丸一日中携帯と睨めっこして、悩みに悩んで、それでももうどうしようもなくて。 死ぬほど勇気を出して、23日の夜、たった9文字のメールを打った。 “24日、空いてる?” ほとんどはずみで送信ボタンを押してしまった。だから送ってすぐに後悔した。 12月24日に誘いをかけるだなんて、まるで気があるかのような――ああ、いや、実際に気はあるのだけれども(そしてそのことは彼も既に承知の上なのだけれども)、…、なんというだろうか。 「(普段の自分の行動を考えると、なんとも間抜けな…でも、でも、だって)」 近づかないで放っておいて君なんて大っ嫌い、がここのところの僕の口癖。 そのくせこういうイベント毎に我慢ができなくなって、やっぱり大好きな君を独占したくてたまらなくなる。 僕にだって、プライドくらいはあるのだ。悔しいから、できれば素直に誘いをかけたくなんてない。 欲を言えば斎藤くんから誘ってくれるのが一番うれしいんだけど、…そもそも恋人でもない人間をどうして彼が誘ってくれるだろう。少しは期待していたのに、やっぱり彼は、僕に声をかけてくれなくて。 このまま何も起こらず、クリスマスが終わってしまうのだろうな、と、そう考えて。 余計に自分の立場に不安になって、いてもたってもいられなくって、 …で、迷いに迷って一晩中もんどりうった挙句のメールが、これ。 なんだかんだ言って彼は優しいし、他に恋人もいないようだから(それはもう、しつこいくらいに確認した。嘘の下手な彼のことだから隠されているってことはない、…と思う)、たぶんこの誘いにのってくれるだろう。彼は一匹狼だから、きっと予定なんて入ってないだろうし。 そう自分に言い聞かせながら、震える手でメールを送信した。 「………」 だって、だって、クリスマスなんだ。好きな人と一緒に過ごしたいじゃないか。 どうせ後で寂しくなるのなんて目に見えてるけど、それでもやっぱり独占したい。 僕にだってプライドはあるし、絶対に素直になんてなれないけれども、それでも我慢することもできなくて。 「(仕方ないじゃないか。だって好きなんだ。こんなに好きなのに)」 メールのせいで昨日は眠れなかった。うとうとしていたら、いきなり手に持った携帯が震えて、飛び起きる。メールだ。 はやる心だけが先行して、無意識に手を動かしていた。 先ほどまで半分眠っていたから、少しかすむ目をこすって、必死に焦点を合わせて、 “すまないが、その日は用事がある” 「………っ」 不意に涙腺がゆるくなって、僕は、ぼふんと目の前の枕に顔をうずめる。ダメだダメだダメだ。 考えるな。考えるな。…考える、な。 「…う…、ううー…」 意味なくうなって、僕はもう一度携帯を見る。何度見たって変わらない、そっけない返事。 …そうだよね。うん、そりゃそうだ。 僕の知らないところで、君だって、予定をいれたりする。当たり前だ、僕だってそうなんだし。 いちいち報告なんてしない。それはそうだよ。 だって、君と僕は、恋人なんかじゃないんだから。 「……ばか…ッ」 拗ねて見せたって、効果なんてない。わかってるのに僕はそう吐き捨てて、ついでに携帯に一言だけ書き込んで送信して、壁に放り投げた。 もう、いい。忘れろ。 こんなことで傷ついてどうするんだ。 こんな可愛くない態度ばっかりとってたら、振り向いてなんかもらえない。…可愛い態度をとったって、振り向いてもらえないと思うけど。 諦めたらいいんだ。斎藤くんのことなんか忘れてしまって。 わかっているんだ。 「(わかってる。でも)」 それができないから、だから僕はこうやって、“斎藤くんにとって僕は特別なんかじゃない”って思い知らされながらも、彼の傍にいようともがいている。 …何年たってもそうなのかな。 何年かたったら、そうじゃなくなるのかな。僕は君を忘れられるのかな? 「(ダメだ、このままだと。やっぱり無理をしてでも距離を置くべきなんだ)」 斎藤くんだっていい加減に呆れているのかもしれない。 だからこうやって、距離を置こうと思って、…ほんとは24日は予定がなくてもこういう返事をしたのだろうか。 ゆっくり、ゆっくりと、僕を傷つけないように、僕らの関係を終わらせるつもりなのか。 だとしたらそれは、とても斎藤くんらしい、穏やかで優しい拒絶だ。僕の恋心に蓋をしようとしている。 「(やだ。僕は君が大好きなのに、)」 そんな風に拒絶しないで。 僕が気づいていないだけで、他にクリスマスを一緒に過ごす相手がいるの? ねえ。 「(……怖い、よ)」 この程度で涙が出そうだなんて馬鹿げている。駄目だ、絶対に、泣いたりしたら。僕は女の子じゃない、そんなみっともないことはしたくない。誰よりも彼が好きだけれど、…いつまでも振り回されてばかりではいけない…、強くならないといけない。依存しちゃ駄目だ。 ぎゅっと唇を噛んでいると、携帯が震えた。 音で分かった――斎藤くんからの、着信、だ。 僕が変な返事をしたから心配になってかけてくれたのかもしれない。 出てやるものかと、布団をかぶって目を閉じた。 しばらくなり続いた電話は、やがて静かになった。僕もいつの間にか眠ってしまっていたらしい。 目が覚めたら、その日は恋人たちの日だった。 「……んん…」 起きたところで気分が晴れる訳もなかった。 …どうしようか、今日は。 斎藤くんの用事が何なのか、ものすごく気になるけれど、出かけて詰め寄って怒ったところで、「恋人ではないのだから」と言われてしまえばそれまでだ。僕は、彼の行動に口出しする権利などない。 誰かとデートしていようが、どうしようが。 ………、くそ。どうして僕が、こんな惨めな気持ちにならないといけないんだろう。 ぎゅっと唇を噛んで、僕は布団にくるまる。眠りすぎて身体がだるいけれど、どうしても、この布団から出たくなかった。テレビをつければクリスマスイブの様子が映し出されるだろうし、外になんか出たら、仲睦まじげに歩く恋人たちの姿を見せつけられるだけだ。 それとも、あてつけに僕も他の誰かと出かけてやろうか。 …斎藤くんは僕にヤキモチなんてやいてくれないかもしれないけれど。 ふてくされるよりは「君がいなくたってクリスマスくらい楽しめるんだ」って、示してやる方がいいかもしれない。 同級生…は誘いにくいけど、土方さんの家にでも行こうか。ケーキくらいなら奢ってくれるかも。 そんなことをうつらうつらと考えて、僕はいい加減に起きようと、布団からようやく這い出した。 その時だ。 ピンポン、と、呼び鈴が鳴った。 「……誰…」 もぞもぞと布団から這い出て、足をひきずるように、ドアに取り付けられた覗き穴から外を見る。 斎藤くんが生真面目な顔でそこに立っていた。 「………」 深呼吸。 瞬きをして、鍵がかかっていることを確認してから、僕はやや声を大にして言う。 「帰って!」 「…いきなりご挨拶だな」 「帰ってよ!何来てるのさ、君、今日は用事がはいってるって…!」 「用事はあるが、あんたが電話に出ないから心配になって来た。…その声、寝起きか?それともまさか風邪か」 「関係ないでしょ。いいから帰ってってば…!」 「開けろ」 「いやだ!」 「開けろ」 「……ッ、……もー!来るならなんで連絡しないのさ!」 