「んー。まあなあ。どうなんだろうねえ…僕も自分の事はよくわかってねえしさあ。どうしてこんな風になっちまったのかもよくわからねえよ」
と、少年は悪げもなく答えた。
指先で弄ぶ黒髪は驚くほど繊細で細く、その目を見張る細さの割に、光を反してつるりと輝いている。ぬめるような瞳が、その美しい黒髪の下から自分を見据えた。
にい、と、酷く残忍な笑いが浮かぶ。
傍から見れば単なる線の細い少年にしか見えないのに、浮かべた表情は明らかに一線を越して歪だった。なるほど、これは確かに狂っている。傍観者たる自分はそう思う。
だから聞いた。
どうして貴方はそういう風になったのかと。
何故人を殺すのか。何故動物を殺すのか。
「どうして?」
きょとん、と首を傾ける少年にはまだ幼さすら残っている。年のころは15近くだと言っていたが、とてもそうは見えなかった。
「“死”について語って欲しいのか?僕に?いいね、そういう意味のない行動に意味を見出そうとする人間、僕、嫌いじゃないぜ。…そうだな。僕が一番最初に死に触れたのは、草やぶの中だったよ。子供の時、遊んでいて、たまたま見つけたんだ。…犬だった。茶色の、犬だ。どうして死んだのかはわからない。けど血まみれで、…そうだな、破れてた」
やぶれていた。
死んだ動物に対する表現としては不適切だ。
自分でもそれに気づいたのだろう、美しい黒髪の少年は笑った。笑ってはいても、前言を撤回する気はないらしい。白い手のひらをさらすような仕草をして、続けた。
「うん。あれは食いちぎられた、とか、そういう言葉じゃ表現できないな…誰が、どういう意図で、そうしたのかわからないんだ。他の動物に食い散らかされたわけでもない。車に轢かれたわけでもないだろう。殴打されて殺されたわけでもない。あれは…まさしく、破れていたんだ。まるで身体が自然とそうなったかのような当り前さで、腹が破れた犬は、そこにあった」
近くのコンクリートに腰かけた少年は、器用に足を組むとその上に二つ、手を揃えるように並べた。
「それを見た、幼かった僕はどう思ったと思う?凄いな、って思ったんだ。唐突な“死”を前にしても、子供だった僕は微々たる驚きも持たなかったよ。何が凄いって?もちろん、こんなすぐ目の前に“死”があったこともだが…何よりも、こんなものをずっと僕の目から隠していた大人が凄いと思ったな。そして感じた。強く強く感じて、そして理解した。どうして大人が自分の目の前から“死”を隠していたのか?」
少年は、手を広げた。
「美しかったんだ。それは。どうしようもなく」
どんな絵画よりも。
どんなに美しい風景よりも。
「美しかった。だから子供の僕が一番最初にしたことは、その犬の死骸の腹に触れることだった」
けたけたけた。少年は、嘲笑うかのような声で、けれど無邪気そのもののように首を傾ける。
吐き出された言葉は狂気以外の何物でもなかった。
触れると指先が腹の中にはいっていったよ。当然だな、それは破れていたんだから。皮がなければ指は埋もれる。そうして触れた先の肉の感触のなんて甘美なこと!鉄の匂いは甘ったるく、血色は何よりも鮮やかに目をやいて。…素晴らしかった。その犬の赤黒い臓物も、だらしなく開いた黒い口も、汚れた歯からわずかに見えるぬめぬめとして赤い舌も、ぐるりと垂れてこぼれそうな眼球も、…零れた透明な唾液まで、それらすべてが僕を安堵させた。てらてら光る脂に舌を押し当てるとつんと苦くて不味かったけど、その感覚すらも自分のあらゆる細胞を揺さぶるようで強烈だった。今まででこれ以上に僕の感情を刺激できたものはなかった。根っから全てが反転する感覚。白だったものが黒に見える優越。
「そうさ。その犬の死骸に、僕は何より強い愛を見た」
くすくすと、少年は指を口元に添えるようにして微笑んだ。けれど自分は、おや、と思った。微笑んではいても、その笑顔は酷く苦しそうにも見えたからだ。
「お前たちは可笑しいって言うだろうな。僕を狂っていると言うんだろう?それすらも僕には可笑しいことだが。ほら、誰かが言っただろ?人が生きるのに、一番大事なものは何か。それは、愛だ、と。簡単な話さ、僕は何よりも死骸に愛を感じる。それだけだ」
なるほど、と、私は頷く。
この少年の狂いっぷりに酷く感動した。
こうまで突き抜けた存在に今まで目にかかったことはなかった。個性というにも生ぬるい。混じり気のない狂気、そしてそれに相応しい、濁っているくせに純粋ぶった瞳。
快感というよりは恐怖につき動かされたように、少年は自分の肩に手を置いた。
「だってセンセイが教えてくれたぜ?何をされても何を言われても自分を殺して大人しく頷くことが“愛”なんだと。愛をもって自分に接しろと。ねえ?“何をされても何を言われても自分を殺して大人しくしている”ことを“愛”と呼ぶのなら、ほんとうに慈愛に満ちているのは、人間でも動物でも、ましてやキリスト様なんかでもない。死人だろ?腹を裂いても傷をつけても暴言をかぶせてもあいつらはただ黙って享受するもんなあ。な?」
笑いながら、少年は震える肩を片手で握りしめる。ぎり、と、酷く緩慢に、怠惰に骨が軋む音がする。そこは今やぎちぎちと音が聞こえてきそうなほどに震えていて、けれど震えているのに、少年はそのままで笑っていた。
「死骸以外に僕を受け入れてくれるモノなんていないんだ。笑えるだろ?笑ってくれよ。そして、もしも気が向けば憐れんでくれないか。僕らって生き物はな、愛してもらえないと、」
黒髪の美しい少年は薄い唇から舌を噛み砕かんばかりに、言った。
「自分が呼吸しているってことすら実感できねえんだよ」
狂人的愛憎思想