甘えん坊。
「………」
言われた事がない単語であることは確かだった。
「…そうですか?」
反応に困って、結局そんな言葉とともに振り返った。一人暮らし、という肩書を背負うこの人は、その癖あっさりと僕みたいな人間を部屋に招き入れて、今はお気に入りのソファの上で丸くなっている。シックな灰色のソファ、寝そべるようにしながら体を起こした。
「今日ねー、行って来たんだ」
「どこへ?」
「骨董アパート」
「はあ」
「そしたら崩子ちゃんに会ったよ」
「はあ」
「で、言われちゃった」
「何を?」
「“萌太は意外と甘えん坊ですよ”」
「………」
「あ。萌太くんの珍しい表情、げーっと」
にやにや笑いながらそんな事を言われた。照れるほどの初心な性格はしていないけれど、苦々しさというよりはくすぐったさが勝っていたことは確かだ。
「萌太くんって、身内には性格出るよね」
「そうですね。自覚はしてますよ」
「かわゆいねえ」
「僕をそう思う人は、たいてい騙されてそう思うんですけどね」
外ではいい子にしてますから。笑って言う。
彼女はそうだねと微笑んだ。ほんとうに外面だけなんだから。それはすいません。
「本当に君って困った奴だよ。人間なんか愛してもいないのに愛している振りをしている。その癖誰にもその身体に触れさせない。怯えているわけでもないくせにさらりと指先をかわす。いっつもそうだよ。一方的に愛していると言うだけ。一方的に大事にするだけ。大事なものを大事にするだけ。そして私たち他人をいらないと言う」
彼女の白い指先がソファに食い込む。驚くくらい細い手首、から、すうと滑らかな曲線が灰の皮に沈んで。ああ綺麗だなあと思った。
「それでいてなお後悔もしない。あっさり笑顔で、私たちを切り捨てる。…捨てられた方からしたら馬鹿にされてるも同然だよねえ」
「………」
「その上、自ら心臓をさらけ出して生きているから、こっちは見て見ぬふりもできない。気になっちゃうんだよ――見ているだけで恐くなる。畏怖無くして信仰はあり得ないように、そーやって、萌太くんは人を惹きつけるんだ。卑怯だよ」
「嫌だな。僕はそんな大層なものじゃありませんて」
「いいや。そんなタイソーじゃないものに、私は惚れたりしないもの」
「………」
「萌太くんの珍しい表情2、げーっと」
今度はにやにや笑いを観察することはできなかった。彼女はソファに寝転んで、枕に半分顔を押しつけながら、こっちを見ている。観察されているようなので観察し返してみた。珍しい表情ゲット、なのはこっちも同様。なかなか見れるものではない照れた顔。ていうか照れるなら言わなきゃいいのに。
ふむ、と少し考えてから名前を呼んだ。
「ねえ」「なに」「貴方の言うことを総合すると、僕、卑怯で、その上で甘えん坊なんですか?」「そうなる」「………嫌な奴ですねえ」「困った奴だよね」「ふふ」「笑ってないでさあ…」「甘えるのは」「うん?」「甘えるのは、僕、苦手なんですけどねえ」「そうなのか」「そうなのですよ」「ふうん」「それに」
それに。
「確かに僕はきっと卑怯者だし、自分の感情すらも掬えない愚者です。貴方の言うことはきっと正しい。でも」
「でも?」
「それでも僕は、」
そこで、一つ、呼吸を止めた。酷く愉快だ。
こんな感覚は初めてだった。
“愛している”が、言葉にならない。
「…貴方だけは拒絶できる気がしません。だってほら、心臓だし」
「はい?」
「さらけ出して生きるのも辛いですけれど。あるだけで暖かいものですね」
きょとんと眼を丸くしているだろう彼女の表情は気になったけれど、今回は先送りだ。
今顔を見られたらたぶん、痛み分けになってしまうだろうから。彼女は僕の珍しい表情をことさらに見たがる。
見られたくないわけではないけれど。
僕は基本的に意地悪なのだ。
「(……甘えん坊、ね)」
自分ではとてもそうは思えないのだけれど。
しかしどうせならその肩書きを利用してしまおうと、僕はにっこりできるだけ綺麗に微笑んで、彼女の手を握りしめた。