【沖田総司】の朝は早い。様々な検査を受け、日常を過ごすに必要なものはすべて医療機関が用意する。その中で僕は、まだ日も昇らないうちから目の前のパソコンを雑多に扱っていた。
「(……、相変わらず緩いセキュリティー。人の命を預かる機関がこの程度って、いっそ笑っちゃうんだけど)」
少し揺さぶるだけで、ここにいる患者の状態やら今日のスケジュール、すべてがわかってしまう。同時に、僕らモルモットがこの先どのような実験に使われるのかということも、丸見えだ。
簡単にしてやられる気などない僕は、この情報を使って、イイ感じに理事長を強請っていた。
「(モルモットはモルモットでも、人工飼育に向いたタイプではありません、と)」
兄を守るためならば持ちうる努力は全て行う。その程度の覚悟なら安いものだ。
「(さてと。次は――)」
たん、とキーボードを一つ叩き、電源をシャットダウン。未だ眠りの中に居る兄の寝顔に癒されつつ、僕はベットに戻り、傍に置いてあったナースコールのボタンを押した。僕らは時たま発作を起こすから、こういった設備も常備されている。
びー、と、細い音。すぐに飛んでこない人物にいら立って、もう一度ボタンを押した。
まだ来ない。楽しくなってきて、僕はボタンを連打する。ビー、という細い男は、びびびと細かい音に変わった。
と同時に、足音。
「…っるせえんだよテメエはビービーと!ナースコールは一度押せば聞こえる!」
「ああ。やっと着ました?遅いですよ土方さん」
「なんなんだよテメエは毎朝…」
いきなり部屋に入って来たこの男の名前は土方歳三。元、新撰組副長だ。
前世の記憶なんてうっすらとしか無い僕でもわかる、芯の通った――けれどいけすかない男だ。整った顔立ちなのに、いつも眉間にしわが寄っている。笑った顔などほとんど見たことがない。――兄の前では別だが。
この男は、僕の兄に惚れているのだ。だからいいように利用している、というのもある。
土方さんは、僕が唇に指を押し付けるよりも前に、おのずと唇を結んだ。ベットの上、静かに眠りにつく僕の兄――沖田総司に気付いたからだろう。自分でも思わず見惚れてしまうような天使の寝顔だ(とはいえ、起きたらその毒舌っぷりは僕と変わらないんだけどね)。この眠りを邪魔したい人間なんてまずいない。
「…なんだ?」
「今日の実験、中止にして。兄さん今日は疲れてるから、いつもみたいなことしたら倒れちゃう」
「………」
土方さんは、あどけなく眠る僕の兄を一瞥して、一言「わかった」とだけ言った。そして細く息をつく。
「お前…またやったのか」
「だって眠れないって言うからね。ごちそうさま」
「あのなあ…」
「あっれえ?もしかして土方さんも食べたかったの?残念だね」
「何を馬鹿言ってやがる。餓鬼を相手にしたいと思うほど堕ちてねえよ」
「…子ども扱いとか、生意気。言っとくけど兄さんの色気はホント凄いんだからね。土方さんなんか一瞬でメロメロだよ」
「それ以前の問題だ――って、お前にこんな話しても意味ねえか」
兄が、誰かに抱きしめてもらわないと眠れないのだということは、この人も承知している。だから僕が実験に付き合って帰れない夜は、この人を兄の元へと寄こすようにしているのだが、それだけお膳立てをされてもこの人は兄を抱いたことはないらしい。まったく律儀なことである。
「…で?俺を呼んだ理由は何だ、総司」
「その名前で呼ぶの止めて。それは兄さんのだから」
そろそろ本題だと言わんばかりに、土方さんは、僕とは反対側のベットの端に腰かけた。自然な手つきで兄さんの髪を撫でる。むにゅ、と愛らしい寝言を吐いて、兄さんは気持ちよさそうに土方さんの手にすり寄った。
「そろそろ潮時かなって思いまして」
「あ?――どういう意味だ」
「そのまんま。僕らを救うためのデータなら、もうほとんど取り終わったでしょう。DNA解析やら体液分析やら色々と、ここ数年ずっと続けてきたんですから、もう採取するデータなんてないはずです。で、まあ、それが終わった訳ですし、僕らにもここにいる理由は無い訳で。そろそろ無能な科学者さん達には退場していただこうかと思ってるんですよ」
僕は懐から小さなチップを取りだす。この病院の極秘データが山ほど積まれた、それは小さなチップだった。
「データが取り終われば次は本格的に【実験】に取り掛かるわけでしょ。今だって、僕らの毒を悪用するための趣味の悪い実験も徐々に織り交ぜられてきてるし――これ以上ここにいたら兄さんにも、僕の身にも危険が及びますから――逃げ出す頃合いかな、と」
「………」
「あれ?もしかして怖いですか、土方さん」
「いや」
不機嫌な声で、土方さんはいう。
「惚れた人間がろくでもねえ実験に巻きこまれようってのに、見て見ぬふりができるほど器用じゃねえよ。言われなくても、俺は俺で勝手に動く」
言いながら、土方さんは、兄の髪を緩く撫でた。僕はそんな土方さんの言葉に満足して、笑う。
「それじゃ、宜しくお願いします、土方さん」
「お前が殊勝な顔すると気持ち悪いな」
「失礼な。――頼りにしてるのは本当ですよ、癪ですけどね」
「…だから止めろっつってんだろ、気持ち悪い」
「だから、そういう土方さんこそ失礼ですってば」
土方さんは静かにたちあがり、ああ、と思い出したように、ポケットから何がしかを取り出して僕に寄こした。
「?」
「カロリーメイト。どうせ朝飯も食ってないだろ」
「…僕、朝はお腹減らないんですけど」
「いいから食え。お前の兄も分もあるから半分にすりゃいいだろう」
「………」
僕はしぶしぶとそれを受け取る。土方さんはひらと手を振って、あっさりと部屋を出て行った。
「(…どうせまた、煙草なんだろうな)」
兄が目を覚ますまではまだまだ時間がある。
僕は土方さんの後を追うべく、部屋を飛び出した。