「してもあんたが出なかったんだろう」 寝癖のせいで髪は跳ねまくっているだろうに、加えてパジャマ代わりのスウェットというだらしないスタイル、…しかも顔すら洗っていない今の姿で、彼の前に出る訳にはいかないじゃないか! 僕は焦って頭をかきむしる。斎藤くんは冷静な声だ。 「――寒いのだが」 「知ってるよ!…ぁああああもう!わかった、今みっともない姿してるからちょっと待って…」 「…っへっくしっ」 「ああもう…!」 手ぐしで髪を整えて、慌ててスウェットを普段着に着替えて、僕はドアを開けた。少し鼻の頭が赤い斎藤くんの手をひくとびっくりするくらい冷たい。彼は冷え性なのかもしれないと思うと少し可愛…いやいやいやいや! 駄目だ、とにかく、今はそれどころではない。 「座ってて!何もしないで!」 「………」 とりあえず適当にソファにでも座らせて、部屋を暖めるようにエアコンをつけると、僕はすぐに洗面所に飛び込んだ。思った通りの酷い顔だ。身づくろいをしてから、慌てて彼の元へ戻る。 斎藤くんは大人しく、座っていた。 「――ッ」 あいさつ代わりに睨み付ける。 ポイントは、僕が喜んでいることを相手に伝えないように、とにかく気合をいれること。 …いいか、僕は怒っているのだ。喜んでなんかいないんだ。 声は低く! 「何の用」 「あんたが妙なメールをよこすから心配になって来た」 確かに昨夜、僕は彼に「ばか」と二文字だけ書いたメールを送った。しかしそれは彼が僕の誘いを断ったからだ。それなのに予定があると言っていたはずの彼が、どうして今、ここにいるのだろう。 「…君に心配されるいわれなんてないんだけど。僕の誘いも断った癖に」 「すまない。確かに予定はあったのだが、思ったよりも早く終わったから、ここから先の時間はあんたのために使えるようになった」 「………何ソレ」 僕は時計を見る。午後、3時。おやつの時間だ。 もう一度彼に視線をもどして、ゆっくりと、言う。 「…何それ」 「だから。今からの時間は全部あんたにやるから、機嫌をなおしてくれないか」 「………!」 え、ええと。今からっていうことは…夜もOKってことだよね?恋人が通常一緒に過ごす時間帯を、斎藤くんと…、 「…よ、用事、は?!」 「もう終わった。年末年始に備えた準備の為だったのだが、そもそも身内だけで事足りる用だったからな。悪いが抜けさせてもらった」 「…そ、そう…」 嬉しくない嬉しくない嬉しくない。 僕はもう必死だ。頑張りすぎてきっと、今、顔が赤い。 どうしよう、もう、犬みたいに彼に飛びついてしまいそうだ。首筋に鼻をすりよせて、甘えて、「ありがとう」「うれしい」って言いたくてたまらない。 嬉しくて嬉しくて、おなかのあたりがうずうずする。 …駄目だってば、僕は彼の恋人じゃないんだから! こんな、甘やかしてもらえるのだって…ほんとうはめちゃくちゃうれしいけど、でも、駄目だ。それは勘違いだ。僕は彼の恋人じゃない、だから本当はこうしていちゃいけない…、 「――さ、斎藤くん」 ごめん、やっぱり無理だ。 嬉しくて仕方ない。 「ど、どこか出る?あの、外…クリスマスだし、イルミネーションとか綺麗だと思うし」 「外は寒い。あんたの身体が冷えるだろう」 「そっか。じゃあ家の中でなにか、する?」 「そうだな。すまない、俺はイベントに疎いから、クリスマスがどういう行事なのだかあまり理解していない」 曰く。 斎藤くんの家はけっこう厳格な仏教系らしく、クリスマスなどのイベントとはかけ離れた生活をしていたらしい。無論サンタからプレゼントをもらったことなどはない。代わりに年末年始が一大イベントらしく、色々と準備に追われる―― 「へえ、そうなんだ。