「今日から一週間、君は僕の下僕だ」 何故だかひどくご満悦そうな沖田総司が、高らかにそう宣言する。 それは、俺がこの学園にやってきて、ようやく少しばかり馴染めた頃合いの――色若い緑の葉が美しい、校庭での出来事だった。 どういうことだかさっぱりわからないが、ようはこういう流れらしい。 @芹沢さんが出張で一週間ほど海外に行く。 A俺、追い出される。選択肢は野宿一択。 Bそれはいくらなんでもあんまりだろうと近藤さんが進言。近藤さんの家に預けられる… C……なんて羨ましい話大却下!と沖田が文句を言う。 D結論。沖田の家に一週間居候決定。 そういうわけで、沖田の家に居候することになったようだ。 俺の希望なんてまるで聞いてもいないはずなのに、もう決定事項となっているところが――なんとも恐ろしい。 「(俺の意思は…!)」 文句を言う前に沖田は俺を引きずりまわした。 流石に授業中は何もないけれども、休み時間のたびに沖田に呼びつけられて、いいようにコキ使われる。 沖田は始終ご満悦だ。 学校で俺を小突いたり、からかったり、言うことを聞かせたりするのが楽しいらしい。 放課後はきっちり部活の手伝いまでさせられて、ヘロヘロになって帰宅したら、今度は夕飯を作れ、買い物に行けと命じられて、沖田本人はゆうゆうとソファに寝転がっていた。 「…おい沖田。俺はお前の家来じゃないぞ」 「家来、ねえ。むしろ下僕って言葉の方が井吹君には似合うんじゃないの」 「あのなあ!」 「なあに、口答えするつもり?…別に、ここが気に入らないなら出てってくれてもいいんだよ、本気で野宿するつもりならだけど」 何やら急に不機嫌な顔になって、沖田はソファの上で寝返りを打つ。 「出てくなら勝手に出てけばいいじゃない」 「あーもー、わかったよ、買い物でもなんでもすればいいんだろ。…ったく、で、夕飯は何を作ればいいんだ」 「僕、今日はオムライスな気分」 「どんな気分だよ」 「卵はふわふわにしなきゃ許さない。君は一文無しだろうから、お金は僕持ちだよ。文句ある?」 「…っぐう」 「ふふ。美味しいご飯、食べたいでしょ?素直に僕に従っておけば、芹沢さん家よりは良い思いができるんじゃないのかな」 結局出ていくのをやめたおれに、沖田はすぐに機嫌を直したらしい。くすくす笑いながら、俺に財布を投げてよこした。なんと、財布の中には諭吉が幾人か。 「……ぐうう」 さらに何となく悔しい気持ちを噛み締めながら、俺は沖田を睨む。沖田は涼しい顔だ。 「早くいかないと、君の分のご飯は抜きだから」 ――結果として、買い物は20分で終わらせた。沖田はきっと腹が減ると機嫌が悪くなるだろうという予感があった。さっさと美味い物を喰わせて、ご満悦な気分のまま布団に入ってもらうのが得策だ。 オムライスを作って持っていく。 「……!」 息をのむような小さな音が聞こえた。沖田がいつの間にか机の前にやってきて、興味深そうに料理を覗き込んでいる。無音のままくんくんと軽く匂いを嗅ぐしぐさは、やはり猫に似ていた。 「井吹くんのくせに」 ……。 たぶん、ほめ言葉だ。わかりにくいが。 「(でもまあ、料理を作って、それを喜んでもらえるのは…悪い気分じゃないよな、うん)」 沖田はとても…なんというか、嬉しそうだ。目がキラキラしている。 もしかしたら普段はあまり料理をしないのかもしれない。 台所が綺麗すぎたし、なんというか、そこからは使い込まれた台所特有の匂いがしない。 「(だからこんなに喜んでいるのかもな)」 まあ、機嫌をよくしていただけるのなら、こちらとしても願ってもないんだ。 ちゃんといただきますをして、ごちそうさまもして、沖田はじっと俺を見つめる。 「……なんだよ沖田、どうかしたか?」 「別に何でもないけど。井吹くん不器用なくせに、生意気に料理なんてできたんだね」 「まあな」 「――、ねえ、また…」 「ん?」 「………。何でもない」 「何だよ」 「あ、もちろん後片付けは井吹くんだから」 「はあ?」 「さっさとしてよ。ほら!終わったら僕にミルクティー淹れて」 なんなんだよ、と言う傍から、ぐいぐいと背中を押されて台所に押し戻される。沖田は何が楽しいのか、うろうろと食器を運ぶ俺を、ただひたすらにじっと見ていた。 「(…なんなんだ…?)」 テレビをつけるでもなく、じいっと、視線だけを投げてくる。かといって話をするでもない。見ているだけなのだ。 「(逆に気になるっつーの、)」 うう…また何か悪戯されるのか…?いや、でも、今日の沖田は機嫌が悪くないようだし。悪戯を警戒したところで、こいつはきっと、俺の想像の一歩上を行くだろうから。 慣れない器具をつかって紅茶をいれ、ミルクと砂糖を持って沖田のところへ行く。 