下校デートだ。
こんなことは初めてで、僕は嬉しくて仕方ない。
いつもは風紀委員の仕事だとかで、彼の放課後の時間は誰かに独占されることが多いから(勿論その時間を僕がいただくこともあったけれど、すぐセックスになることが多い)、素直に喜ばしいことだった。
どうでもいい雑談をしながら、彼の隣を歩く。
コイビトじゃないから手もつながないし腕も組まないけど(というか男同士だからそんなことしたら確実に周囲から浮くだろうしね)、それでも二人で出かけるのだから、これはデートだ。
「いただきまーす」
奢りだというのでありがたく受け取ったクレープをほおばる。
もうセックスとかどうでもよくなってきた僕は、当然のように僕の隣に腰かけた斎藤くんに、「おいしい」と伝えた。斎藤くんも少し口元を緩めて、「あんたは奢り甲斐があるな」と笑う。
何とでも言えばいい。
僕に餌付けは有効なのだ。
「ここのクレープ、値段の割に豪華なんだよね。具がいっぱいだしさ」
「よくそんな砂糖の塊のような物体を喰えるな」
「…君も食べる?おいしいよ。生クリームにカスタード、チョコにいちごにバナナにいろいろ入ってて」
「いや、いい。聞いただけで胸やけがする」
「ふうん」
美味しいのに…まあいいけど。
あーん。もぐもぐ。
……♪
「孫に甘味を進める祖父母の気持ちがわかるな」
斎藤くんは失礼なことを言って、自分の手に持ったクレープに口をつけた。
何味か聞くと、ハムとかベーコンとか、あとレタスとかの入った、甘くないタイプのクレープらしい。
斎藤くんらしいなあ、と思うけど、さすがに「一口ちょうだい」とは言えなかった。
僕は自分のクレープに視線を落とす。
扇の上の方はすでに食べちゃった。あとは筒になったところなんだけど…ここを食べるのが難しいんだよね。身がすでにあふれてて、上手に食べれない。スプーンもない。
そうでなくても僕は、あんまり斎藤くんの前で無様なところは晒したくないから、ちまちまと端の方だけ、かじるようにして食べていたんだ。それでもここから先は、同じような食べ方をしても、絶対頬に生クリームが付く。
…気にしすぎかもだけど。斎藤くんって几帳面だから、食事のマナーにも五月蠅そうだし。
頬に生クリームなんてつけてたら、子供っぽいし…
僕は斎藤くんをチラ見した。斎藤くんはもうほぼ食べ終わっている。
「?どうした総司」
「別に」
…仕方ない、あまりお上品じゃないけど。
斎藤くんに見えないように、クレープの包み紙で顔を隠しながら、そっと舌を押し当てるようにして、飛び出た生クリームだけなめとる。こうやって具をちょっと減らしてからじゃないと、噛みついた時に頬にクリームがつくのだ。
あぐあぐあぐ。
「……」
……頑張ったのに。
結局僕の頬には、生クリームがついてしまった。
「…沖田」
どうやら僕の奮闘に気付いたらしい斎藤くんが、すぐにハンカチを出してくれる。…なんだか恥ずかしくなって、僕は自分のがあるからいい、とすげなく断った。カバンから取り出したハンカチで頬をぬぐう。
気を取り直してもう一度。
はぐはぐはぐ。
美味しい。
でもやっぱり、生クリームが頬につく。
「……沖田」
「……うるさいよ」
みんななるでしょ、特にここのクレープは具が多いんだってば!僕だけじゃないんだから!
斎藤くんはどうやら僕の世話を焼きたくてうずうずしているようだ。ハンカチ片手にじっと僕を見つめてくるので、なんだか居心地が悪くなってくる。
「別に大丈夫だから、ハンカチも自分のあるからいらないし」
「そうか?」
「ていうか、あんまり見ないでくれる。食べにくい」
…なんか、妙に僕だけ必死で、いやなんだけど…こういうの。
「好きな人の前でもの食べるのって、実はけっこう勇気いるよね」なーんて話していた女子を、僕はもう笑えないかもしれない。
だって、些細なことでも、みっともないとこ見せたくないじゃないか。
僕はわざと身体をねじって、彼と反対方向へ座りなおした。やけに視線を感じるからだ。
ばれないようにそっと舌でなめて、クリームの量を減らしてから、もう一度。
あーん。
…あぐあぐあぐ。
「……っ」
ああもう、なんかうまくいかないなあ!
