風通しのいいから、この部屋は好きです。
総司がそう言った部屋だから、
もしも総司が来た時に涼めるようにと、仕事中ならいつもは閉じている出窓の障子を開けておいた。

それがいけなかったのだ。


「俺はあんたに惚れている。――総司」


そう告げる斎藤の声がいやにしっかりと耳に届いた。それは夏の、屯所中が鍋底のように暑くゆだる日の、夕涼みの時間帯である。







天邪鬼理論







「惚れる」という言葉の次に聞き捨てならない単語が聞こえた気がする。気がする、ではなく。一文字一文字ゆっくりと、噛みしめるような低音である。
聞き覚えがある、どころの話ではない。

斎藤が、という驚きは、そう大きくは無かった。
総司は男で、斎藤も男で、一般の常識に照らし合わせれば多少驚いてもいいはずだが、不思議とすんなり受け入れてしまった自分にむしろ驚く。
きっと立ち位置が悪かったのだろう、総司の返答は聞きとれなかった。

総司がどんな表情でその告白を聞いたのかもわからない。
ただ。
その台詞を聞いた瞬間、俺がどれほど醜い表情をしてのけたのかは、――見なくともわかっていた。

「………」

時間がたつごとに苛々はつのるばかりでどうにも自分の手では落ち着きそうもない。

これまで総司の悪戯に苛々することは多々あったが、あれはまだ後味の悪くない種類の苛々だ。今度のこれは違う。
いわゆる嫉妬心と言う奴だ。

「(…総司のやつ、なんて返事するつもりだ)」

俺は総司に惚れている。総司も――俺にその気持ちを打ち明けたことはないが、恐らく同じ気持ちを返してくれている――はずだ。
だから総司は斎藤の告白に応えることは無い、…常識で考えればそうなる。

だが自信を持って断言できないのは、総司が妙な奴だからだ。
お子様というだろうか、やたらめったら色気だけはあるくせに内面はまだまだ子どもで恋心にも鈍い。というか、「恋」する余裕があいつにはなかったのだ。
どうにも生きること自体に不器用な男だから。

「(不安なのは、あいつが恋心って奴をよく理解していなさそうな所だ――)」

あいつ、へらへらした顔して、「斎藤くんも僕の事が好きだったらしいです」「ですからこれからは三人でイチャイチャしましょうね」なんて言い出さないだろうな。

…ありえなくも無さそうだと考えてしまうあたりが、総司の妙なところだ。
俺がどれだけあいつを好きでいるのか、あいつは根本的なところで理解していない。

考えても仕方ないので、午後になって総司を捕まえた。

「どうかしたんですか、土方さん」

にやにやしながら俺を見下ろす総司は何やら機嫌がいいらしい。とりあえずと引きいれた俺の部屋の、いつもの定位置(まるで猫のように総司はお気に入りの場所をつくりたがるのだ)についた。柱にもたれかかりながら、だらんと身体の力を抜く様子はいかにも猫と言った感じで悠然としている。

「最近何か変わったことがなかったか」
「またお仕事の話ですか?一番組はいたって平和ですよ」
「ちげえよ、そういうことじゃなく。お前の周囲で何か変わったことだ」
「……はあ」

少し目を丸くするのは、俺の質問が想定と違うものだったからだろう。
肩を跳ねあげるように首を傾けると、総司は目を泳がせた。

「僕の周囲で?」
「そうだ」
「……別にこれといって、土方さんの得になりそうな情報は持ってないですよ。というか、そんな情報があったとしたら貴方より先に近藤さんに伝えに行きますし」
「そういう損得の感情を抜いて、お前の周囲に起こったことだよ。ここ数日でだ」
「?特に何も」
「ほんとうか」
「ほんとうですよ」
「斎藤が、」

と、ここで名前を出す。
しかし総司は全く動揺せず、首をかしげたまま、いやに素直な目で続きを促していた。
やましいことなど欠片も無い、想像もしていなさそうな表情である。

「お前に告白しただろう」
「………」

ここでようやく、総司は一泊遅れてから反応を返した。

「ああ、さっきのことを言ってるんですか」
「………」

なんとも淡泊な台詞である。どうということもない日常会話の延長のような口調で総司は続けた。

「それが何か?」
「何か?じゃ、ねえだろう。お前、なんて答えるつもりなんだ」

答えるも何も、と、総司は目をぱちぱちさせた。

「――僕もはじめくんのことは嫌いじゃないですから。僕も好きだよって、答えましたけど」
「……」
「?」
「……………………」

…こんなに。
首をかしげる仕草すら忌々しく感じたのは初めてだ。

「…つまり、斎藤の告白に是と答えたのか、お前は」
「いや、是っていうか…、…?何怒ってるんですか土方さん」
「俺がいるのに、そう、答えたんだな」

俺はずいと総司に近づく。総司は不穏な空気を察して、少し下がった。

「なんなんですか。何怒ってるんです?」
「お前が俺がどうして怒っているのかということに気づいていないことに対して怒っているんだよ」
「はあ?」

こういう時に総司は素直だ。「意味がわかりません」と直接的に俺の感情を逆なでしてくれる。
腹立ちついでに総司の肩を掴み、強引に唇をあわせてやった。

「――!」

唇を離せば「急に何なんですか」と言いたげな瞳とかち合うが、それも無視してもう一度。今度は顎を掴んで唇を開くように催促をし、

「ん、…ッ」

瞬間、総司は思わずと言った感じに反抗的な態度――唇を引き結んで舌の侵入を阻止するという行動に出た。
俺のやることなすことすべてにとりあえず反抗するというのは、もはや総司の身体に染み込んでいるらしい。

