バレンタインなんて企業の販売戦略だ。
とはいえ、流されやすい性質の日本人が、そういうイベントに熱くなる理由はわからないでもなかった。
毎年女の子からチョコを大量にもらえるので、僕としてはこのイベント、そう嫌いではない。
ただ、自分が「食べたいな」と思った時、ちょっと困るのも本当だった。

だって、ほら。
バレンタインに男が一人でチョコを買いにいく、って、あらぬ誤解を受けそうじゃない?

「(そういう意図じゃ、ないんだけどなー…)」

まあ、でも。
最近は男の方からチョコを贈る、という習慣も生まれたとかで、前よりは抵抗なく見れるようになった。
色とりどりのチョコレート、ラッピングにこったものが多いのは、無論“バレンタイン”を意識してのことだろう。それらをチラチラと視界の端にとらえて、僕は立ち止まる。

「(…ふむ)」

周りは女の子ばっかりだから、ちょっぴりの居心地の悪さを覚えないでもないけど。僕はあんまり周囲の視線を気にしないタイプだから、堂々とかがみこんでショーウィンドウを見る。
シックで大人っぽいラッピングのチョコレートが、ふと目に飛び込んできた。黒い箱に、金色の装飾がなんとなく格好よくて、これなら女々しくなくていいかもな、と思う。
これなら…、

「………」

脳内にふっと浮かんだいけすかない男の顔を、空想の中で殴りとばした。
いやいやいや。
別に、あげたりしないし。
僕のだし。

そう思いつつ、ふと顔を上げたら――店員と目があってしまった。お伺いします、と言われて、その場の流れでなんとなく、じゃあこれを、とお願いしてしまう。

それから店を回って、金平糖と、マフィンも手に入れて。僕はふらふらと家に帰ってきた。

金平糖とマフィンを食べたら思ったよりもおなかがいっぱいになったので、チョコは明日食べることにしよう。
機嫌よく布団に潜り込んで、目を閉じる。





そして次に目を開けたとき。
そこには、不法侵入者がいた。

「…やっと目が覚めたか」

鮮やかな金色の、きらびやかな――その、色。
すごく綺麗だけど、持ち主が気に入らないから、僕はそれを睨む。

「鍵。かかってたはずだけど」
「鬼の力を前には障害にもならん」
「それさ、好きな文句らしいけど、理由になってないからね。…でてってよ。朝っぱらから君の顔なんて見たくないんだけど?」
「寝ぼけた顔を見られるのが恥ずかしいと見えるな。しかし、おまえのその顔も、なかなか悪くない」
「死んでくれ…」

眠たいのに、こんな軽口の応戦もしたくない。僕は枕に顔を押しつける。風間の気配は僕のすぐそばにきた。首の横あたりに手をついて、僕の耳の側に唇を寄せる。

「いい加減に起きたらどうだ?…ベッドの上で俺に構ってほしいなら、別だが」

無意識のうちに手が出た。殴ろうと思ったんだけれど、寝起きであんまり力が入らなかったせいか、そのキレはいまいちだ。風間は余裕の見える動きでそれを防ぐ。ぱし、と、殴ろうとした手を逆に取られて――少し強めにひねられて。

「い、」

痛い、と口にしそうになって、あわてて口をつぐむ。そんなか弱い悲鳴、あげてなるものか。僕は風間をにらみつけるが、風間はそれが嬉しいらしい。にやにや笑って、唇を寄せてくる。
僕はそれを拒否しようと、必死に顔を逸らした。
とられた手とは逆の手をふるう。

今度は、かろうじてヒットした。
頭をたたかれた風間は、それでも揺らぎもせず、唇の端をゆがめる。

「余程いじめられたいらしいな」
「ちょっと、…離れて…!」
「断る」
「ぁっ、」

するり、と、パジャマの上から腰を撫でられて――か弱い声をあげてしまってから、はっと、気が付いた。朝、なのだ。色々危ないことになりそうで、僕は必死のていで暴れる。何とか悟られまいと、体をよじって、風間を押し戻す。隙をついて布団を体に巻き付け、…気に入らないけど、きっと赤くなってしまっているだろう顔で、精一杯の罵声をあびせた。