ふうん…」 僕は彼の隣に何気なく(頑張って何気ない風をよそおった)座って、ぷらぷらと足を揺らした。 「仕方ないな、じゃあ僕が君にクリスマスを教えてあげるよ。とりあえず買い物に行こう?近くのショッピングモールなら近いし、すぐだから、たぶん身体が冷える前にたどり着けるよ」 僕は彼を誘い出して街に出た。 クリスマスツリーを見て、セールを横目に、夜ご飯の調達。いろんなグッズも売ってるし、そこらかしこにサンタの洋服を着たおねえさんが呼び込みをしている。その華やかさに斎藤くんは、少し度肝を抜かれたみたいだ。 「毎年この時期は年末年始の準備が忙しくてあまり外に出ていなかったが…こんなことになっていたのか」 「簡単に言えばお祭りだからね。…物珍しい?」 「ああ」 「そっか」 彼にものを教えるのは楽しい。彼が喜んでくれるのは、もっと楽しい。一緒に出掛けられるなんて思っていなかったから、とてもとても幸せだ。 アルコールの入っていないシャンパンを買って、僕らは家に帰った。 夜ご飯は僕と彼で一品ずつ作って、食べる。食後にはケーキだってあるのだ。 ごく普通のデートみたいで、僕はたいへんご満悦である。 いつもみたいにツンケンすることもなく、素直に彼に甘えて――甘えて。 お嫁さん気分で台所に立って、夜ご飯の後片付けをして―― 「………」 勘違いしそうだなあ、なんてことを、考える。 これではまるで本当に彼の恋人みたいだ。 …まあ、それに近いんだろうなって思う。彼は僕のことが好きだと言う。僕の身体を気に入ってくれている。そして、僕も彼のことが好きだ。それはそうだけど、そういうことじゃなくて…それはそう、むしろ、“だからこそ”僕は悩むべきだという意識。 ――どうして僕は彼の恋人じゃないんだろう、なんてことを、考えてしまうんだ。 「(…駄目だなあ、僕。そんな我儘なこと考えるなんて。こうやって一緒にいてくれて、僕のことを甘やかしてくれて。…それだけでどうして満足できないんだろう…)」 今日はこのままセックスの流れかな、なんてことを、どこか冷静な頭で考えている自分に吐き気がした。ナニサマのつもりなのだろう、僕は。 彼は、僕に同情してここに来てくれただけだ――そして、まるで恋人のようなふりをしてくれている、だけなのだ。それは僕を憐れんでのことかもしれない。多少は僕に心があるからかもしれない。 彼が何を考えているのか、僕にはわからない。ひとつだけわかるのは、僕が、彼の一番ではないということ。 斎藤一にとっての絶対的な何かが僕には無い。だから恋人にしてもらえないのだ、という意識。 そうだ。本当に彼のクリスマスを独占するべきなのは、他にいるかもしれないのだ―― 「………」 姿も見せない、僕に似ているらしい彼の想い人のことが、心から憎かった。できるなら殺してやりたいくらいだ。 …聖夜にこんな物騒なことを考えてしまえる時点で、僕は彼にふさわしくないのだろうけれど。 やや沈んだ思考のなかでぼんやりしていると、それを見かねた斎藤くんが声をかけてくれた。 「総司、そんな隅っこにいたら身体が冷えるだろう。ソファにでも座っていた方がいい」 「君は僕の母親か何か?…行くけど、お皿洗ってから」 「皿なら俺が洗うが…」 「いやだよ、この家の主を誰だと思ってるの?僕がやるったらやるの」 「手が荒れるだろう」 「――だから、君は僕の母親か何か?」 まったく。もうちょっとこう、雰囲気のある、恋人らしいことはできないんだろうか。 それとも、わかってて誤魔化しているのか。 「………」 僕には彼のことが、なにもわからないのだ。 斎藤くんは、きっと、僕に少なからず好意を抱いている。 