意識の輪郭がはっきりとしないなか、指先の暖かさだけを感じている。
そんなうたた寝を、僕は繰り返していた。
もたれかかった先の木の冷たさや、木漏れ日の優しい光や、そんなものを閉じた瞼の裏に感じて――まどろんで、いた。

「…ん、」
「総司」

ひくいこえ。だれだろう。――つめたくひびいているのに、それでもどこか、あったかい声色。
その人は怒ったような声を出した。

「こんな場所で寝るなといつも言っているだろう。起きろ」
「……んー…」
「総司」

低い声が近づいてくる。耳元で言われて、ちょっと背中がぞくってして。それでもそれは気持ちいい種類のゾクゾクだから、僕は目を開けられないでいた。
そうこうしているうちに唇が塞がれて、僕は――

素直に驚いた。

「――ん…ッ?!?!」

触れるだけのそれとは言え、…キスを、されている。
無意識に見開いた視界に入ったのは――近すぎて何が何だかわからないけれど、その紫の髪の色。間違えようがない、彼だ。
斎藤一。

彼と口づけだなんて、いくら夢見ても叶わなかったものの筆頭だ。
ほんとうに斎藤くんなのか、僕は慌てて手をジタバタさせた。

「んッ、――ちょ…斎藤く、」
「どうした?」

寝ぼけているのかと、そう言う声がとても優しい。
低くて、吐息が少しまじったような…そして何よりも、からかうようなその声質に、混乱したまま肩を押した。
強く押したつもりなのに、彼の身体はびくともしない。
けれど僕の意図をくんでなんのてらいも無く身体を離した彼は、不思議な服を着ていた。

黒っぽい服なのはいつもと同じだけど、和っぽいっていうか――なんていうか、これ、あれだよね。着物…?

「……、…え?」

そして――髪、が。髪の毛が長い。彼の綺麗な紫の髪が、後ろでは無くて首の横から垂れ下がっていた。

「……、あ…、」
「どうした?」

何か変だ、そう思いながら、その違和感の根本が思い浮かばない。

本当の彼はもっと短い髪をして。
もっと冷たい声をして。
絶対に僕に口づけなんてしてくれないし、それに…

「(な、なんかちょっと、大人っぽ、い?)」

目の前の斎藤くんは僕が知っている斎藤くんよりも大人びて見えた。変な話だけれど、大人に見える。

「…さ、斎藤くん…?」
「寝ぼけるな、総司。巡察で疲れているのかもしれないが」
「は、…え?…じゅんさ、つ…?」
「寝るならば部屋に戻れ、と言っている」
「へや、」

どこ?と首を傾けたのを、何か別の意味に捉えたらしい。彼は大げさに溜息をついた。

「――前もそうやって風邪をひいたのを忘れたのか。病み上がりのあんたが甘えたになるのは知っているが、待つなら部屋で待て」
「君の、部屋で…」
「そうだ。恋仲なのだから気兼ねする必要などないだろう」
「こい、なか…なの?僕と、君が?」
「……、ほんとうに、どうかしたのか?」

どうした――そう低く言いながら、斎藤くんは精悍な顔つきで僕を覗き込む。彼は、こんなに鋭い瞳をしていただろうか。
まるで獣みたいな。
その瞳には、命を賭けることになんのてらいも無い潔さがにじんでいる。

それがたまらなく綺麗で、思わず見惚れた僕は――聞きたいことなんて山ほどあるはずなのに、無言で彼に手を伸ばした。

「……、」
「総司?」

当然のようにそれを握り返しながら、彼が笑う。当たり前みたいに傍に来て、抱きしめてもらって。照れて目を伏せる僕を、わざわざ下から覗き込んで目を合わせた。
僕はそれを、綺麗だなって、思う。
…大人になったらきっと、こんな風になるんだろうな、はじめくん。すごく格好いい。

「…はじめくん、好き…」
「どうした。今日は酷く甘えるな」

俺もだ、と甘く囁く声と一緒に、唇が落ちる。それだけでこんなに満たされて、幸せで、


…あ、そっか。これ、夢なのかな。
夢だから、妄想が具現化しちゃったのかも。

大人になってもはじめくんと一緒にいたいな、とか。
口づけて欲しいとか。
甘えさせてほしい、とか。
いつもいつも飽きるくらいに同じことばっかり考えてるから、ついに夢にまで見ることになっちゃったのかも。

…ああ、でも、

「(いいなあ…)」



好きな時に部屋に来ていいって、許してもらえるだけでもすごくすごく嬉しいのに。
こんなに愛おしそうな目で見てくれる。口付けだって、ねだればいくらでもしてくれて。
僕だけを見てくれて。
愛し愛されるのが当然で。

「(いいな、彼に愛されるなんて。うらやましい、な)」





でも、しょせんは夢なんだ。
そう思った瞬間に、僕は目覚めた。















「う、うああああ、う、はじめくんのばか…!」

ほとんど半泣きのままわめき散らす総司を前に、俺はどうしていいかわからず途方に暮れた。



総司が酒を飲んだ。引き取りに来い。

…という土方さんのヘルプを受け取ってやって来たはいいものの。

「(ただの酔っ払いだな…)」

中学のぶんざいで酒を口にするなどと風紀の視点以前に言語道断だ。後ほど厳しく叱ってやろう――と思いつつも、原因はわかっているから何とも言えない。

今日も恋人にしてくれと総司に詰め寄られて喧嘩になっていた。解決しないままうやむやに流れてしまったから、耐えがたくなって、土方さんの家に行ったのだろう。
呑むなという制止を振り切って酒を口にした総司は、最早完全にへべれけだった。

