※ SSL回想、斎沖慣れ染め編です。時系列は一番最初ですが、初見の方はページ掲載順に読んで頂けると幸いです。↓












はじめて彼を見た時、ああ、この人はなんてまっすぐに人を見るのだろうと思った。



――世界中のどんな海も、空も、彼の瞳ほど美しい蒼を晒すことはできない。



その時僕は、はじめて彼を見た。

暖かい日差しの割に、風の冷たい日だったと記憶している。

机の上に伏せていた僕は、偶然瞼の上に下りてきた日光の刺激に何気なく顔をあげた。



彼は、転校生として、生徒の前に立たされているところだった。



少し長く伸ばされた前髪の下、伏せた瞼にわずかに色気がのっている。教卓に立った彼の表情は淡泊で色の無いものだったけれど、それでも、伏せられた瞼が上がった時、僕は時間すら止まったように思った。馬鹿馬鹿しいたとえかもしれないけれど、それこそ時間がとまったかのように、彼に見入った。

初めてだった。

その時その場で僕は、ことんと自分の心臓がたてた小さな動きとその音を、――確かに、聞いたんだ。



だって彼は、僕を見ていた。どうやったらこんなに深い瞳ができるのだろうと思えるくらい真摯に、どこか必死さをすら滲ませて。



“見つけた。”



薄く小さく動いた唇がそう形作ったように思えて、彼の瞳が、雄弁に何かを語るかのようで――僕は――僕は、何故だか泣きたいような気持ちになってしまったんだ。













† † †












一日目は、彼に近づきたくても周りの人たちが邪魔をした。

二日目も、三日目もそうだった。彼を知りたがる人達は多くて(まあ女の子が多かったのは彼の美貌のせいもあるのだろうが)、本を手に静かな時間を所望している感ありありの彼の机の周りには、いつも人だかりがあった。無理矢理ねじ込んで行くことはできるけれど、僕はそんなことをしたくなくて――否、普段の僕なら迷いなくそうしていたはず、なんだけれど、その時の僕はとてもじゃないけどそんな強硬手段を取ることはできなかった。理由は簡単だ。だって僕は、彼ともう一度瞳を合わせることが怖かったから。



あの時の彼の瞳が忘れられない、なんて、柄にもないと思ったけれど、彼に話しかけようと思うと緊張した。声が凍りついたみたいで、何を言っていいのかわからなくて――そしてそれ以上に、あの時の感覚をどうあっても言葉になんてできるわけがないと思った。他人のことなんて気にもかけたことがない僕にとってそれはほとんど初めてのことだ。

他の誰かがいる前で、彼と話したくはなかった。





四日目になって、僕は一案を講じた。

授業をさぼったのだ。

まず、昼休みの後の1コマを。

五日目は、昼休みの後の授業を全てサボった。

それは、生真面目な彼は僕みたいな劣等生を放ってはおけないんじゃないかという、軽い憶測だった(何が楽しいのか彼は好き好んで風紀委員なんてものに立候補し、ちゃっかりその一員として働き始めていた)。サボること自体は珍しいことでも何でもなかったから、クラスの人は僕を疑わないだろうと思ったし、それにこれなら彼の方からこっちに来てくれる。



そして土日をはさんで、次の日。

彼は屋上にやって来た。僕はまるで初恋の人を前にした女の子みたいにドキドキして、何も考えられなくなった。



「(…やっぱり間近で見ると睫毛、長い)」



ニキビ一つない綺麗な肌だとか、――そして何より印象的なその瞳、とか。どうしても目が合うのは怖かったから、眠いふりをすることにした。ただみっともない姿は見せたくないから、起き上がって、胡坐をかく。

緊張していたけど、持ち前の演技力で何とか普通の声をひねり出すことができた。



「やあ。優等生君がこんなところに何の用事?」

「―――、」

「?」



斎藤くんが返したのは、長い沈黙だった。形のいい唇を開けて、何かを言いかけて――けれどそれは言葉にならない。



「…総司、」



やっとのことで彼が口にした言葉は、僕にとっては意外なものだった。礼儀正しい人だと思っていたのに、いきなり名前を呼ばれたからだ。それに嫌悪感も違和感もない自分も変だなと思いつつ、僕はちょっと可笑しくなって、笑った。どういう形であっても、少しでも気を許してくれるなら、嬉しかった。



「名前呼び?」

「―――、」

「ふふ、別にいいけど。君って変な人だね。斎藤くん、」



「総司、」

「?なあに?」

「…そう、じ、」

「――何、斎藤くん」





「総司」





目を見れないと思っていた僕は、けれど幾度も名前を呼ばれた瞬間、思わずと言った感じに目を見てしまった。――見た瞬間に後悔をした。彼と目があった瞬間、ああ、僕はもう逃げられないのだということを強く感じた。