だからこうやって甘やかしてくれるのだ。でもそれは、「恋人」としてではなくて…なんというだろう。兄のよう、とでもいうだろうか?恋愛感情じゃなくて、慈愛の心と言うか…そういうものに由来している気がする。 「(好きは好きでも、彼が僕を好きなのと、僕が彼を好きなのとは違う。僕は“恋”をしているけれど、斎藤くんのは“恋”じゃない。きっと斎藤くんの一番好きな人は、別にいる…)」 一人で考え込んで、一人で追い詰められて、…なんだか馬鹿みたいだなあ。 きゅ、と、蛇口をひねって、指さきの水をタオルに押し付けた。 まさかとは思うけど、斎藤くんは意外に天然だから、自覚していないのかもしれない。 僕がどういう気持ちでいるのか、言わないと、わかってくれないのは当然だ。 「ね、斎藤くん」 「何だ?」 「知ってる?クリスマス、24日から25日にかけての夜9時から朝まで。日本でカップルがもっとも頻繁にセックスをする時間帯なんだって」 「そうか」 「うん。そう」 「したいのか?」 ………。 単刀直入すぎて、反応に困る。ほてる頬をそらしながら、僕は続けた。 したいかしたくないかと問われれば、それは、まあ。 期待しちゃってますけど! 「ぼ、僕は客観的事実を述べたまでだよ」 「…そうか?」 「僕が何を言いたいのか、察してほしいなあ。…つまり、世間一般に今日は“恋人の日”だってことだよ。君さ、そこらへん、理解できてる?」 「?」 「別に、友達とクリスマスパーティーをする、っていうのも無いわけじゃないけどね。世間一般にクリスマスって言うのは、恋人と一緒に過ごす日なんだよ。恋人がいるなら、まず間違いなくその人と過ごすだろう日ってこと。君、僕と一緒にいていいの?」 じ、と見つめると、斎藤君は「何か問題があるのか」と言いたげな顔をした。 「さっきもショッピングモールとか、カップルばっかりだったでしょ?気づかなかったの?」 「ああ…言われてみれば、そうだったか…?」 「そう言う日なんだよ、今日は。恋人とイチャイチャするための日なの」 「そうか。それであんたは朝方あんなに拗ねて――」 「僕のことはどうでもいいの!とにかく!」 僕はムキになって、声を荒げた。 ぐい、と、彼に顔を近づけて、言う。 「知らないからね。君の本命の相手がどう思っても、僕は責任なんて持てないよ」 「どういう意味だ」 「だから、こうやってクリスマスを一緒に過ごすってことは僕と君は、こ、…恋人みたいに見えちゃうもんなの!実際はそうじゃなくても!」 「そういうものなのか?」 「そうだよ。それに僕だってそうだ。一度断ったくせに、クリスマスにノコノコやってくるなんて――僕の気持ち、想像できる?」 「?」 このクリスマスの日にせっかく来てくれたんだから、喧嘩はしたくない。 だからできるだけ穏便に、彼が誤解をしないようにと、言葉を選んで、僕は告げた。 「僕、最初に君を誘って断られたときは、ほんとうに傷ついたんだよ。他の誰かと一緒に過ごすのかなって」 「………」 「でも仕方ないなって思って、諦めて。――なのにこうして、君が来てくれて。それはもちろん嬉しいけど、…君にとってそれが“恋人”としてではなくて、僕の機嫌を伺うためだけの行為なら、きちんとそれを態度で示してほしいんだよ。なんだか君の恋人みたいな気分になっちゃうから」 「そうか。…そうだな」 「そうだよ。僕は君の恋人じゃないんだ」 「そうだな。すまない」 「―――」 ぎゅ、と、唇を噛んで、僕は彼を見つめる。 彼に相手にされていない自分が悲しくて、もどかしい。 だから思わず、僕はつるりと、 「そこは、謝るんじゃなくて。