近づけば猫のような動作ですりすりと擦り寄られ、普段よりも素直になってむしろ嬉しい――などと思っていたのは最初だけ。少し目を離した隙にうつらうつらと船をこぎ始めたので、布団に寝かしつけてやったら、どうやら悪夢を見たらしい。
わんわん泣きながら飛び起きて、

何故かものすごく怒られている。

「(何故…)」

…可愛いのは可愛いのだが。
怒る顔も好きだ、泣き顔も好きだ、だからこの状況も本来ならそう悪くはないの、だが。

「ちゅ、…ちゅーしたいって、言っただけじゃ…ッ、怒らなくてもいいでしょ!お、怒っていいのは僕の方だよ…っはじめくんのばか、ばか!」

キスしようとしてきたのを少し乱暴に拒否したのがいけなかったらしい。ひくひくと咽喉をひきつらせながら、総司がわめく。
別に怒っていないと何度言っても聞かない。
精神年齢が著しく低下している気がする…幕末の頃の総司は、こんなにも酷い酔い方はしなかったはずなのだが。

とにかく。

「…う、…うー…っキス、」
「しない」
「…うえ、…う、…ふえ…」
「泣いても駄目だ。…というか落ち着け、総司。俺は、」
「やだ、キスしたい。すぐしたい。はじめくんとしたいよ、…ふええ…」
「いや、だからだな、」
「…さっきはしてくれたのに、なんで駄目なの、」
「してない。あんたは寝ぼけているんだ。ついでに言えば酷く酔ってもいる。だから眠れと、」
「はじめくんのばか!」
「だから何の話だ!」
「お、怒らなくたっていいでしょ、…・さっきはあんなに優しかったのに、…う、…ううううー…」

寝ぼけている。
俺はキスなんてしていない。「髪」だの「変な服」だの意味がわからないことばかりをわめかれ、怒られて、俺は正直辟易していた。

髪。服。キス。だいたいこの三語が多く語られるが、酔っ払っているので夢の内容がよくわからない。
というかそれ以前に夢の中の俺に怒っているのならお門違いもいいところなんだが、――あいにく酔っ払いにそんな区別は無いようだ。

「こんなはじめくん嫌い。あっちのはじめくんがいい…はじめくんなんて嫌い、だいっきらい」
「ああそうか、もう嫌いでも構わんからとにかく寝ろ」
「や…ッやだ」
「総司」
「…僕は、怒ってる、…ん、だから…ッ」

怒っている、と言う割には泣きたそうな顔で、総司はわめく。

「うそつき、うそつき。好きなんかじゃないくせに、僕のことなんて、なのにキスなんかして、僕、…むにゅ…」
「…この酔っ払いめ」

いつものように愚痴を言おうとするが、酔っ払った頭では上手く口が回らないらしい。もにょもにょ何か言いながら、総司はすがるように俺の服を握りしめた。
なだめるように抱きしめて、ぐずる口元を撫でてやる。とろとろと閉じそうになる瞼は、けれどもう少しというところでいつも往生際が悪かった。

「――こんなに好きなのに、何が駄目なの、」

さっきまでうとうとしていたくせに、またすぐに見開かれた。しかも思い出したようにボロボロこぼれる涙を、あろうことか俺の服に押し付けて拭く。もう好きにしてくれと、俺は好きにさせていた。

らしくもない舌打ちが出そうだ。
無意識にすり寄る体温も、何もかも、今の俺には毒でしかない。

俺にもたれかかる総司の、寝息に近い吐息が首筋に当たってなんともくすぐったい。好いた人間にすり寄られ、口づけをねだられ、揚句普段は聞くことも無い素直な台詞や可愛い泣きごとを聞かされて、何も思わない奴なんかいない。
今すぐにでも口づけてやりたい欲求と戦うのも骨だ。

「(“何が駄目なのか”、…それを聞きたいのはこっちだというのに)」

総司になら、振りまわされるのも嫌いじゃない。しかしいくらなんでも限度というものがあるだろう。

「…上手くいかないものだな」
「ん、…んんー…っ」

もしも。
もしも、もう一度会えたなら――こいつの我儘をすべて聞こうと決めていた。
甘えたなあいつが、それでも戸惑うくらいに甘やかして、どんな些細な我儘も聞き逃すまいと思っていた。

「(本当に、)」

うまくいかない。
俺はこいつを泣かせてばかりで、ろくに笑わせてやることもできない。

「早く思いだしてくれ。…俺とてそう気が長い方ではないんだ、ことあんたに関することなら尚更」

もにょもにょともはや判別もできない寝言を呟く総司の唇に指を這わせ、せめて気が休まるようにと額に唇を押し当ててやる。
まともに俺の台詞を判別できないくらいに酔っているらしい。何を言われたのかわからないとでも言いたげな顔をする総司には何も言わず、誤魔化すように唇をもう一度押し付けた。


この時代の総司は誤魔化しやすいから、ついそれに甘えてしまう。

自嘲しながら、俺は寂しがってぐずる総司の肩を引き寄せた。