今日はディノスは用があるとかで家を空けていた。
つまりディノスがやってくれていた家事全般を、俺とルシカとイーシャの三人でこなさなければいけないのだが…用意のいいディノスは(単に過保護なだけだけれど)いつもより洗濯もたくさんしていったようだし、料理も温めればすぐに食べれる状態にしてあって、つまりは俺達の仕事を極端に減らして出て行ってくれたようなのであまり心配はいらなかった。
問題なのはそんなことじゃない。
ディノス不在→天然攻撃でイーシャを止める手立てがない、この図式が非常に重要だった。
「…だからっ、今日はイーシャを刺激しないように気をもんでいたのに…!」
やっぱりというか何というか、ルシカがイーシャの起爆スイッチを踏んだのだ。
今日が始まってまだ一時間もたってないのにもうコレだ。…ちょっと泣きたい気分になってしまった俺を、責められる人はいないと思う…。
とにかく。俺とルシカはなんとかイーシャの追随をのがれて、ちょうどリビングから死角になる場所に隠れていた。ここだったら少しの間は見つからないだろうと思ってのことなのだが、それでもおそらくすぐに見つかってしまうだろう。
慌てて俺は言った。
「ルシカ、お前はこっから出ろ」
「…なんで?」
ルシカは相変わらずほやほやと、呑気に俺を見上げた。
「お前とイーシャが喧嘩したら、この家ぶっ壊れるんだよ…今はディノスがいないんだから、イーシャ止める手立てがないんだ。だからせめてイーシャの頭が冷えるまでは外にいろ」
「急にいなくなったらイーシャ不安がるよ。イーシャはあれで結構、不安がりで臆病だし」
「その“不安がりで臆病”が、今お前をボコボコにしようと追っかけまわしてるんだぞ…?」
「うん。知ってる」
「知ってるなら逃げろよ!言っとくけど交戦するのは無しだからな、そんなことしたら家が破壊され」
ここは、何とか俺がまとめなければ。ディノスいないんだし、と、ハラハラしながら俺は言う。何とかして起爆装置(ルシカ)を爆弾(イーシャ)から遠ざけなければ、マジで家が吹っ飛ぶ。吹っ飛んだら今日寝る場所が無い。だのに、
「見つけた。こんな場所にいたんですね」
…あっさり見つかってしまった。
いつの間にかやってきていたらしいイーシャが不敵な笑みを張り付けながらこっちを見ていた。
リビングから死角になっているとは言っても、少し移動すればすぐに見えてしまうのだ。ああ見えてイーシャは頭がいいし、この程度の死角に気付かないわけがないとは言え、見つかるのが早かった。
にこにこにこにこにこ。
笑顔が怖い。真面目に怖い。
「…い、イーシャさん?」
「ルーエルはどいてて下さい。僕が用があるのはそこのホケホケ野郎ですから」
「いや、でもだな、一応平和的になんというか」
「ルーエルがルシカの巻き添えをご所望なら僕は何も言わないけど、あと10秒以内に去らないと真面目に空気として扱いますからね」
「………」
空気は酷いだろう。空気は。
「いいよ、ルーエル。向こう行ってて」
ルシカはさらりとそう言った。
イーシャを刺激しないよう、少しだけ後ずさった俺は、都合よく今この瞬間ディノスが帰ってきてくれるんじゃないかとちょっとだけ期待した。が、まあ、何と言うか、当然の用意そんな奇跡はそうは起こらないわけで。
…仕方ないなぁ、もう!
「ルシカ。俺が一瞬隙をつくってやるから、その間に逃げろ」
イーシャに聞こえない小さな声で言うと、ルシカはふるふると首を振る。
「んー…それは無理みたい」
「何でだよ、面倒くさいとか言ったら真面目にはったおすぞ」
「違くて。トラップかかった。動けない」
「はあ?!」
「上体は自由に動かせるんだけど…足が地面に縫い付けられたみたいに動かないんだよ」
見ると、確かに。ルシカの足元には何かよくわからない魔方陣のようなものが浮かび上がっていた。
…これは、もしかして。
「単細胞が逃げる場所なんて限られてますから。そこにトラップ仕掛けるのくらいワケないです」
ふふん、と、誇らしげにイーシャは言う。そう、イーシャは見た目子供で中身も子供だけど、頭だけはいいのだ。相手の行動を推測して、あっさりと罠にかけてしまう。
まずい。これは、とても、まずい。
イーシャは俺に一言もしゃべらないように命じると、すたすたとルシカに近寄った。
腰に手をあてて、ちょっと威張って言う。
「今はいつも邪魔するディノスもいないことだし、今日という今日は二度と僕を子供扱いできないくらい、メッタメタにしてやりますからね」
「…や、でも、この程度でトラップ使う時点で子供じゃ」
「うるさい!」
この時点でもマイペースなルシカは流石だ。
流石だが、…挑発してどうする。
きーっとなったイーシャは衝動的にルシカの首元を掴んでぐいと引っ張ったようだが、しかし今自分が優位にいることを自覚しているらしく、怒りでぷるぷるしているものの一応冷静に踏みとどまった。