ちゃんと責任を取って欲しい所なんだけど、な?」 そう、続けてしまった。 「………」 「……あ…」 斎藤くんは――とても困ったような表情を、した。 「(あ、う。しまった…!)」 その困った顔を見て、僕の心臓もきゅっとなる。情けなさに唇を噛んで、目を逸らした。 いつもの、喧嘩になるパターンだ。今日は絶対にこんなことを言わないようにしようと思ってたのに。 どうしよう――どうしよう?! 今日だけは、絶対に言ってはいけなかった言葉だ。 せっかくこうやって僕の家に来てくれたのに、毎回こうやって「恋人になれ」と迫るようじゃ…面倒臭い奴だって思われる。 それを疎んじて、彼が「今すぐ帰る」と言い出したらどうするんだ? 「(嫌、だ…!)」 せっかくのクリスマスに、わざわざ僕のところに来てくれたのに。 本命じゃないのは辛いけど、それ以上に、彼の傍にいられなくなることは辛い。 さっきまであんなに楽しくて幸せだったくせに――自滅するなんて、僕は馬鹿だ。 必死に虚勢を張ろうとするけれど、どうにも上手くいかない。フォローの言葉も浮かばない。涙が出そうになる。 「あ――あは、うそうそ、冗談だよ」 「…総司?」 「僕は君なんか大嫌いなんだから、今更付き合いましょうなんて言われても、僕の方からお断りだ。だから今のはほんの冗談だよ。…冗談なんだから、そんな顔しないで」 どうしようどうしよう。頑張って虚勢を張っているのに、声が震えてどうしようもない。 「…僕は別に、セフレでも、その、…」 「………」 「ごめん、こんなこと言うつもりなかったんだ。ほんとうに、ほんとうなんだよ、そういう意味での期待はしてないから、」 あ、うわ、…馬鹿じゃないの、こんな時にどうして涙が…! みっともない、駄目だ、我慢しないと。そう思えば思うほど、こらえられない感情が、瞳の奥を刺激する。 「――最近の僕は、我儘なんだ。君が優しいからどんどん我儘になっちゃったんだ。甘やかしてもらってすごくすごく嬉しいのに、不安で、さ、…寂しくて」 「総司?」 「だって。だって今日は僕が誘ったから、君が来てくれたけど、逆に言えば僕が誘わなかったら君はここにいなかったでしょ?それが当たり前なんだけど、僕は君の恋人じゃないから、…それが当然なんだけど…でも、…その」 そうだ。僕の心を寂しくさせる棘は、これなんだ。 昨日、僕はずっと、一日中携帯電話と睨めっこしていた。 一年に一度のクリスマス、日本では恋人の日とされる一大イベントなのだ。この単語を聞いて、彼が僕を思い出してくれたら、って。一緒に過ごそうと、誘ってくれないかなって、ずっと…それこそ馬鹿みたいに期待していたんだ。 僕と彼は恋人じゃないけれど、それに近しい何かだと、うぬぼれが許されるなら――誘ってもらえるんじゃないかと期待するくらい、いいじゃないか。 「(そんな、甘い事を考えた僕が悪いんだ。わかってるんだ…)」 そしてあっさりとその期待は裏切られた。 だからってそれは、彼に非があるわけじゃない。 それも仕方のないことなのだ、だって僕は、“彼の恋人ではない”。 彼は僕のことを好意的にとらえてくれているけれども、それは恋ではなく、慈愛の気持ちだ。 「(――君は、僕のことなんか好きじゃない)」 だというのに、彼はこうやって、僕が“変なメールを送ったから”という理由で心配してきてくれた。 優しくしてくれるのだ。 彼が優しいから、僕はついうっかり泣いてしまう。甘えてしまう。 それだけのことだ。 「優しくされるとすごく嬉しくて幸せな気持ちになる。でも、すごく幸せだからこそ辛いんだ。…わかってるつもりだったけど、見せつけられるのが、辛くて」 「見せつけられる?」 