“沖田総司と斎藤一は、両者ともタイプの違う一匹狼である”
これがクラスで最早当たり前の事実として受け入れられているらしいということは、僕も知っていた。
僕――沖田総司の方は、一匹狼と言われる程、クラスに馴染んでいない訳じゃない。誰とでも気楽に接する代わりに、特に親しい人間を作らないだけだ。
けれどこの自由っぷりについて行くことのできる人間が一人もいないが故に、常に一人で行動していることが多いから――まあ、そういった印象にもなるのだろう、というのが僕の見解。
でも。
対するところの風紀委員である斎藤一は、これはもう典型的な“一匹狼”だと思う。冷静沈着かつ寡黙というキャラクター性を煮詰めたような堅物で、教室の一角でいつも本を読んでいる。孤高の秀才として、彼はそこにあった。
――見るからに“高嶺の花”オーラを発して。
仲良くなりたい、近づきたいと思う人間はごまんといる。それでも彼を前にして、接し方のわかる人間は少ない。斎藤くんはいつも一人だった。
そんな僕と彼なのだけれど。
一匹狼同士、僕らはとても――そう、とても、
仲が悪かった。
「沖田。あんたはどうしていつもそうサボるんだ」
五月蠅いな、放っておいて、構わないで。
そんな言葉はもう言い飽きたから、僕は無言のまま、彼とは反対方向に転がる。眠いのだ。眠いのである。
寝起きに斎藤一の顔など見たくも無い。嫌な思い出が脳裏に浮かぶから、というのがその主な理由だけれど、それ以外にもある。
簡単だ。
僕は斎藤一が嫌いなのだ。大嫌いだから、顔なんて見たくも無い。
「既に授業は終わっている。下校時刻だ、さっさと帰れ」
「触らないでくれるかな。不愉快」
「起きろ」
「起きてるよ」
「この時刻にそんな場所で寝たら風邪をひくだろう」
「そのわざとらしい心配面も不愉快だなあ。やめてくれない?」
「……沖田」
「どっか行ってよ」
なのにこの男は、僕の不機嫌そうな態度を気にかけもしない。わざとらしく無視をしても、手をはたいても、拒絶の言葉を吐いたってそうだ。どうともない顔をして、その無表情のまま人の怒りを煽るだけ煽ってくる。
「なら、あんたこそ俺の周りをうろちょろするのを止めるんだな。嫌でも目につく」
「…君が放っておかないからじゃない。僕は好きな場所で好きなことをしているだけだよ」
「そうか?」
斎藤一は、くすりと上品に笑った。――いや、笑った、なんて可愛いものじゃない。それは嘲笑だ、少なくとも、僕にとっては。
僕は反射的に起き上がって彼を睨みつけるが、彼の方は意にも介さない。
「あんたはいつもこの屋上でサボる。本当に俺を疎んじているならば、わざわざこんな場所に来なければいいだけの話だろうに」
「…それは、」
「あんたは、俺が注意しに来るのを待っているように思えるが?」
「――っ、」
なんなんだ、この人は。
やっぱり物凄く嫌いだ。嫌いだ、大嫌いだ。
「…君のそういうところ、本当に嫌いだよ」
妙な勘違いをするなと、怒鳴りつけてやりたかった。けれど無表情な彼を前に、こちらだけ感情を高ぶらせるのは悔しい。
…落ち着け。気にもとめなければいいのだ。
「まあ確かに君が来ることをわかってて僕はここにいたけど、でもそれは別に変な意味じゃない。僕は単にこの場所が好きだからね。君が来るからって理由でこの場所を譲るのも癪なだけだよ」
そうだ。僕は斎藤一が嫌いなのだから。
せめてもの意趣返しにと、僕もにやにやと嫌らしく笑う。
「第一、来なきゃいいのにわざわざ来てるのは君の方でしょう。そんなに僕の顔が見たいわけ?」
「そうだな。それについては否定はしない。あんたの悔しそうな顔は嫌いじゃないからな」
「…何それ」
「いつも余裕ぶっているあんたが、俺の前でだけ顔を赤くして怒る。それを見るのは気分がいい」
何それ、むかつく。
「趣味悪い。この鬼畜ドS!」
「それはあんただろう」