「離れろっ、て、の!」
「なぜおまえの言う事を、この俺が素直に聞いてやらねばならん」

くそ、この男殴りたい。

「それ以上やったら通報するよ。出てって」
「ふん、通報だと?好きにしろ、俺は別に――」
「ついでに土方さんも呼ぶけどいいわけ?」
「それはやめろ」

顔をしかめる風間に、僕は今度こそ距離をとった。

「出てって。リビングで待ってて。顔洗って洋服着る時間くらい、“待て”できるでしょ」
「ほう…この俺を犬扱いとは。よほど襲われたいと見えるな」
「“待て”もできないなら、犬以下じゃないの?」
「ふん。まあ、いいだろう。おまえが素直じゃないのはいつものことだからな。ただし、20分以上は待たんぞ」

…あああああ、本気で斬りたいこの男。
にやにや笑いながら、風間は部屋を出ていった。僕は慌てて起きあがると、急いで身繕いをして――

「……」

ものすごく不承不承と言った顔で、リビングに向かう。
風間はソファの上で、当然のような顔をして、本を読んでいた。
僕に気づいて、「やっときたか」と本を閉じ、放る。
ちょっとそれ僕の本なんだけど――と文句を言ってやりたいけど、どうせ聞かないから無言だ。

「何しにきたわけ」
「ふん、愚問。素直じゃない貴様から、例のものを受け取ってやろうとわざわざ足を運んでやったのだ。感謝しろ」
「例のもの?」
「今日はバレンタインだろうが」
「…はあ?」

話が読めない。
何で当然のように自分がもらえると思ってるんだこの男は。

「なんで。僕が。大嫌いなあんたに、わざわざお金出してまでチョコをあげないといけないわけ?話がおかしいよ」
「素直じゃないおまえが、素直に気持ちを伝えるチャンスだろうが」
「僕は日ごろから素直にあんたが嫌いだと示してるつもりだったんだけど?ていうか、そんな用なら帰ってくれるかなあ。チョコなんてないし」

……。
うん、ないし。
あのチョコ、僕のだもん。

「ほう。ならばコレは何なのだ?」
「!」

風間は、にやにやしながら、僕の目の前にそれをかざす。それは、言わずもがな、昨日買ったチョコだ。
喉の奥から、ものすごく素で舌打ちが出た。

「君ってほんとに目ざといよね。それ、返して」
「俺のものだろうが。なぜ返さねばならない?」
「君のじゃないし」
「ほう、」

すう、と、風間の目が細くなる。爛々と輝く瞳が、…剣呑な色に染まった。
あ。
これは、ちょっと、…

「ならば、誰にやろうというのだ?俺以外の男に、この特別な日に?」
「う、うるさいな。僕が誰にあげようと君には関係な、」
「俺の気を引きたいが故かもしれんが。俺以外にそんなことをして、――どういう目に遭うか想像もできんか」
「……、…だ、誰かにあげるとは、言ってないじゃない…」

これは、まずい。本気で怒った目だ。
僕は――ものすごく癪だけど――やや慌てて、言い訳のような事を口にする。

「何だと?」
「僕のだよ。それ」
「ほお。ラッピングもされているようだが」
「店員が勝手に勘違いしてやったんだよ。時期が時期だから、バレンタイン用だって勘違いしたみたいで」
「苦しい言い訳に聞こえるが」
「僕のだよ。別に、千景にあげようなんて思ってない」

もごもご口にしたら、くくっ、と、のどの奥で笑う声。
なんだか馬鹿にされたみたいで、僕はかっと頬が赤くなるのが止められなかった。

「何」
「相変わらず愛いことをする。そんなに素直になるのが怖いのか」
「はあ?僕はいつだって素直だし」
「正気とは思えんな。貴様が俺に惚れていることなど、とうにお見通しだ」
「起きながら寝言を吐くなんて器用だね。思いこみもそこまでいくと凄いや」
「――俺はおまえのそういうところも気に入っているが。しかしこれは寝言ではない。証拠もあるぞ?」
「……証拠?」