沖田はソファに座って、当然のようにそれを受け取り(無論“ありがとう”の一言もない)、それはそれは様になる優雅さでそれを呑んだ。ほう、と吐息を一つ。 「………」 じっと横目で見つめてくる。 「何だよ」 「横、座れば」 「ん?」 「横」 「………」 罠ではないか。 身構えると、沖田はすぐに機嫌を悪くした。 「――僕の隣が嫌なら、別にいいけど」 「なっ、誰もそんなこと言ってないだろ?!」 「じゃあなんで座らないの」 「いや、なんとなく…罠でもしかけられてるんじゃないかと」 「いいから座って。命令」 「……ハイ」 意を決して、座った。 ……。 ……何もない。 なんだ、取り越し苦労だったか。 「……」 「………」 「…………」 無言だ。 特に話題もなさそうだな…。 せめてテレビでもつけるか、と、リモコンを探すと、沖田の不機嫌な顔が、ずいと俺に近づいた。 「うわっ」 「何してるの」 「何って、…て、テレビでもつけようかと…」 「テレビ?君テレビなんて見るの?ご主人の僕が許可してないのに」 「ご主人…ってあのなあ!」 「文句でもあるわけ。君は一週間僕の下僕なんだからね」 「だからお前はすぐにそう、…っあー!わかったよ!言うこと聞けばいいんだろ!」 「……。だって、テレビなんてつけたら、君、そればっか見てつまんなくなるでしょ。僕が」 沖田はつんとそう言って、もう一度、じっと俺の顔を見つめた。それはもう、痛いほど。 「…なんなんだよ…」 「別に何でもないけど。僕の家に井吹くんがいるって、変な感じだね」 「そりゃそうだろう。…しかしお前の家って無駄に広いな。リビングまであるって、普通ないだろ、学生のくせに」 「まあね、僕の親戚、お金だけはたくさんくれるから。…近藤さんの家がすぐそばだから僕はここ、気に入ってるんだ」 「そっか。まあ、保護者代わりが近くにいるとはいえ、高校で一人暮らしとなると色々大変だろうからなあ…近藤さんが近くにいるなら安心だ」 「うん」 「………」 「…………」 「……………」 うーん、気まずい。 どういう話題を選んだものやらと考えていたら、どうやらそれは沖田も同じだったらしい。 呆れたようなため息をついて、きっ、と俺を睨んだ。 「…シャワー…」 「は?」 「シャワー入ってくる」 「え?あ、ああ、そっか。そうだな」 「適当にくつろいでて。…ああ、別にテレビ見ててもいいけど。でも僕が呼んだらすぐ気づけるように、音量は小さくしててね」 「……」 なんとも、徹底した王様ぶりだ。 「(…まあ、沖田らしいと言えばらしいんだけどなあ…)」 俺は、言葉に甘えて、テレビをつけ、音量を小さくした。 「風呂場で呼びつけるって、どんなんだよ。タオルでも持って行けって言うのか?」 「別にシャワーに限った話じゃない、いつだってそうだよ。たとえば君が眠っていたって、料理中だってなんだって、僕が呼べばすぐに飛んでくること。これ徹底しといて」 「はあ?」 「だって、僕がシャワー入ってる間に、君が勝手なことしたら困るから」 なんだよその“勝手なこと”って。 …信用されてないなあ、俺。 まあ、沖田らしいと言えば、らしいんだ。こいつは「警戒心の強い野生動物か!」ってなくらい、なかなか心を許さないし、ひねくれている。家に上げた段階で、俺はまだ許されている方なんだ。 ………うん、まあ。 「許されている」、というか…なんというか…別に好かれている訳じゃなく、“利用価値を認められた”、と。まあ、そんくらいなんだろうが。 「……そんなことしなくても、俺は何もしないぞ」 ともあれ沖田はこういうヤツなのだ。どうせ聞いてくれないから、抗議の声もやや小さめになる。 「何?芹沢さんにはできるのに、僕にはできないって言いたい訳。君ってそんなに芹沢さんのこと好きなの?」 「違う!誤解を招くような言い方をするな!」 「――だったらいいじゃない、僕にも同じことをしてくれればいいんだよ。いつも芹沢さんにはやってることでしょ?芹沢さんが呼んだら、何を差し置いても飛んで行って、へこへこしながら言うこと聞いて、駆けずり回ってるじゃない。いつも」 「………ぐう」 …まあ、そうだよなあ。 俺と芹沢さんって、そんな風に見えてるんだろうなあ。 なんとまあ、切ない話だ。 俺の微妙な沈黙をどう受け取ったのか、それとも単に飽きたのか、沖田はざっくりと話を切った。 「とにかく、重ねて言うけど君はこれからしばらく僕の下僕だから。基本的には芹沢さんにするようにしてくれてればいいんだよ。僕が呼んだらすぐに来て、僕には逆らわない。それさえ守っていれば、当分追い出すことはないから」 じゃあシャワー入るから、そう軽く述べて、沖田はさっさと背中を向けた。 |