斎藤くんは軽く肩をすくめた。やれやれと、うしろ手で体重を支える僕の目の前に、片膝をつくように座る。
目線が近づいたので、僕はすぐさま逸らした。
「拗ねるな。可愛いだけだぞ?」
「…ねえちょっと、今すぐ小三時間ほど黙ってくれるかな。君の声聞いてるとイライラする」
「ぞくぞくする、の間違いだろう、沖田」
斎藤一は低い声で、そう囁いた。
怯えるみたいに肩が震えたのは、――認める。目の前のこの男が、少し、ほんの少しだけど――怖かったのだ。
急に大人っぽい顔を見せるこの同級生が、本当に憎らしくて、恐ろしくて仕方がなかった。
低い声も、さりげなく頬に触れようと伸ばされた手も――怖くて仕方がない。僕は迷わず彼の手を払いのけたけれど、その手を逆に絡み取られて、そこに唇なんておとされて。
まるで女の子でも落とすみたいな、それはあまい声と手つきで、
「……っ、」
――駄目だ。背中がぞくぞくして、肩が竦むのを止められない。まるで怯える小動物のように、縮こまって僕は彼から逃れようと後ずさった。とにかくこの甘ったるい雰囲気を何とかしてほしくて、なりふり構わず、懇願する目で彼を見る。
「斎藤く、」
「…健気なものだな、沖田。ここで俺に犯されたことを忘れたわけではないだろうに、それでもこの場所が好きだ、と?」
「……う、るさ…、」
「それともあの時の事を思い出したくてここに来ているのか」
「五月蠅いな、黙ってよ!」
斎藤一は掲げた僕の手のひらに口づけを落としてから、視線を上げた。
「そんなに俺のことが好きか?」
「――ッ!!」
今度こそ、僕は迷わなかった。
彼の胸倉をつかむ。このお綺麗な顔を殴ってやろうかと思ったけれど、意に反して、右手は言うことを聞かなかった。
力の入れ過ぎでガタガタとみっともなく震えているくせに、振りかぶることがどうしてもできない。
殴りたいと思ったのも本当なのに、なによりも心が悲鳴を上げていて、どうしても、そうすることができないのだ。
「…大ッ嫌いだよ君なんて!」
胸倉をつかんで、ねじり上げてやるつもりだった。苦しそうな顔を見てやろうと思ったのに、いつの間にか僕の手は、縋るようなそれになっている。それが悔しくて、でもどうしようもない。
嫌いだ、嫌いだ、大っ嫌いだ、彼のことなんか考えたくも無い。タチが悪いのは、――考えたくもないのに、そのはずなのに、それでもどうしても考えてしまうということ。心の底から嫌だった。
嫌いになろうと頑張って、彼の嫌なところなんかいくらでも述べられるようになったのに、それでも“好き”の量の方がどうしても上、で。それがまた悔しくて嫌いになって、嫌いな以上に大好きがもっともっと増えた。
「…人の気持ち知ってて、セックスはしてくれてもキスは一度もしてくれなくて、恋人にする気も無いなんてさ。ふざけるにも程があるよ。君ってホント最低」
「…そう言われると、俺がとんでもない悪い男みたいだな」
「悪い男だよ、頼むから自覚してよ。君なんて最低だ。大っ嫌いだ」
「そうか。俺は好きだ」
「………っ、」
咽喉がぎゅうっとしまったみたいになって、声が出ない。不意打ちで“好き”と言うなんて、本当に彼は最低だ。そんなことを言われて、舞い上がらないとでも思っているのだろうか。――見込みがあるのではないかと、馬鹿みたいに期待してしまうのに。
「…恋人にする気がないくせに、そういうことだけ言うの…」
「俺は約束を守っているだけだ」
「約束?」
「………」
斎藤くんは、一瞬だけ押し黙る。ややあってから、重い重い溜息をこぼした。
「――いずれわかる。俺は、あんたの気持ちをないがしろにしている訳ではない」
むしろ早く思い出せと、意味のわからないことを言って――彼は、逆に不機嫌になった。
「斎藤くん、それどういう意味?」
「いずれわかると言っている。いいから帰るぞ。風邪をひく」
「わっ、ちょっと引っ張んないで!僕は斎藤くんなんか――」
「そうか。俺は好きだが」
「………」