「沖田。こっちを向け」
「ああもう五月蠅いな!こういう生クリームが入ったタイプのクレープは食べにくいものなんだから。僕が不器用ってわけじゃないよ」
「別にあんたが不器用だなどと言っていない。それよりも」
「何さ!」
「食うならこっちを見て食え」
「…はあ?なんで?」
「何ででもだ」
斎藤くんは、何やらため息をついて、僕の頬にハンカチを押し付けてくる。
「…あんたは無自覚にやらかすから困る」
「?何を?」
「いいから、こちらを向いて食え」
「………」
「他の奴に、食っているところを見せるな」
斎藤くんに強い口調でそういわれると、…僕はなんとなく逆らっちゃいけないような気分になってしまうんだ。なんとなく、だけど。この口調は、珍しく彼がやきもちを焼いてくれているときの声音に、似ているような気がする…
「斎藤くんに見られてる方が食べにくいんだけど」
「いいからこちらを向け」
「偉そうに僕に命令しないで。…まあ、それくらい別に、いいけどさ…」
仕方がないので、身体を傾けて僕は彼の方を向く。
もう残り少ないかと思っていたクレープは、覆紙に隠されていただけで、実際はまだまだ量があった。
一口じゃ食べきれない、この半端な量が一番難しい。
…えい。
あむあむあむ。
「…またついてるぞ」
「んー、…ん、…んく、」
口の中にものが入ってるからしゃべれない。わかってるよ、の意味を込めて彼を睨み付ける。もぐもぐしていたら、斎藤くんが、不意に周囲に視線をやった。まるで誰も見ていないか確認するかのよう。
なんなんだろう、と思っていたら斎藤くん、
こともあろうにこんな場所で、僕の手をふいと掬い取って、その指先にキスをした。
「?!?!?!」
しゃべれない。しゃべれないけど、喉の奥だけで悲鳴が出せるのだということを、僕は初めて知った。
「んんー…!」
「指先にもクリームがついていた」
「ん、…っふ、ぁ、…だからってこんなところでそんな、…!」
「あんたが悪い」
急いで呑み込んで、やっと自由になった言葉をフルにつかって罵倒しようとした瞬間、斎藤くんはそう言った。
あの、僕、普通にクレープ食べてただけなんですけど?
「…、…あんたはずるい」
真顔で、眉間にしわを寄せて、そんな一言をいただいてしまった僕は、ひたすら首を傾けるだけだった。
クレープ、最後の一口はとりあえず保留。
意図を探る意味合いで見つめたら、彼にうろんな目で見つめ返されてしまった。
…あ、う。
青い、きれいな彼の瞳の奥に、ちょっと剣呑な光が見え隠れする。
きっとこれって、そういうことだよね。
そういうことだよね?
「…あ…、と、」
それに気づいてしまったら僕の方もかっと身体が熱くなって、頬にも少し、熱が集まる。そうでなくても、数日前からずっと、僕のほうは「そういうこと」を意識していたから余計だった。
斎藤くんの指が、僕の髪に触れる。
少し身体を乗り出して、顔を寄せるみたいに近づかれて――
「美味そうだな」
「…、…あ…ええと、…」
食べる、って。
絶対意味が違うよね。
甘いもの嫌いな彼が、急に僕のクレープの、最後の一口を欲しがるはずがない。
食べられるのは、まず間違いなく僕だ。
「(でもこんな場所で…?!)」
ダメだダメだ。ここは外。人気は少ないけど、ないわけじゃない。こんなところでもしも誰かに見られたら――人のうわさになって、彼に迷惑がかかるかもしれない。
ほんとは僕だって彼に抱かれたいけど、でもだめだ。ここは我慢しなきゃ。
…なんとなく居心地が悪くて、僕は拒絶の意思を示すために、わざと目を逸らす。
すげない口調に気を付けて、ぐいと、クレープを差し出した。
「じゃ、…じゃあ、これあげる。最後の一口」
「………」
上手に誤魔化せてはいないけど、拒絶の雰囲気くらいは伝わるはずだ。
どうだろうと、僕はおそるおそる斎藤くんを見上げる。
眉間のしわが、深くなっていた。
…あ、これはやばいかな、と思った瞬間、むんずと右手首を掴まれて、引き寄せられる。クレープを持つ手を固定して、そのまま。
斎藤くんの唇が、僕の指ごと、クレープの端をかじった。
最後の一口だからそう量は多くないのだけれど、斎藤くんはわざと舌を出して、ちびりとなめとるみたいな動きをして――
「……!」
びくっと、怯える小動物みたいな動作で僕は後辞去ろうとしたけれど、がっしり掴まれた手首は痺れたみたいに動かない。動けない。動けないくせに、変に力が入りすぎて、そこはがくがくと震えていた。
「あ、あの、…あの…っ」
「なんだ?」
「ふ、普通に食べ、…ぁ、指、舐めないで…んっ」
「…ああ、ほら、あんたが動かすから俺にまでクリームが」
