るんるんと自室に帰った僕を待ち受けていたのは、最愛の兄ではなく、病院内で有名な幽霊だった。

「…ああ、帰ったのか」

僕は自然と顔を歪める。
彼の存在に、覚えがあったからだ。

斎藤一。

前世での沖田総司にとって、彼は大切な人だった。病で倒れた後、見舞いに最も頻繁に来ていたし、土方さんとは違って組長同士だったから、気の許せる相手だったんだと思う。おぼろげな記憶の中に、彼の姿は確かにあった。
確かにそれはそうなのだけれど。

「………」

誰にも懐かないはずの、警戒心が強いはずの、兄、が。
よりにもよってその男の膝で、ふわふわの髪をとかれながら眠っているのを見ると――無性にイラッとした。

「な、ん、で、兄さんが眠ってて、僕らの部屋にあんたがいて、しかもくつろぎモードな訳!」
「俺がここにいるのは、ここで眠っているこいつに誘われたからだが」
「なんで!」
「なんでと言われても――」

きょとんと眼を丸くする。整った顔立ちは認めるが、とにかく表情が乏しいこの男は、前々から病院内で姿を見かけることがあった。
…だからこそ、前世の記憶から彼を要注意人物とみなしていた僕は、さりげなく距離を置こうとしていたんだ。なのに僕が土方さんと話している少しの間に、どういう訳だか二人は出会ってしまったらしい。
出会ってしまえば兄はこの人に心を開いてしまうかもしれないと危惧はしていたが、どうやら杞憂に終わらなかったようだ。

「…俺がここにいると、何か問題でもあるのか」
「別に無いけど。あえて言えば僕の気分が悪くなることくらいかな」
「?」
「君が悪い奴じゃないってことは知ってるけど。僕の兄さんにあんまりベタベタしないでよ」

ベットの上、膝に丸めた手を置いて、兄さんは本当に猫みたいだ。リラックスしまくっている兄に癒されると同時に苦虫を噛み殺した気持ちになる。とりあえず、兄の髪を撫でる手をしっしっと払って、僕は斎藤一の前に仁王立ちになった。

思いっきり邪険にされているというのに、斎藤一は驚き以外の感情――たとえば怒りだとか悲しみだとか苛立ちだとか、を浮かべてはいなかった。

「ベタベタしているつもりは…膝に乗せているのはこいつが寄って来たからだし、」

むかっ。

「…もしかすると俺は、あんたに嫌われているのだろうか」
「心配してるんだよ、大事な兄だからね。兄さん無意識に色気を振りまくし…言っておくけど君、兄さんに不埒なことしたら、殺すよ」
「―――」

ふとした笑みですら、鼻で笑われたみたいで何となく腹立たしい。

「なにさ」
「いや。あんたも確かに沖田総司なのだなと思っただけだ」
「…沖田総司は、兄さんだけだよ。僕はその影。――なんであんたまで転生して、しかも僕らの傍に居るのか知らないけど、前と違って今の兄さんには僕がいるから。君の出番なんて無いよ」

対等な立場で、彼を傍で支えることができるのは、前世では確かに斎藤一しかいなかったかもしれない。でも今、この時代では、兄さんの隣には僕がいるのだ。それにもう上下関係がなくなったから、土方さんだって兄さんを一番に考えてくれている。
僕は、こいつに、兄さんの隣という今の僕のポジションを取られるのが怖いのだ。

「…いや、あんたも沖田総司であることに代わりはない」

なのに斎藤一は、そんな僕の心中などさて置いて、親しみをこめて僕を見る。
僕は彼を睨みつけたけれど、その気配を敏感に察したのは、目の前の幽霊ではなくて兄だった。

「…ん…ふあ、…、…あれ…?ああ、お帰り。帰ってたんだ?僕を置いていくなんて、君も結構酷いよね」

猫のような上品な欠伸をして、兄は斎藤一の膝に瞼を押しつけると、上目遣いで僕を見、それから今自分が膝を借りて眠りこんでいたことに気付いたようだ。

「あ、ごめん勝手に膝借りて。暖かい体温が傍にあると、無意識に擦り寄っちゃうんだよね、僕」
「ああ」

知っている、とでも言いたげに薄く笑う(ほんの微かだけど唇の端が上がったのを僕は見逃さなかった)、斎藤一がやっぱり気に入らない。僕は兄さんに詰め寄った。

「ちょっと兄さん、なんで僕らの部屋にこんな奴勝手に上げたの」
「ん?…んー」
「幽霊なんて勝手に部屋に入れちゃ駄目でしょう。まったく兄さんは…猫とか犬とか小鳥とか、気にいれば何でも部屋に入れる」
「なんだ、ふふ、僕の可愛い弟は、もしかしたら妬いているのかな?」

