忙しい時期に限ってこの男はあらわれる。

「斎藤くん。お団子買って来たんだけど一緒にどう?」

うっすらと笑顔を浮かべながら唐突に部屋に入ってきたのは、最近思いの通じ合った一番隊組長だ。木と木の触れあう軽い音とともに室内に光が入り、視覚刺激だけで総司が障子を開けたらしいことがわかる。この男は「恋仲にある」ということは、何時いかなる時でも勝手に部屋に入っていい権利を有するとでも考えているのか、最近とみに遠慮がない。
あふれかえる程の書類の谷のすき間から視線だけをやって、あまりの惨状に目を丸くしている総司を見た。

「悪いが」

一言で十分伝わるだろう。今自分は、ものすごく、忙しい。机の上の書類の多さ等客観的に見ても一目で「忙しい」と知れるはずだ。
視線もやらず硯に筆をつけ、書類に目を通す。

「もしかして相当煮詰まってるのかな」
「見ての通りだ」
「ふうん。…そっか、邪魔したね」

わずかに不満げな声で、総司はそんなことを言う。

「平助とでも食べてこようかな」
「ああ、そうしてくれ」
「………」

足音もたてず、気配だけが背後に移動した。
なにやら嫌な予感がして、顔を上げる。

「…なんだ」
「あのさ。僕、寂しいんだけど」

わかっている。
最近あまり接触していない。総司は意外に寂しがりだ。

「そう言われても、反応に困る」
「それが終わったら、僕に時間を割いてね」
「さあな」
「寂しいんだって」
「大の男が寂しいなどと簡単に口にするな」
「………」

無言のまま、総司は出て行った。
やれやれと思いながらも、俺は追いかけなかった。










総司が体調を崩したと聞いたのは、その翌日の日だ。
朝餉に姿を見せなかったからどうしたのかと思ったら、土方さんに呼びとめられた。

「昨日は仕事を手伝わせて悪かったな。助かった」
「いえ」

この人は俺より激務をこなしている。当然のことをしたまで、と返すと、土方さんは困った顔をした。

「あー。…昨日の今日で悪ぃんだが、また頼まれてくれるか」
「はい」

動揺を悟られまいと、即座に返事をする。

「先日と同じく、書類の仕事でしょうか」
「いや。総司の野郎がだな」
「………」

名前を聞くだけで先が読めた。

「熱を出したんだよ、また」
「…そうですか」
「ああ。雪村に頼もうかとも思ったんだが、機嫌の悪い総司にあたられても悪いしな。お前なら大丈夫だろう」
「………」

俺と総司が恋仲であることは念のために隠している。それでも察しはつくようで、土方さんは薄く笑って肩を叩いた。












そして。
俺は今、総司の部屋にいる。

「………」
「………」
「………」

総司は、もはやただの布団の塊だが。
細身とはいえ長身の男なだけに布団の塊も大きい。よく全身を覆えたものだと思う。
妙な所に関心していると、布団の塊が喋った。

「…なにしてるの、斎藤くん」
「看病に来たんだが」
「いらないよそんなの。でてって」

声が掠れている。いつもよりもわずかながら低い。
機嫌が悪い声色だが、これはわざと取り繕っているな、ということくらいは察することができた。

「そういう訳にはいかぬ。土方さんにお前の世話を頼まれたからな」
「何それ。尚更だよ出てって」
「…?何を拗ねている?」
「なにその、土方さんに頼まれたから、って。頼まれて仕方なく来たんならそんな好意いらない」

「別に土方さんに言われたから来た訳ではない」と言う前に、布団の塊が――布団の癖にそれはそれは感情豊かに、中身がそっぽを向く動作をしたことを如実に伝えてきた。…総司が布団を掴んでいるらしい部分は皺になっているのでわかりやすいのだが、それが俺とは反対側に移動したのだ。

「総司」
「知らない。もう君とは話さないから。勝手に出て行ってよ。お休み」
「待て。何故、そんなに拗ねている」
「………」
「総司」

布団の塊は沈黙している。
さすがに困惑して、溜息をついた。まるで子どもだ。
そういうところも好いてはいるが、なにぶん自分は口下手なもので、対応に困る。非常に困る。
ここで言う通りに退出すると、後日もっと拗ねることは理解しているのだが…。

「俺は、別に土方さんに言われたからここに来た訳ではないのだが」
「………」
「恋仲であるお前の心配をする権利くらいあるだろう。出て行けと言われるのは心外だ」
「………」
「総司。そろそろ返事をしろ」
「………」

布団はつれない返事をした。わざわざ敷き布団の端まで移動したのだ。
なんというわかりやすい布団だろう。

「…その、そういう対応をされると、困る」

傍に寄ってみたら、布団の塊はより早いスピードで、下の方に逃げた。

「お前も知っているだろうが、俺は口下手だ。だからあんたが機嫌を直すような言葉なんて見当もつかないし、そうやって待っていても、意味はないと思うんだが」
「……っ!」

布団は、何か、ものすごく何かを言いたげに動いた。が、「もう話さない」の言葉通り、再び沈黙した。ちっ、と思う。

「総司」
「………」
「…わかった。お前がその気なら」

俺は、その場に座り込む。

「俺はここにいよう。お前が出てくるまで、いくらでも待つ」
「……っ」

そしてそのまま、沈黙した。
布団は何やら縮こまっている。布団の観察がこうまで楽しいのは初めてだ。関心しながら布団を眺めていると、半刻はしない時間に、ふるふる震えていた布団が限界だとでも言いたげにがばっとはがされた。