「…、…やだってば、っ、…」
「………」
「は、ぁ、……や…」
僕の指の輪郭をなぞるように、舌が這う。
指と指の間にぬるりとした感触が、確かにあって。慌てて目を閉じても、斎藤くんは意地悪に音をたてて、僕の心を煽ろうとする。
思わず目を開いたら、斎藤くんの目に、剣呑な光が。じわじわと大きくなって、熱く僕を見るから僕も熱くなって、…
「う…ぅー…」
恥ずかしい、のは。
こういう時、男なら普通は反応する場所じゃなく、それよりも、…その、後ろが…疼いて仕方ないような、そういう感覚が僕の中にあるということ。
抱いて、なんて、言える訳ないじゃないか。
こんな場所でできるわけもないのに、これ以上その気になったら、ヤバい。
切なくて泣いてしまいそうだ。
熱さにやられて、喉の奥が痛い。きっと真っ赤になってしまった顔を隠す余裕もない。沸騰した頭で、僕は逃げる手段を考える。どうにかしてこの状態から逃げ出さないと。でも、でも、どうやって。
彼が本気になれば僕を籠絡するなんて造作もないことなのに。
「…も、やだ……ぃ、…意地悪しないで…」
もう、同情心を惹くくらいしか、僕にできる手はなかった。
どうせ抱けないのに期待持たせたりしないでよ、という意味を込めて、僕は必死に腕を引っ張る。もうクレープなんてどうでもいい。食べたいのは、ずっと、君だけなんだ。ずっと、そうだったんだ。
「………」
斎藤くんは、そんな僕をじっと見て、ややあって、ため息をついた。
小さく一口だけクレープをかじりとって、舌なめずり。
「…危うく全部食べるところだった」
そう言った。
それが僕には、クレープの話に聞こえない。
「…、…斎藤くん…?」
「ん?」
「………」
まるで先ほどのやりとりがなかったかのように、平然とした様子だ。僕から離れ、頬についたクリームをぬぐい、首を傾ける。
「…な、何でも、ない…」
ああ、ええと…うん、これでいいんだ。
よかった。
これはこれで寂しいけど、とにかく、よかったんだ。もう少しで公衆の面前でみっともない声を上げるところだった。いくらなんでもこんな場所、セックスできそうなところなんてない。公園のトイレとかも、ここら辺では汚い場所しかないし。身体を隠せるような木もないし。
…なんて、「できそうな」場所を必死に考えてしまう時点で僕、いやらしいのかな。
でもでも仕方ないじゃないか。だって僕は君が好き。
やっぱりするなら、家で、…がいいなあ…。
「(君の家に、誘ってくれないかな)」
君だってしたいんだよね?さっきのでわかっちゃったんだから。
君だって、その気だったよね?
僕に欲情、してくれてたよね?
「………」
期待の意味を込めてちらりと視線をやると、斎藤くんは低い声で「何をしている」といった。
「残りの半分は、あんたのものだろう」
「………。ん…」
…、ああ、そうか。
やっぱり斎藤くんは余裕があるのだわかって、僕は少し、しゅんとしてしまった。
僕ばかりが彼を好きなんだってことは、よく知っていたことなのに。
先ほどより味気なく感じるクレープを平らげるとすぐに彼は立ち上がった。
「食べ終わったところだし、そろそろ帰るか」
「…ん…」
頷いて、僕も立ち上がる。
この下校デートは、すぐに終わっちゃうみたいだ。
でも仕方ないかな。彼はこう見えて助平さんだから、どこでもさっきみたいに触れてくるし。ただでさえ欲求不満な僕と一緒にいるんだから余計に、…どこでもヤりたくなっちゃう。
家に帰るのが賢明だ。
わかってるんだけど、なんだか。なんだかさみしい。
僕は女の子じゃないから手だってつなげない。
彼の恋人でもないから、キスだってできない。
甘い言葉だって言ってもらえない。
「………」
やっぱりさっき、拒絶しなきゃよかったのかな。
でも噂になったら困るし。ああしなきゃいけなかったんだって、わかってるけど、でも。
…だって、抱いてほしいんだよ。
我慢しなきゃってわかってるけど、でも、でも。
仕方ないのかな。
…いや、うん。仕方ないよね。そうだよね。
すごく彼の家に行きたい気持ちなのに、今日は、そのための“言い訳”がない。行きたい、なんて言えない。だって僕は彼のコイビトじゃないんだから。
「……帰ろっか」
自分でもびっくりするくら名残惜しそうな声が出て、下唇をかみしめる。
今日もまた情けない気持ちで夜を過ごさないといけないのかと思うと気持ちが沈んだけど、まだ彼と一緒にいる時間は終わってないのだ。
せめて最後まで楽しもう。
下校デートの“言い訳”になってくれたクレープは、もう、ないんだから仕方ない。
僕は願望を斬り捨てる意味を込めて、クレープの覆紙をゴミ箱に突っ込んだ。