「君が、僕に、恋をしていないってこと」 斎藤くんが考え込む気配がする。その重苦しさが僕は耐えられない。 「伝わってくるんだ。甘やかしてくれるのは君が優しいからなんだなって、そう思うのが惨めなんだ。甘やかしてくれないと不安なのに、甘やかしてもらっても不安になるんだ」 「…沖田?」 「不安だけど、でもやっぱり君とすごせるのは嬉しくて、嬉しいのが余計に惨めで――ごめん、すごく妙なこと言ってる自覚は、あるんだけど。でも、でもね、」 「………」 「な、なんて言ったらいいんだろう。優しくしてほしいくせに、甘やかさないで欲しいなんて…訳わかんないこと言ってるって、わかるんだけど…その、」 でも。 続きが言葉にならなくて、僕は唇を噛んだ。喉の奥に無理矢理重い空気の塊を呑まされたみたいな、変な息苦しさを覚える。 声が震えてどうしようもなくて、みっともない姿を見せまいと、僕は彼に背を向けようとした。 しかし彼は、絶対に、僕の泣き顔を見逃さない。 ぐいと腕を取られて、俯こうとした顔を無理やり覗き込まれて、ぽろりとあふれた涙を舌でなめとられる。 斎藤くんは困った顔のまま、それでも穏やかに笑っていた。 「何も怯える必要はない」のだと、僕に教えるように、優しい声で言う。 「俺はあんたを泣かせてばかりだな。すまない」 「……ちが、…僕が悪いんだよ、君に勝手に期待しただけだから。ごめん、」 「あんたが謝ることはない。とはいえ、あんたのことを愛おしく思っていると――ここで言っても、逆効果になるだけかもしれないな」 よしよし、と、まるで子供を宥めるように頬をくすぐられて、抱きしめられた。 「……ッ」 ほらやっぱり、僕のことなんて子ども扱いじゃないか。 悔しいはずなのに――本当、僕はなんてお手軽なんだろう!きゅう、と、いともあっさり心臓が悲鳴をあげる。 斎藤くんの肩にもたれかかると、触れたところからじんわりと熱が広がって、熱い。この熱は僕を子供に戻すものだ、うっかり涙を助長させるから要注意だって――わかっているのに。 「う、…っく…ふ、ぅ、」 「頼むから、そんなに泣くな」 嗚咽が咽喉をついて仕様がない。 どこか笑いを含んだ優しい声で、くすぐるみたいに斎藤くんは僕の髪を撫でる。僕が泣いていることを、この人は存外喜んでいるのかもしれない。 みっともなくて、僕は必死に涙をこらえようと奮闘する。嗚咽を呼吸ごと殺そうとしても、どうもうまくいかなかった。呼吸を殺したって涙は出るし、我慢しようとすれば醜く顔がゆがむ。 奮闘する僕の耳に、斎藤くんは、ぽん、と、あくまで軽く言葉を投げた。 「泣かないでくれ。…俺も12月24日を覚えるから」 あんまりさらりと言われたので、意味がわからず、僕は顔をあげてしまう。 「…っふ、……え?」 「俺も来年は12月24日がクリスマスだと記憶するようにする。今度こそ、次は必ず俺からあんたを誘うから――だからそういう風に泣かないでくれ。単純に俺がイベントに疎いだけなんだ。あんたが傷つく必要などどこにもない」 「………、…」 「俺は確かにあんたの泣き顔が好きだが、そうやって甘えてこなくなるのは俺が困る。俺はあんたに、甘えてほしい」 「……、なに、それ…」 来年?来年の12月24日を、僕に…って、 「(それは、それはつまり、)」 来年も――僕とクリスマスをしてくれるってことになるんだよ?他に恋人をつくったら、そんなこと絶対にできないのに。 ってことは、僕をおいて他に恋人を絶対につくらないってことにもなるんじゃない? それは、ちょっと。 いくらなんでも。 「それは、あの…僕を、甘やかしすぎじゃない…?」 