見られるかもわからないから、壁に押し付けて、深い角度で唇を合わせた。
はじめて味わう男の唇だけれども、想像通り、まったく嫌悪感などなかった。
総司は俺と同じ男で、身体だって硬いし、背だってある。抱きしめても、女のようにはなびかない。

そのはずなんだが、自分でもどうかと思うほど、口づけたあとの総司の反応が愛しかった。

「…そんな顔するなよ」
「なに?…僕は別に、普通ですよ」
「嘘つけ。緊張してるくせに」
「………してない、よ」

もちろん総司は俺に守られるほど弱くは無い。
女ではないのだから、気位も高いし、一筋縄でいく訳もない。

「緊張は…してないけど、ドキドキはしてる。左之さんのせいだ」
「ん?」
「…左之さんのせいだよ」
「そうか」


僕男だけど、こういうのって責任は誰が取るべきなのかな、なんて可愛らしいことを拗ねた口調で言うものだから、笑ってしまう。
任せろと請け負うと、総司ははにかんだように笑った。

その表情を見ることができただけで、もしかしたら俺はとんでもない幸せ者なのかもしれない。
そう思えてしまうくらい、その笑顔は透き通っていて、綺麗だった。

もしかしなくても俺はこいつに惚れている。

落ちるのは、実に簡単なことだった。