めいっぱい眉をしかめてみせる。風間はそれすらも喉で笑った。

「お前は好きでもない男に抱かれるような人間ではなかろう?」
「な、」

…なんだよ、それ。
いけない、動揺するな、と、自分に言い聞かせるけれど――たぶん僕はわかりやすくうろたえて、唇を噛み結んだ。

「自分に屈辱を与えた相手をやすやすと生かしておくような、ぬるい男ではないはずだ。違うか?」
「………」

う。それは、…まあ、そうだけど。

「それ以上の恥辱を与えるか、どうかせねば気が済むまい?そのお前が俺には好き勝手させるのは、何故だろうなあ?理由など一つしか思い浮かばんが」

うう。それは、まあ、そうだけど…!

でも別に風間のことが好きなんじゃないし!抱かれたら意外と気持ちよくて、その、…それだけだし!
身体だけなら別にいっかなって思っただけで、別に心までは許してない、…つもりだし!

「ああもう、黙れよ!君いちいちうるさい!」

かっとなって、僕はつかつかと歩み寄ると、風間の手からチョコを奪い取った。その場でその綺麗な包装をびりびりに裂いて、ぐちゃぐちゃにしてから、差し出した。

「もういいよ、これあげたら満足なんでしょ。用がすんだなら今すぐ帰って!」
「この程度で何を照れているのだ。というか、包装を破くな」
「君なんてこのぼろぼろのチョコで十分だよ」

帰れ、すぐ帰れ、という意味を込めてぐいぐい差し出すと、割合素直に風間はそれを受け取った。ニヤニヤしながら、「ついでに言えば」と、びりびりに破かれた包装紙に口づけしながら僕を見る。

「ビターチョコは貴様の好みではないはずだがな」

ああもう、五月蠅い五月蠅い五月蠅い!

「…帰って…!」
「貴様の顔を見ていると帰る気も失せるな」
「帰れってば!」
「俺のためにわざわざチョコを用意した、その心意気に免じて褒美をやろう」
「だから君のじゃないって、あの時はたまたまビターチョコが食べたい気分で…って、わ、ちょっ…どこさわってる…!」

この変態!と詰ると、風間は嬉しそうな顔をした。なじられて嬉しいなんて本当に変態なんじゃないか。いや、変態だが。

呆れるほどの手際の良さで身体中を這いまわる指先と格闘しながら、必死に睨み付ける。それを楽しそうに受け止められてしまったら、もう僕には打つ手がなかった。

「……っ、…ぁ…」

喘ぎ声なんてあげるものかと頑張っても、口からは勝手に気持ちよさそうな吐息が零れる。
これを聞かせるともう駄目なんだ。
風間のスイッチが入ると、もう止まるはずもない。
離せと言いながらもすでに力が入らなくて、へにゃへにゃの腰を風間に支えてもらいながら、僕は泣きそうだった。

「…ここ、やだ…ベッド…」
「断る。あそこは暗くて、お前の顔がよく見えん。ここならお前の顔がよく見えるからな」
「……だから嫌なんじゃないか…!」
「嘘をつくな。だからイイんだろうが」
「………ううー…」

不意に物凄く恥ずかしくなって、このみっともない顔を見せまいと僕は風間の肩に顔を押しつけて隠す。
何を勘違いしたのか、風間はことさらにニヤニヤしているようだった。
顔は見えなくても声でわかる。

「ずいぶん甘えるではないか。なんだかんだでお前も、こうなることを期待していただろう?」
「死ね…!」

悪態すら、もう、かすれて弱弱しい。

もう何の抵抗もできなくて震えるだけの僕を、風間は当然のように引き寄せて、そのままソファの上に転がした。柔らかい布地に身体が沈んで、見上げる先に、美しい金色の髪が、光に透き通るのが見えて――

これだけ明るいということは、僕の顔もばっちり見られているのだと察せてしまって。

赤くなってしまっているだろう顔を見られたことが、何よりも屈辱だった。


…もちろん。

この後に待っている行為の方が、たぶん、今の数百倍も恥ずかしいんだろうけど。








ハ ッ ピ ー バ レ ン タ イ ン !










…この後の展開なんて、語るまでもないよね?