喉の奥が絞られたみたいで、頑張っても小さな声しかでない。抱きしめられながら宥められて、頭を撫でて貰って――まるで子供に対する扱いだけど、たぶん彼は、わざとそうしているんだろうな。 確かに僕は彼の恋人ではない。 彼は僕のことを恋愛の対象として見てはいないかもしれない。 けれども彼は、僕以外に恋人をつくるつもりなど、まるでないのだ。 そう示すためにわざわざ、言葉を選んでくれている。 「そうだろうか。俺はそうは思わないが」 「だ、だってそんなの、…僕は君の恋人じゃないのに」 「恋人でなければクリスマスを共に過ごしてはいけないというルールがあるのか?」 「そんな訳ないけど!でも普通そういう、…その…!」 「男同士で今さら普通も何もないだろうと俺は思うが」 「だ、だって、でも」 「でも?」 「こ、これ以上僕を調子にのらせるなって、僕はそういう意図で言ったはずなんだけどなあ…」 斎藤くんがうすく笑う気配が耳元に直に伝わってきて、僕はくすぐったくて堪らない。 「調子にのってもらわないと困る。勝手に不安になって勝手に落ち込むからな、あんたは」 「……だ、誰のせいだと…ッ」 「不服か?」 今度は逆の意味で泣きそうだ。 よしよしと背中を撫でられて、愛おしげに髪を撫でられて、――泣き顔を覗き込まれて、微笑まれて。 もうどうしていいかわからなくて、僕の方からも彼にぎゅうと抱きついた。 「い、言っておくけど。僕はそのころには素敵な恋人ができて、君のことなんてもう好きじゃないかもしれないんだからね。…その時は君の誘いを断って、この惨めな気持ちを君にも味わわせてやるんだから」 「そうか。その“素敵な恋人”とやらから、あんたを奪い返すのは骨が折れそうだな」 ……、やっぱり好き。君が大好き。君の他に恋人なんて作る気もないけど、もしできたって絶対君にはかなわない。それが、無性に悔しい。 「その余裕そうな顔がむかつく。君なんか嫌いだ」 「そうだろうな。…俺はあんたが好きだ」 よし、いつものペースだ。さっきまでの、いつもの斎藤くんと、僕だ。 なんだか嬉しくなって、僕は指で涙をふいて、できるだけ明るい笑顔を見せた。 「もういいよ、とにかく細かいことは気にしないで楽しんじゃったほうが得だよね」 「そうだな」 「……どう楽しむ?」 斎藤くんは、少し明るくなった僕の声音に、ほっとしたらしい。抱きしめあったまま、そらとぼけたような、低い声で囁いた。 「恋人の日、だったか。一般的にどうやって楽しむのが普通なんだ?」 彼は意地悪だ。僕はほてって仕方ない頬を、彼に摺り寄せる。 してやられてばかりはごめんだ。 「…もう午後の九時を回ってるね」 「そうだな」 「仕方ないなあ、僕が君にクリスマスを教えてあげるよ。あのね、恋人同士がこの時間帯に最も頻繁にする遊びがあるんだけど…する?」 する、と低く囁いて、斎藤くんは僕の手をとってそこに唇を寄せる。ちゅ、と指先に軽い口づけをして――挑発的に微笑んで。 僕は簡単に欲情して、彼の首に腕をまわした。 引き寄せて、頬に唇を押し当てて――優しい彼に甘やかされて、それがすごく気持ちいい。 「(メリークリスマス、君にとってのクリスマスも、僕と同じく幸せなものでありますように)」 彼の頬に唇を寄せ、僕は僕の全力で、彼に甘えるのだった。 「こんな爽やかな日に」七条さんによるクリスマス企画に参加させていただきました。 素敵な企画をありがとうございました…!(*´ω`*) みなさまよいクリスマスを! 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