「…っ、は、」

どうやらだいぶん息苦しかったようだ。当然だ布団にくるまっていたのだから。
熱のせいもあるのだろうが、息苦しさのために、若干ながら頬が赤い。

「総司」
「……!」

やっと顔を見れたと思ったら、睨まれてしまった。

「君ってほんとにねちっこいよね。出てけって言われたら素直に出て行けばいいでしょう、どうせ今日もたくさん仕事が、」
「仕事?」

なんのことだと思いなおし、ああそう言えば先日は、と、思いだした。

「今日は無い。先日済ませたからな。それに副長が命じたのは、仕事よりもお前の世話だ」
「……なに、それ」

悔しそうな顔だ。いらだたしそうに、そっぽを向く。

「いらないよ。お忙しい三番隊組長さまに看病なんて」
「総司」
「土方さんは何か勘違いしてるみたいだけど、僕は別に体調が悪くなんて無い」
「だが、顔が赤いぞ」
「それは布団せいで息苦しかっただけだよ!」

怒鳴られた。
…何を怒っているのだろう。

「…よくわからんが。体調は悪くないのか」
「悪くなんかない」
「本当か」
「本当だよ」
「熱を」
「はからないで。君に触られたくない」
「……何を、」
「五月蠅いな、放っておいて欲しいって話を僕はしているんだけれど。そんなこともわかんないの」
「わからん」

俺には、構ってほしくて仕方ないようにしか見えない。
目を見ようとしてもそらされてしまって仕方がない。だが、とりあえず本心ではないことは丸わかりだ。

「…お前の考えていることは、俺には全くわからん。困る」
「………」
「俺はこのとおり器用な男ではない。口で言わねばわからぬ。…その、申し訳ないとは思うのだが」
「………」
「総司」

総司は、口をわずかに動かしてこっちを見た。

「君、やっぱり、何もわかってないよね」

こっちを睨みつけようと努力をしているようだが、弱ったような色は隠し切れていない。
やはり体調の方も良くはないようで、噛みしめた唇は普段より色味があった。

「二週間」
「は?」
「二週間!僕は君に触ってないし君に触れてもらってないんだよ。そんな中で、熱を測る目的でもなんでも、ちょっとでも僕に触ってみなよ。僕は絶対飛びついて、君を押し倒して、一日離したくなくなるに決まってるよね?」

そんなことを言われても。

「…決まっているのか」
「決まってるよそんなの。だから我慢してるんじゃない。さみしいって言っても無視するくせにさ」
「…なんだそれは」
「だから、僕が怒っているって話をしているんだよ。斎藤くんって厳しいくせに優しいから手に負えないよね、本当」
「何を怒っているのだ」
「わかんないの」

言うのもなんだが、全くわからない。

「斎藤くんが怒ってる僕の前にのうのうと顔をさらして、その上悪びれてないことだよ」
「それは…すまない。なんであんたが怒ってるのかわからなかった」
「そうだよね。君はそういう人だよ。そんなでも、構ってもらえて嬉しいって思っちゃう自分も腹立つ」
「………」
「なんか悔しいし」

総司は布団を引き寄せた。

「昨日、だって。あんなこと言うつもり、なかったんだよ、本当は。…意地でも寂しいなんて言ってやるもんかって思ってたのに」

そこでようやっと、俺は昨日のことを思い出した。
“寂しいなんて簡単に言うな”といった内容のことを、俺は総司に言った。
思い起こせば、「寂しい」などと弱音めいたことを総司が言ったのは、あれが初めてだということも――思い至った。思い至ってから、後悔した。

あの時構ってやらなかったことを、ではない。
珍しい総司の弱音を、きちんと聞いておかなかった自分を腹立たしく思った。

こんなに素直な総司は珍しいというのに。

「総司」
「!」

ずいっと近寄ると、その分総司は後ろに下がる。怒ったような瞳の中に、わずかに期待の色がほの見えた。

「なに」
「つまりあんたは、寂しい時に俺があんたを構わなかったことに対して怒っているのか」
「それもあるけど、違うよ」
「違う?」
「違うよ。もっと根本的に、僕ばっかり斎藤くんが好きみたいで気に入らないって話をしているんだよ」
「だから、つまりそういうことだろう」
「違うよ」
「違うかどうか、試してみるか」
「っ、」
「構い倒してあんたの機嫌がなおるか否か。俺は、興味があるが」

総司はそれはそれは微妙な顔をして見せた。

「…なんで生き生きしてるのさ」
「あんたが珍しく可愛いからな」
「それ、あんまり好きじゃないな。弱いって言われてるみたい」
「そうか。…そうだな、」

猫の子でも可愛がるように頬に指をあてると、気色のいいこの猫は、むっとした顔を隠そうとせず払おうとした。その手を逆に掴む。

「あんたが俺のことで弱るのは、見ていて気分がいい」
「………なに、それ」

むっとする、そのゆがんだ唇の端に口づける。子供みたいなこの男のことだ、どうせ反撃に出てくるだろうと予想はできていた。首元を引き寄せられて、


「別にいいけど。構うなら、ちゃんと可愛がってよね」


強がるその唇を、笑みの形にゆがめた口でふさいだ。





 寂しがりな猫、強がりな猫 

 




「猫だって寂しがることくらいあるんだからね」
「………(無言なでなで)」