そのままの流れで朝食にするか、という話になったのだけれど、土方さんが僕に話があるということで、カロリーメイトは弟と斎藤くんに譲ることにした。

別室に連れていかれる。
土方さんは、まあ、いわゆる美人と言っていいくらい顔立ちの整った人だけれど、所作が荒っぽくて男っぽいから、初対面の人は結構怖がるらしい。――まあ、そのギャップがいい、と、看護婦が噂しているのも知っているけれど。
頼れる人だと、僕ですら思っている。

…てっきり体調の話や採血なんかをされるものだとばかり思っていたのだけれど、そうではないらしい。僕は土方さんが発した意外な台詞に目を見開いた。

「りょこう…?」
「ああ」

乱暴に淹れたコーヒーに砂糖とミルクをたっぷり入れて、僕好みの味にしながら、土方さんは僕の向かいに座った。
その単語の意味を理解するなり、僕は嬉しくてたまらなくなる。

「旅行って、旅行ですか?」
「他にどの旅行があるんだよ、その旅行だ。――まあ、俺が車で軽く連れ出してやるだけだけどな」
「十分ですよ。嬉しいな、病院ってなんだか閉鎖的だから気分が塞いでたんです」
「そうだな。それに、そろそろ潮時だ」
「え?」
「お前らも、ずっとここにいる訳にもいかねえだろう。この旅行はその下準備だと思ってくれればいい」
「………」

まあ、いつかはこういう話になるのだろうなと思っていた。

僕らは便利なモルモット。
この身に巣食う毒を調査するため、とか、まあそんな名目で病院側に閉じ込められている。
――昔からそうだったから、僕らはもう疑問に思うことすらなくなってしまったけれど、それは世間一般から見れば十分に非人道的なものらしい。だから病院側は僕らを外に出さずに閉じ込めていたいはずだ。…僕らを外に出すことに難色を示す人間は、必ずいるはずなのだが。

「いいんですか?」
「構わねえよ」
「イイ顔しない人たちが、上にはいっぱいいるでしょうに」
「頭の固い連中だ。少し撫でてやれば大人しくなる」
「へえ。土方さん、かっこいーじゃないですか」

ここのところ、この人が病院内での勢力をあげていることは知っていたから、僕は、なるほどな、と感心した。手渡されたコーヒーに口をつける。

「(土方さんが潮時と言うなら、確かにそうなんだろう)」

土方さんはとても有能な人だ。僕らの背景にあった黒幕を一つ一つ確実に潰し、今やこの病院の覇権を握りつつある。そうなればきっと僕らを繋ぎとめていた研究者たちはいなくなって、――土方さんに守られながら、僕らはこの病院から解放される。
弟も、僕も、普通の高校生になれるのかもしれない――

「…僕がすべきこと、お手伝いすることは、何かありますか」
「お前はあの白い方の総司を見ていてくれ」
「弟を?…あー、まあ、そうですね、何となくわかりますけど。また何かやらかしたんですか、あの子」
「ハッキングに強請りに何でもありだ」
「流石は僕の弟。有能なのは有能なんですよね」

おかしいことと僕は笑ったけれど、笑いごとじゃねえ、とそっ返される。

「恨みばっか買いやがって、誰が清算すると思っているんだが。やりすぎないか心配だからな、お前が見ておけ」
「言われずとも」

愛しい弟のためならば、苦労も苦労に数えはしない。
――今もあの部屋で僕の帰りを待っているだろう弟のことを思うと、それだけで心が凪ぐような気がした。
可愛い可愛い弟だ。傷つける奴がいるなら、僕だって容赦するつもりはない。

…ここのところ弟が、神経質なまでに病院側の動きに気を配っていることは知っていた。僕を置いての単独行動が目立つのも道理である。なるほどと頷いて、コーヒーに口をつけた。

「あの子、土方さんに凄くなついてますからね。きっと貴方の役に立ちたいんですよ」

自分もコーヒーを飲みながら、土方さんは眉を寄せる。

「あいつが役に立ちたがってるのは、お前のためだろうが」
「それはそうなんでしょうけど。でも土方さんのことも好きなんですって。あんまり邪険にしないであげてください」
「してねえよ、邪険になんて」
「ふうん?じゃあなんで僕と弟とで、接する態度が変わるのかな?」
「………」

難しい顔をする土方さんを、僕は笑った。

気付いていないと思っているなら大間違いだ。
僕はそんなに鈍い方じゃない。むしろ鈍いのは弟の方なんじゃないかと思う。

土方さんは、僕をとても大事にして、弟には少し一線を引いている。
されている側だからよくわかるのだ。

どちらも“沖田総司”として尊重してくれている。
けれど、僕らは決して同じではないことを示すように、土方さんは僕らを同じようには扱わない。

「…どうして土方さんは、僕ばかりを大事にしているの、かな?」
「お前が特別だから、とでも応えれば満足するのか」

ややあって。
照れだとか焦りだとかの一切を浮かべず、土方さんはやれやれと言わんばかりにそう言った。こういうところ大人だよなと僕は思う。

「へーえ。誰にとっての特別?どういう意味での特別?」

虐めてやろうと僕はそう言ったけれど、土方さんは呆れたような疲れた顔で、「こういう時だけ妙に生き生きとしてるんじゃねえよ」とだけ言った。
うん、まあ、そういう反応も結構特殊だから、僕としてはそれなりに満足だけどね。

「ふふ。旅行、楽しみだなあ。なかなかに鬼畜な旅になりそうだよね、夜とかさ」
「お前ら兄弟の頭にはそれしかないのか」
「だって楽しみじゃない?土方さんとは一度してみたかったんだよね。巧そうだし」
「………」

本気で困った顔をされた。大きな溜息をつかれる。

「疲れるだけの旅になりそうな、そんな予感しかしないのは俺だけなんだろうな」
「疲れているなら温泉とかどうですか」
「何でもいい。お前らがいきたい場所を選べよ」
「うん!」

僕は歳甲斐なく喜んで、帰ったらさっそく弟と相談しようと、立ち上がって土方さんに礼を言った。