「自分が絶対絶命の危機にいることすらも自覚できないくらいお馬鹿なんですか、貴方は?」
「んー。さあ?でもあんまり危機だとは思ってないかなぁ」
「…それは、僕のトラップにひっかかったくらいじゃ、危機のうちに入らないって事ですか」
イーシャは不敵に笑いながら言う。なんだかんだ言っていつもルシカにはやられっぱなしで有耶無耶にされる事が多いので、優位に立てたのが嬉しいらしい。結構調子に乗っているみたいだ。
…もうなんかその時点で子供にしか見えないことを、イーシャが自覚しているかはとても微妙だが。
とにかくイーシャは、からかうような言葉で言う。
「で、どうする?魔法でも使って僕のトラップを破壊してみる?」
「そんな軽い挑発には乗れないよ、イーシャ」
ルシカは相変わらずマイペースに返答する。が、珍しく、くすりと笑ったように見えた。
「あと、この程度で調子にのらないでほしいなぁ」
「……?」
それはルシカにしては珍しい、不敵なセリフだった。
…ほんとに珍しい。口調だけで言えば、いつものルシカの口調なんだが…言葉の内容がどことなく挑発的だった。こういう物言いをルシカがするのは珍しい。
「…何ですか。魔法なんか使わなくてもこの程度のトラップなんて解除できるとでも?」
むすっとしたイーシャが、怪訝な顔でそう言う。ルシカは淡々と答えた。
「いんや。単に、調子に乗っちゃうイーシャが可愛いから。からかいたくなっちゃうだけ」
「へ?」
イーシャが目を丸くした瞬間、ルシカの身体がひょいっ、と、あくまであっさりと傾いた。
軽く唇が触れる。
「………えええ?!」
俺は思わず間抜けな声を上げていた。
イーシャがルシカの真意をくみとろうと顔を上げるのを利用すれば、ちょっと身体を傾けただけで届く。上体を動かすことが可能ならば十分届く範囲だから、事象として変ではない。その理屈は一応理解できる…けど、これ、いわゆるその、キスなんじゃないか?
…キスだよな?
「え、え、あ、ちょっ、わわ、わ、?」
イーシャもおおいに混乱しているらしい。目を大きく見開いて、ちょっと身体を後ろにそらす。
ルシカはけれどそんなこと一切気にもしないようで、まるで動物がそうするようにもう一度、イーシャの額に口づけてから離れた。イーシャは触れた瞬間わかりやすいくらいびくっと震えて、それから救いを求めるかのようにルシカを見、俺を見、
「ぁ、う、…」
で。
かああああああっとわかりやすいくらい真赤になった。
こういう時の沈黙がイーシャは苦手なのだということを、ルシカは知っているはずなのだが…意地悪なことにルシカはイーシャの視線にも何も言葉を返すことはなく、その沈黙がイーシャには耐えきれないようだ。こういうときに何を言っていいのかわからないらしいイーシャは、ルシカが無言でいることに不安を感じ、けれど自分から言葉を発する勇気もなく、
「……っ」
結局。耐えきれなくなって、脱兎の如く逃げ出した。
ばたばたばたばたばた、と、取り繕う気配もなく大きな足音が響いてから、ばたん、と派手にドアが閉まる音。どうやら自分の部屋に閉じこもったらしい。
「………」
「………」
「………」
「………」
それをぼんやりと見送ったルシカが、ふいに振り向いた。
「……こーいうの何て言うんだっけ…萌え?」
「たのむ普通にトキめいてくれ」
そして頼むから本能のままに動くのは止めてくれ…。
そう切に言いたいのに、悲しいかな俺はルシカに説教することがいかに無意味であるかを骨身にしみて知ってしまっている。
いや、確かに。
ボコボコにされたり家が破壊されたりとかそういう危機からは脱出できた。けど!
「…俺は今、物凄くイーシャに同情したぞ」
「そう?」
「そうだよ!」
「そうかな。俺はあんまり気にしないから」
イーシャを黙らせるならあれが一番手っ取り早いんだけど、などとうそぶきながらルシカはするりと俺の隣にやってきた。
あれ、普通に歩いてる?
「あれ、お前、トラップは…?」
「ああ。俺たちと違ってイーシャの能力は精神状態に強く影響されるらしくて、ようするにパニック状態にしてやればトラップも不発に終わるんだよ」
「要するにパニックになったら解けてしまうんだな」
「ぴんぽん」
うん、と頷いてからルシカは再度イーシャが去った階段に目を向けた。
「それにしてもさっきのイーシャはいい表情だったね」
「………」
「ん…あれ、ルーエル。何顔赤くしてるの?」
…目の前でキスを見せつけられて何も感じないほど俺は鈍感じゃないんだ、繊細なんだ、とアピールしてもよかったが…どうせ無駄だろうしな。
というかこいつにとってはキスなんて犬が主人を舐める程度の軽い意味しかないんだろう。
ちょっとイーシャが憐れかもしれない。
とりあえず、俺のするべきことは一つだった。
「ルシカ」
「ん?」
「このままだと夜になっても明日になってもイーシャが部屋から出てこない可能性大だ。フォローに行って来い」