とらわれたように、目が離せない。



「(ああ、僕はこの人に、きっと今から、…恋をする)」



僕はおおいに戸惑った。目を離したいのに離せなくて、たぶん馬鹿みたいに顔を赤らめながら、おろおろと後じさった。



「…あ、あの…?」

「総司。あんたは、覚えていないのか」

「な、にを」

「覚えていないのか。俺の事を」

「――――」



覚えているも何も、会ったことがある訳がない。彼とは初対面のはずだ。…覚えてないだけで遠い過去に出会ったことがあったかもしれないなんて、そんなことも、有り得そうになかった。僕の生まれは特殊だから、現実的にあり得ない。



「覚えるも何も、…その。初対面でしょ…?」



だから僕はそう言って。

言った瞬間、彼はとても悲しそうな顔をして。









――僕はいつの間にか、空を見ていた。





「………え……?」



驚いた。肩を押されたのだと気付くのにすら時間がかかった。彼の細い腕が、僕の肩をそっと、撫でるように押したのだ。僕の身体は彼の意図に添うようになめらかに動いて、背中から地に落ちた。



「え、…あれ…?」

「総司」



切ない声で彼が呼ぶ。応えようと思った唇に唇が迫った。急なことに頭が追いついていかなくて、けれど彼の意図は明らかにその、キスの前触れのようだったから。



「え、…あ、……!」



本当に、馬鹿みたいだと思うんだけれど。僕はその時ぎゅうと目を閉じて、唇に下りる感触を反射的に待った。

彼の顔、が、近くにある気配がして。

唇に彼の吐息がかかって、鼻と鼻が触れあいそうで。



「(え、あ、うわ、うわ、うわわわっ、)」



心臓が五月蠅いと思う余裕すらない僕は身体を固くしたけれど、



「…すまない、」



彼の唇は、結局、下りることはなかった。気配が離れ、その代わりに、肩口に彼の額が押しつけられた感触があって。



「……っ、え、?」



押し倒されて。

キスを寸止めされて。



――何もされていないのに謝罪をされる意味がわからない。



「あ、あの、斎藤くん…?」

「――、」

「ど、どうしたのかなっ、ええと、僕はその、…何か君の気に触るようなことをしたのかな?」

「…否、俺がどうかしていた」

「え?えーと。どうかしていたって…その、僕ら初対面だよね?」

「………」



ぐ、と、大きく空気を飲み込むような音がした。



「――ああ、そうだ。沖田、」



彼がそう言ったから、僕は自分の思い違いにほっと胸をなでおろすことができた。やっぱり僕と彼は初対面だったのだ。彼は何か勘違いをして、僕にこんなことをしたのだろうと。



――誰と間違えられたのだろうということは気になったけれど。



じくじくする胸の痛みは押し隠して、僕はせめて彼にこの劣情を悟られぬようにと、笑った。



「誰と間違えたかしらないけど、初対面の男をいきなり押し倒すなんて随分だね」

「すまない。だが、間違えた訳ではない」

「……え?」

「俺はあんたをずっと探していた。――あの約束を、守るために」



彼は一体何の話をしているのだろう。…訳がわからない。

唐突だし、支離滅裂な言葉なのに、それでも僕は彼の言葉を疑えなかった。だって彼の瞳は真摯なそれで、悲しい瞳をしていたから。

そんな顔をしてほしいわけじゃなかった。けれど何を言えばいいのかわからなかった。

そうでなくても彼の瞳は、いとも簡単に僕の言葉を奪うのだ。



「悪いがもう待てそうもない。俺は、あんたが欲しい」



どこか悲しい瞳のまま彼が笑う。綺麗な綺麗な瞳の奥で、強くて眩い何かが、うごめいていた。ただの情欲ではない、けれどその瞳にある感情は複雑すぎた。

貪欲な獣をそこに見た時、僕ははじめて――恐怖した。















そのまま僕は、初めて彼に抱かれた。

甘やかすように大事に愛撫される半面、その刺激に耐えられずに泣き、嫌がって怯える僕を彼は無理矢理押さえつけた。体格は同じくらいだったのに、その瞳を見てしまっただけで僕は一切の抵抗ができなくて。

暴かれ、揺さぶられ、僕の心を絞りとるみたいに彼は激しく僕を求めた。





強すぎる快感は僕には毒で、怖くて泣きじゃくる僕を彼は優しく撫でてくれて。


たかがそれだけのことが泣きたいくらいに幸せで、僕は、ああもう彼から逃げることはできないのだと、それだけを思っていた。