兄は取り合うつもりもなさそうだ。腕の力で起き上がって、ベットの上に座ると、斎藤一とは逆の方、自分の隣をぽんぽんと叩く。ここに座れ、と言いたいらしい。

「………」

てい。
迷いなく僕はその逆側、斎藤一と兄さんの間に無理矢理割り込んで座った。
兄さんは僕のその行動をヤキモチだと解釈したようで、くすくすと笑う。

「仲が良いんだな」

斎藤一がそう言うその声音には少しの悔しさも滲んでいない。僕はイラついたからその台詞を無視して、兄に向き直った。

「兄さん、朝ごはん食べてないよね?土方さんにカロリーメイト貰ったから一緒に食べよう」
「そうだね。ああ、ええと、…君も食べてく?」
「…いや、俺は、」
「駄目。無理。僕らの分しか無いし」
「いいよ、僕の半分あげるし――」
「そんなことしたら兄さんの分が減っちゃうじゃない。どうせ部屋戻れば何かあるんでしょ、病院食とか、軽食とか。…ああもう、君がいると兄さんが色々気を使うからさっさと出て行ってくれないかな」

言葉のとげでちくちく攻撃してみても、斎藤一は動じなかった。
…前世で色々慣れているのかもしれない。さりげなく兄がこいつを庇うのも腹立たしくて、僕の声にはだんだんイライラが混じっていく。
僕が兄と一緒に居て苛々するなんて本当に久しぶりだった。

――もういっそのこと闇討ちでもしてやろうかと思った所で、がらりと扉が開く音がした。

「何やってんだてめえら」

入って来たのは、土方さんだ。いつもよりも一人ほど人数が多いことに驚いたようで、目を見開く。
と同時に、僕の左側の気配が立ち上がった。

「土方さん…!」

淡々とした声ながら、それでも嬉しそうな色合いがよくわかる。

…ああそうだ、斎藤一と土方さんは、前世でも仲が良かったんだった。こっちの世界でもそれは変わらないらしい。尻尾が見えるというくらいわかりやすく、斎藤一は土方さんの所に駆けていった。
まるで犬みたいだ。

「なんだ斎藤じゃねえか。どうしてお前がここにいるんだ?」
「お久しぶりです、ふくちょ……土方さん。先程総司が薄い服のまま廊下をうろうろしていましたので、部屋に引き入れて暖を取らせていた次第です」
「総司が?…ああ、茶色い方の総司か。白い方はさっきまで俺といたしな」

土方さんがちらりと兄さんを見る。兄さんは――何やら複雑な顔で、土方さんと、斎藤一を見ていた。つまらなさそうと言うか、少し焦っているようにも見える表情だ。必死に二人を見ている。

…どうしたのだろうと、僕は兄さんの手を握った。びくりと震えた兄は、我に返ったように僕を見、――にっこり笑う。

「…ん?」
「どうかした?」
「え、ああ。ううん、何でも無い…あの二人、知り合いだったのかな」
「ああ」

兄には前世の記憶がないのだから、二人が旧知の中であると言う予測などまるでしていなかったのだろう。驚くのも無理はない。

「(…昔から斎藤一は土方さんの言うことだけは良く聞いたから、さっさとここから出ていくように命令してくれないかな)」

土方さんと兄さんの間に、恋敵が出現した可能性があるのだ。土方さんにはもっと頑張ってもらわないと。兄さんを勝ち取ってもらう必要があるのだから――

「(…なのになんで恋敵と仲良く談笑とかしちゃってるのかなあの人は…!)」

ああもう、腹立たしい!
こんな時なのに、めちゃくちゃ仲よさそうに談笑とかしないで欲しい本当に。
僕は斎藤一ごと土方さんを睨みつけ、苛々と唇を噛みしめる。


僕のとなりで兄さんが、少し不安そうに二人を見ていたことに、その時の僕が気付くことはなかった。