「……ここが、こう、か?」
「いや違うって。そこはメニューを切り替えるつまみで…」
「そうか。ではここが」
「だから違うって!それは明るさ調節機能の、」
「ではこれか?」
「だーかーら、違うって。もう、覚えが悪いなあ」
怒りながら、僕は彼のほうに手を伸ばす。彼――斎藤一くんは、弱ったような困ったような顔をして、割合素直に僕にそれを渡し、近寄ってきた。覗き込んでくる気配にちょっとドキドキしつつも、顔に出さないように気を付けて、僕はそれを手早く操作する。
それ、とは何か?
今はやりの、デジカメ、というやつだ。
「これだよ。ここをこうしたら、ほら」
「…ああ、これか。成程、ここをこうすれば…」
「そう。これでズーム。これでシャッター」
「わかった、やってみる」
すぐにカメラを取り戻して、斎藤くんは言われたとおりに操作する。僕もそれを覗き込んだ。
すらすらと迷いない手の動きに覚えたのは、どちらかというと落胆の感情だ。
「(…はじめくんって、機械音痴なんだけど、呑み込むのは早いからなぁ…すぐにお役御免になっちゃうかな)」
それは、すこしだけ、残念だ。
…こうやって怒ったふりしてるけど、それはそういうそぶりをわざと取り繕っているだけで、僕はほんとうのところ喜んでいる。機械に弱いらしい彼が、僕を頼ってくれたから、だ。
ことの始まりは先週のこと。担任からの命令――いや、命令っていうほどじゃないけど、個人的な頼みっていうのかな?――とにかく、アルバムに載せる写真がどうとかなんとかいう理由で、彼に一台のデジカメが貸し与えられた。どういう経緯で彼にその仕事が任されたのかはわからないけれど、生真面目な彼はそれを受け取って。で、その後になって“デジカメ”の扱い方をまったく知らない自分に気が付いた、と。ようはそういうこと。
彼は自他ともに認める機械音痴だ。
使い方を教えてくれと頼まれたのが今朝方。
僕は言葉にも態度にも素直には出せないけれど、彼のことが大好きだ。断る理由なんてどこにもない。
それを理由にちゃっかり斎藤君の部屋に転がりこめたし、おいしいカフェオレもご馳走になったし。…好きな人と、一緒にいられるし。
言うことなんてない。僕はとても、ご満悦である。
…まあ斎藤君はさっきからずっとデジカメとにらめっこで、難しい顔をしながらあれやこれやとボタンをいじっているだけだけど。
「(僕からしたら、その難しい顔をこそ、写真にとってあげたいくらいなんですケド。気づいてるのかなあ)」
馬鹿な子ほどかわいいというのは本当だ。
普段がクールで潔癖で完璧な雰囲気だからこそ、たまに見せるこういう表情は、いつもより二割増し可愛く思える。
「……」
斎藤くんは、適当な被写体をパシャリと撮って、それを見ては首を傾ける。またうまくいかなかったらしい。
「――もう少し大きく撮れないだろうか」
「大きく…ああ、ズームはそこにあるつまみで調節できるよ」
「む」
「ああもう、仕方ないなあ。貸して」
せいぜい呆れた声をつくって、彼からデジカメを奪い取る。そして僕は、彼の写真を撮った。いつもの冷静な表情を一枚。…ちっ。さっきのかわいい顔はどうしたんだ。
いや、まあ。
この写真も格好いいから、いいけど。
「…ほら、こんな感じでここをいじったら、明るさとか自動で調節してくれるし…」
………。
あ、どうしよう、よく見たらこれ結構いい写真かも。
いいな、これ、欲しいな。
…このまま返したら、まず間違いなく消去されちゃうんだろうな…。
「(でも欲しいなんて言えないし。言ったら“何故だ”とか聞かれるし、絶対)」
好きな人の写真を欲しがるのに理由なんかあるもんか。
…いや、というか、理由があるとしたら“恋心”が理由になっちゃうし。
そんなこと言ってたまるもんか。
……。
ひっそりメモリーカードを抜いたりしたら…ダメだな。すぐにわかっちゃうや。
うう。素直に言うしかないのかなあ。
「ね、ねえ」
「?なんだ?」
「――せっかくこうやってわざわざこの僕が手伝ってあげたんだからさ。お礼してよ」
「ああ。明日、あんたの好きな店で甘味をおごる」
それはとっても嬉しいけど。
「この写真、…現像して僕にくれない?」