そんなところも可愛いと普段なら思っていたはずなのだが、今日はそんな余裕もない。
ちゅ、ちゅ、と軽い音をたてて、引き結んだ唇の、それでも柔らかい部分に口づけを落しながら、合間に囁いた。

「斎藤相手だったら、こんな抵抗もせずに受け入れるのか?」
「……、!」

引き結んだ唇のまま、きっ、とこちらを睨む。もしここで口を開こうものなら、俺は容赦なく唇を押し付けて、そのままなし崩しで行為に及ぶだろう。そんなことはわかっているのだ、きっと、総司も。
だから唇を引き結んだまま、総司は俺の脚を蹴る。
『そんなわけがないだろう』と、まあ、言いたいのはそういうことなのだろうが、意地になって口を開かない。代わりに自分の手のひらで、ぐっと俺の肩を押した。
無視する。

「…、ん、んっ――」
「お前にとって俺は別に特別でもなんでもなかったってことか?」
「何言って、…っん――!」
「総司」

苦しげに寄った眉のその皺が珍しい。総司は本気で嫌がって、俺の肩に爪を立てた。猫のする抗議のようだ。ちりりと鋭い痛みには流石に我慢ができず、総司の唇を解放した。

「は、――」

わずかに荒くなった呼吸のまま、総司はキッと強い視線を俺に投げる。
屈辱、というのではない。負けず嫌いの子どものような強がる瞳と視線がかち合った瞬間、

想定外なことに、総司は俺の首元を引っ張りあげた。

「……んっ!」

自分から不器用に唇を合わせてくる。その柔らかさを堪能できそうにもない乱暴な、というか、色気も何もない、とりあえずくっつけてみただけのような唇の合わせ方だが、

俺は驚いた。
それもそのはずで、総司から口づけてくるなどと初めてのことだったのだ。

「………っ」

嫉妬に渦巻いていたはずの心が一瞬で沸騰する。
この、猫のような男が。絶対に俺への気持ちを認めようもない男が――このような場面で、素面で、自分から口づけをしてくるなど、もしかしたら一生の間あり得ないことかもしれないと考えていたのに。

「総司」

とは言え、こちらから舌を入れようとしたら怒った様子で舌に歯をたててくるあたりはいつも通りだった。微妙なところで素直になれない総司は、自分から口づけておきながら心外そうな顔をして、唇を離す。

「僕はッ、」

そして、噛みつくように言った。

「僕は近藤さんが大好きです。はじめ君だって好きですよ。だから“好き”って言葉くらい簡単に口にできる、当たり前のことでしょう?でも僕は、」
「……何だよ」
「貴方にだけは“好き”って言えないんですよ!」

苛々を隠すつもりもないらしい。突き放すような口調である。

「何故かわからないけど、あなたにだけ言えないんです。近藤さんだって斎藤くんだって平助だって誰だって、好きって言うことくらい簡単なのに、そう思ってるのに、それでもあんたにだけ喉が凍りついたみたいに言えないんですよ。これは“特別”じゃないんですか?」
「………それは…」
「こうやって口づけるのも貴方だけだって言うのにこれでも特別には足りないなんて贅沢言わないでください。僕のありったけの心を手前勝手に奪っていっておきながら何様のつもりですか」
「………」
「斎藤くんは納得してくれましたよ。土方さんなんかよりもよっぽど大人で堂々としてました。それでも僕はあなただけが特別だから、だから斎藤くんに“好きだけどごめんなさい”ってしてあげたんです。それを勝手にヤキモチ焼いて僕にこんなことして――」
「………それは」
「わかったならもっと可愛いヤキモチにしてください。こんな無理矢理に口吸いされたって不快なだけです」

つん、と頬を反らして、総司は腕を組む。
――そらした頬が赤いのは、慣れない心情を口にするのに相当の勇気を必要としたからだろう。
思ってのほか嬉しい言葉に、戸惑うままに俺は総司を抱きしめる。

何やら怒っているようだったので(けれど謝るのもなんとなく癪だったので)、とりあえずの処置のつもりだったのだが、総司はそれが気に入ったようだ。

「これだけ長い間一緒にいておいて僕がどういう性格なのかもわかってないんですか。僕の気持ちを疑うなんて失礼な…」

文句を言うことは忘れないが、怒った口調ではなく拗ねた口調だ。

「お前は素直じゃなさすぎんだよ」
「僕は十分素直ですよ」
「そうだな。わかりにくすぎて逆にわかりやすいんだよお前は」
「わからなかったくせに偉そうに…」
「ああ…そうだな」

まったくもって俺も馬鹿だ。ふわふわの茶色ッ毛を撫でながら、甘い匂いのする髪に鼻を押し付けた。

「好きだ――」
「知ってます。耳にタコができるくらい聞きました。…でももっと言って下さい」
「なんだよそれ」
「うるっさいなあ、黙って言うこと聞いてください」

なんとまあ我儘なことだろう。

「(だが、この我儘が聞けるのも俺だけだ)」

そう思うと何とも愛しいものだ。

俺は総司を抱きしめる腕に力を込め、――うっすら赤く染まったその耳元に唇を寄せた。