「写真?…何故だ?」
ほらやっぱり“何故”攻撃。答えのカードが“恋心”しかない僕には痛い質問だっていうのに、彼は天然で聞いてくるから困る。
「別に。君のこの真剣な顔が笑えるから、土方さんにでも見せて笑ってやろうと思っただけ」
「俺はいつもこの顔だが」
「いいから!これ頂戴って言ってるの!いいでしょ今日手伝ってあげてるんだから!!」
こうなったらゴリ押しだ。欲しがる理由を追及される前に先手を打つしかない。
怒鳴るようにそう言って、写真を見るモードから、写真を撮るモードへと切り替えて彼に押し返す。こうしてしまえば、わざわざもう一度先ほどの写真を探して消去するほうが手間だ。
「?…まあ、俺は別に…構わないが…」
きょとんとしたまま斎藤くんがうなずいた。そのきょとんとした顔がかわいかったのに、今僕の手元にはデジカメがない。…ちっ。
「…いいからさっさと操作方法覚えてよ。僕だってこんなことに付き合わされるのはいい迷惑なんだから」
心にもないことを言って、僕はふんとそっぽを向く。こういえばとりあえず斎藤くんの写真については誤魔化せるだろう。
案の定斎藤くんは素直にうなずいて、手元のデジカメを触りだした。
「………」
それから、しばらく何かを考えて。そのデジカメを僕に向けて、シャッターを押した。
「…ちょっと、何勝手に撮ってるの」
「いや。人を撮る練習になるかと思った」
「僕は許可してない」
「あんたもさっき、勝手に俺のを撮っただろう?」
「………」
そうだけど。そうだけど!
なんか恥ずかしいんだってば。
「……」
おとなしく撮られてやるものかと、僕はふいと頬をそらす。そらしたままの状態でまた、シャッター音。
ずるい。僕だって君を撮りたいのに。
「……ッ!」
悔しくて睨み付けたら、その顔をまた、もう一枚。
「ちょっと!」
「…なかなか綺麗に撮れるものだな」
「斎藤くん?僕は僕の撮影会をするためにこんなところに来たわけじゃないんだけど」
「すまない。だが、…なかなか面白いものだな。写真を撮るというのは」
「あっそう」
僕は面白くありません。
「あんたの写真は、見事に怒った顔ばかりだ」
「誰がそうさせてると思って…!」
言ってるさなかにまた、フラッシュ。
…あーもー!
「それ!データ消して!」
「何故?」
「気に入らないからに決まってる。僕は許可してないッ」
「別にいいだろう。俺はこの写真が気に入ったのだが…現像していいか?」
「よくない。消して。データごと」
「………あんたも俺の写真を好きに撮っていい、と、言っても?」
「!」
む…うう。
それは、かなり、ちょっと、…魅力的かもしれないけど…!
「駄目だろうか」
「ぐ…」
な、なんなのその、ちょっと含み笑いしつつ上から目線…もしかしてもしかしなくても、僕が斎藤くんの写真を欲しがるだろうことを知っててこの人は。
う。ううー。めちゃくちゃに悔しいのは悔しいのだけれども、“斎藤くんの写真”という餌はとてもおいしい。
「じゃあデジカメ貸してよ。同じだけ撮るから」
「ああ。構わんが」
「………斎藤くんっていつも冷静な顔だからつまんない。笑ったりとか、なんかないの」
「そういわれても、俺はもともとこういう顔だ」
「……ちっ」
画面に映っている彼を見る。やっぱりいつもの無表情だ。
…カメラを弄ってる顔はかわいいのに。でもカメラを渡すと、そんな表情撮れないし……。
「カメラ片手に百面相しているあんたの表情が面白いな。どうせなら二台あればよかったのだが」
ちょっとこっちの心読まないでよね。
それはこっちのセリフなんだから。
「……君の悔しそうな顔とか、“僕のこと好きで好きで仕方ないですー”って顔とか。もし撮れたらすっごい嬉しいんだけどなあ…」
「俺は顔に出ないだけで、あんたのことは恋しく思っているのだがな」
「嘘つきの言葉は信じないもん。あーあ、もう…」
唇の端を釣り上げるだけのそんな表情でも僕にとっては嬉しいんだもの。
パシャリ、と小さな機械音。
………。
デジカメって、ちょっといいかも。
今度土方さんあたりにおねだりしてみようかな、なんて。
ちょっと不真面目なことを思いつつ、僕は自然と緩む頬を、抑えきれなかった。